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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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セリーン廟

 診療所から港へ向かう雪に覆われた道を下っていくと、ついこの前、アイザックに背負われてこの道を上ってきた光景がライアンの目に浮かんできた。

 生まれて初めて海を渡り、異国のゴダール島に来てからの一カ月余りはあっという間に過ぎた。何かが大きく変わったような気もするし、何も変わっていないような気もする。

 短い間ではあったけど、診療所での生活は楽しいものだった。

 医者であるグラックス先生は、ライアンと同じくその身に光石の力を取り込んでいる言わば先輩であり、誰よりも頼りになる存在だ。

 体中から愛情が溢れて出ているメイベルさんに、少し呆けてしまっているけど憎めないチノンばあちゃん。ただの悪ガキだと思っていたけど仲良しになったイゲルとマイトラ。

 そんな彼らとしばらく会えないかもしれないと思うと、やはり寂しい気持ちが強くなる。

 あ、シャルロを忘れていた。

 そういえば、こてんぱんにやられたあの日からシャルロを見かけない。グラックス先生に怒られて、どこかで謹慎しているのだろうか。

 どちらにしろ、シャルロに会わなくて済むようになると思うと、少しほっとする。

「何かありましたか」

 先を歩くカイラが振り返って、そう訊いた。

 すらりと背が高く、亜麻色の髪を後ろで束ねたカイラは見るからに精悍な印象を受けるが、気遣いのできる優しい人であることはパラレの稽古を通して分かっていた。もっとも、パラレの稽古ではジン王女よりも手厳しい鬼の教官になるのだったが。

「急に王宮へ来い、しかも女王陛下がお呼びだ、と言われて気が動転しているかもしれませんが、大丈夫。ナブー女王はとてもお優しい人ですよ」

「はい」

 いつにもまして口数の少ないライアンを気にかけてくれたカイラは、いつにもまして穏やかな顔をしていた。

 ジン王女のことが何よりも大事である彼女は、ライアンが王宮に来ることで、ジン王女が外に出たいと言わなくなる、と胸を撫でおろしているのかもしれない。

 ざくざくと雪を踏みながら、もう少しで港が見えるところまで来たとき、道の端で二人の男が立ち話をしている姿がライアンの目にとまった。

 手前の男の横顔を見て、それがポトだと気がついた。

 ポトにはしばらく会っていなかった。おそらく、オズマンと一緒に何かと忙しい日々を送っていたに違いない。

「ポトさぁーん」

 久しぶりに会えたのが嬉しくて手を振ったが、ポトはちらっとこちらを見て顔を背け、もう一人の男と連れ立って足早に港の方に行ってしまった。

 遠目に見てポトだと思ったが、人違いだったのだろうか。こっちを見たのは一瞬だったけど、ポトならライアンだと気づいたはずだ。

 よく似た人だったのだろうと思いなおし、ライアンはカイラと並んで港とは別方向のヴァンタレーの町に向かって歩きだした。

 ゴダールに来てから診療所の周りしか知らないライアンにとって、はじめて見るヴァンタレーの町は物珍しかった。石畳は綺麗に除雪されていて、道の両側は二階建ての建物が道の先の方までずっと続いている。一階は店舗になっている建物が多く、魚屋に八百屋、雑貨屋や貴金属店、何かを焼いている良い匂いがする料理店などが軒を連ねている。

 ヴァンタレーで宿屋をやっていると言っていたマイトラの家はどこだろうか、と探しながら歩いていたら、建物が無くなって町の端に出た。アレフォス島のバーラと比べると、かなり小さな町らしい。

 町を過ぎるとまた雪道になり、しばらく行くと、隣を歩くカイラが山の方を指さした。目を向けると、そこには冬に入っても葉を落とさず、雪の中で緑の葉を伸ばす木々の森が続いているのが見えた。

「あれはガボアの果樹園です」

「あ、メイベルさんにガボアのお茶を淹れてもらって飲んだことがあります。少し酸っぱかったけど、美味しかったです」

「もともとゴダールは作物が育ちにくい土地だったけど、このガボアはそんな土でもしっかり根を張り、冬の寒さにも強いんですよ。ゴダールの人々は昔からそんなガボアを育てつづけ、この広大な果樹園は王家が管理しています。ジュースやお酒、食べ物に入れたり、油を取ったり、ゴダールの人にとってガボアは無くてはならないものなんです」

