シャルロ。そしてとポト
ギリコは椅子から立ち上がると、にやりと笑いながら、「まあ、見ていてください」と言って、するすると女の隣に座り、従業員に指を二本立てて注文をするとカウンターの上に金を置いた。
従業員がグラスに注がれた酒を二つ、ギリコの前に出した。そのうちの一つに、シャルロに見えるように、ギリコは小瓶の中身を素早く注ぎ入れた。
ギリコは女に語りかけるが、素っ気ない態度の女は見向きもしない。
それでもめげず、ギリコが笑いながら惚れ薬入りのグラスを女の目の前に押し出すと、女は少しためらいながらもグラスを手に取って口を付けた。
しばらくギリコがしゃべりつづけ、女が興味なさげにグラスを口に運んでいると、ふいに女の頭ががくっと落ちた。女の上半身が揺れるのをギリコが手を回して押さえ、耳元に何か話しかけはじめた。
やがて女はギリコの顔を見つめ、何度か大きく頷くと、両腕をギリコの首に絡みつけた。
シャルロの喉が、ごくりと鳴った。
女がギリコの胸に顔をうずめるような仕草をしている様子をちらちらと横目で見ながら、シャルロは心臓がばくばくと激しく鼓動するのを必死で抑えようとしていた。
胸元にもたれかかる女を立たせてギリコは歩きだし、シャルロに向かって軽くウィンクすると、そのまま店を出ていった。
二人を目で追っていたシャルロは、ぷはー、と大きく息を吐きだし、手にしていたグラスの酒を一気に喉に流し込んで、しばらく呆気にとられたように女のいなくなったカウンターを見つめていた。
「ちょっと、いつまでくっついてんのよ」
ギリコが連れだした女が店を出てしばらく歩くと、肩に回していたギリコの手を乱暴に振りほどいた。
「おっと。もう薬の効果が切れたか」
「効果があるわけないでしょ、あんなもんに」
「もしかしたら、本当にクレス様の呪詛が入った薬だったかもしれねぇのに」
「だとしても、あんたの言いなりにはならないよ」
ちっ、と舌打ちして、ギリコは「ちげえねぇ」と言った。
「それより。あんなベタな芝居で、あの頭の切れそうな坊ちゃんが騙されたと思う」
「さあな。でも、恋は盲目、って言うじゃねえか。外を知らねえ坊ちゃんだからこそ、案外引っかかるかもしれねぇぜ」
「あたしは騙されないと思うよ。無駄な芝居であんたに抱きつかれて、いい迷惑さ」
「無駄じゃねぇよ。こいつはいくつかの作戦の一つに過ぎないんだ。駄目で元々。もし上手く行きゃあ、上出来ってことさ」
そう言いながら、ギリコが女の尻を触った。
「調子に乗んじゃないよ、変態が」
女がギリコの手を叩き落とした。それでもめげずに腰に手を回すギリコ。振り払う女。
そんなやり取りを繰り返しながら、二人は夜の港の方へ消えていった。
少し時間を遡る。
ライアンがカイラとともに王宮へと行く道すがら、港の近くでポトの姿を見かけたときのこと。
その少し前、ポトは港に泊めているズミーヤ号にオズマンの指示で書物を取りに行き、ブリューワ家の屋敷に戻る途中で後ろから男から声をかけられた。
「ポトさん」
振り向くとそこに、どこか見覚えのある男が立っていた。
「お忘れですか」
「え、っと、どこかで会いましたっけ」
「チュベキ島の事務所の前で…」
ポトは「ああ」と言うと、男の顔を思い出した。チュベキ島の事務所の入り口ですれ違った男だ。なぜかしばらくポトの顔を食い入るように見ていたから印象に残っている。
男は辺りを気にする素振りを見せながら、ポトの肩越しに囁いた。
「ジラン」
そう言って、ポトの様子を伺っていた男は、少し悲し気な笑みを浮かべた。
「記憶を失っている、という話は、どうやら本当らしいですね」
「どういう意味だ」
「ジラン・カミール。それがあなたの本当の名前です」
ポトの顔から血の気が引いていく。
「ポトさぁん」
遠くで名前を呼ばれた。声の方にちらっと視線を向けると、ライアンが手を振っているのが見えた。
「俄かには信じられない話でしょうけど、もし続きを聞きたいなら、私と一緒に来てもらえませんか」
ポトは、男の頭からつま先までをゆっくりと見て、少し間をおいて、「わかった」と言った。背中にライアンの視線を感じながら、ポトは男に促されて港に向かって歩きだした。
ズミーヤ号の操舵室のテーブルに、男とポトが向かい合って座っている。男がズミーヤ号の中で話すことを提案したからだ。
船まで歩く途中で男は自分のことをラウスと名乗り、ブリューワ家に雇われていてチュベキ島への物資の運搬や船の修理を担当しているのだ、と短く説明した。チュベキ島で会っているから、それは間違いないのだろうとポトは思った。
だがラウスの素性はそれだけではないはずだ。柔和な顔立ちは親しみやすさを感じさせるが、かえってそれが恐ろしくもみえる。いったい何者なのか。
ジラン・カミール。
それが俺の本当の名前だ、と言ったラウスの言葉が頭の中を駆けめぐる。それが真実ならば、ラウスは自分の過去を知っているということになる。
二人の前で、ポトが淹れたバフ茶が湯気を立てている。港に停泊したズミーヤ号はさして揺れることもなく、船底に寄せるさざ波がちゃぷちゃぷと乾いた音を立てていた。
動悸が早くなるのを感じながら、ポトはラウスの挙動を注意深く観察していた。
「自分はルナデアの者です」
長い沈黙を破ってラウスが言った。
つとめて平静を装ったが、ポトの胸の鼓動はさらに早くなった。
ルナデアの者だと言ったラウス。
とすれば、ジラン・カミールであるポトも、いままさに敵としてゴダールが戦おうとしているルナデアからやってきたということになってしまう。それは驚きでもあったが、ルナデア襲来という話が進んでいくにつれ、頭のどこかでうすうす予想していた事でもあったのだった。
幼いころにゴダールの東の海で漂流していたところを助けられたポト。そして遥か東の海の果てにあるというルナデア。二つのことは容易に結びつく。
オズマンやデニスにアイザック、それ以外にも、ポトの来歴を知っている者ならば、皆その疑いを少しは胸に浮かばせているだろう。
だが、それがどうしたというのだ。
俺は過去のことは知らない。ラウスの話が真実で、俺がルナデアから来たのだとしても、ゴダールの民として生きてきた自分に何ひとつ後ろ暗いことは無い。
「驚かないんですね」
「信用していないだけだ。今のところ、あんたがそう言っているだけで確証は何もない」
「おっしゃる通りです」
ラウスは体を少しずらして足を組んだ。
「私は、小さかった頃のあなたを知っています。でも、その頃の面影はあまりありませんね。ですが、私があなたを見てすぐにジランだと気づいたのは、あなたが、あなたの父上によく似ていたからです」
ポトは表情を変えない。
「あなたの父上、バハリ・カミールは、我らマツイ族の英雄であり、私の命の恩人でもあります」
「その英雄の子である俺を寝返らせて、ルナデアの英雄にしてくれる、っていうのかい」
口を曲げてそう言ったポトの顔を見ながら、ラウスは目の前のカップを手に取って、ひと口啜った。