 ゴダールの特産を自慢げに話すカイラの目は、ジン王女をみる眼差しと同じだとライアンは思った。

「カイラさんは、ジン王女のパラレの先生なんですか」

 少し考えて、カイラはライアンに顔を向けた。

「もともと私は、ナブー女王陛下の妹、ジン様の生みの親であるミニュー様の使用人です。ジン様が生まれてお側に仕えるようになり、ジン様が女王陛下の養女となられて王宮に上がる際に、ジン様に従って私も王宮に入ったのです」

「じゃあ、生まれたときから知っているんですね」

「はい。失礼を承知の上で言えば、ジン様は私にとって、年の離れた妹のような存在です」

「妹、ですか」

「最近、パラレに夢中になっているジン様を女王陛下は快く思っていないようですが、ジン様がなさりたいことを支えることが私の使命。邪魔する者は誰であろうと許しません」

 顔色を変えずに物騒なことを言うカイラはちょっと怖いが、そんなふうに思われて大事にされているジン王女は幸せ者だ。

「…余計なことをしゃべりました。お忘れください」

 間をおいて、「ところで」とカイラが話題を変えた。

「この前はラグロック島の人と大変な騒ぎになったそうですね」

「メイベルさんから聞いたんですか」

「ええ。ライアンさんは、チノンばあちゃんを背負って大勢の相手をしていたとか」

「チノンばあちゃんが怪我をすると思って止めようとしたんですけど、かえって騒ぎが大きくになっちゃって」

「乱闘の最中も、その手足の重りは付けたままだったんですか」

「あぁ、寝るとき以外は外してないから、付けてましたね、多分」

「付けているのも忘れて、思うように動けるとは、重りを外した時が楽しみですね」

「思うように動けているんですかね。何発かパンチを貰いましたし」

「私の見たところ、かなり上達してますよ、ライアンさんは」

 話しているうちにいつの間にか果樹園が切れ、石造りの高い城壁が見えてきた。

 卵型の門をくぐると、そこは広大な空間になっていて、その両側に白い石を積み重ねた背の高い屋敷が先の方までずっと続いていた。辺り一面雪景色の広場だが、水が流れる格子状の溝に雪は無く、四角く切り取られた雪が何枚もきれいに並べられているように見える。雪を掃いた通り道には、数人の人が集まって難しい顔で何やら話し込んでいたり、手押し車に乗せた荷物を重そうに押している人がいた。

 周囲を見渡したライアンは、思わず「すごいな」と小さく声を漏らした。

「この両側の屋敷は、王家に近い方や王家に仕える高官の方々のお屋敷になっています。奥に高い塔があるでしょ。あれはゴダールの女神セリーンを祀っている建物です。なので、ここはセリーン(びょう)広場と呼ばれています」

 ロクトの奥の院を始めて見たとき、その荘厳さに心を奪われたが、ゴダールのセリーン廟広場の眺めも壮観だった。アレフォス島は建物に木を使うが、ゴダールは白い石を使う文化なのだ。雪をかぶった白い石の建物と青い空のコントラストがなんとも美しい。

 女神を祀る聖廟(せいびょう)の両側には、巨大な生き物のモニュメントが大きな池に横たわっていて、そこから絶えず水が流れ出している。

「あの、口から水を吹いている大きな生き物の像は何ですか」

 ライアンの指した方を見て、「ああ」とカイラは言った。

「あれはボッサム。小さな島くらいの大きさがある、海の動物なんですよ。遥か昔、大暴れをしてゴダールの人々に迷惑をかけていたボッサムの王であるバルバロを、ワナロアという女王が退治して従えたという故事があります。あの像は、その故事になぞらえて、従う前のバルバロと、従った後のバルバロの姿を表していると言われています」

 なるほど、そう言われてみると、左の像は静かに顔を上げているのに、右の像は仰け反りながら口を大きく開けていて、静と動の躍動感の対比がよく表現されている。石をあのように削ることができるなんて、きっと腕のいい石工が何人もいるのだろう。

 カイラに促されてセリーン聖廟の中に入ると、そこはドーム型の広い空間になっていて、中央に三叉の鉾を携え、どこか遠くを見据えている女性の大きな彫像があった。

「女神セリーンです」

 そう言ってカイラはセリーン像の前で膝まづき、右拳を胸に当てて首を垂れた。

 ゴダールの守護神、女神セリーンに祈りを捧げているのだと分かったライアンは膝まづき、カイラの後ろで同じような姿勢を取った。


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