王宮へ
「オリバーのメモに書かれていたのはこれだけだ。オリバーはおそらくこの後、彼の願いも虚しく、巫女に精神的に支配されたまま、乗組員一人を連れてゴダールに帰ってくることになったのだろう。私の考えでは、オリバーの船にはルナデアの者が、それもかなりの数の者が乗っていて密かにゴダールの島々に上陸していき、そして住みついていった。ゴダールの人々はそのことにまったく気づくことはできなかった。そして、それから百五十年あまりが経った今、ついに彼らは動きだした。と、いったところでしょうな」
ナブー女王は、しばらく天井を見上げ、「それ以上の収穫は、無しか」、と訊いた。
「はい。ですが、相手の姿が少しだけ見えたことは、収穫と言えるでしょう」
「怪しい、黄色く光る目を持つ巫女がいる。そして、そいつは人の心を操る術を使う、ということか」
「はい。それも恐ろしい話ですが…、ルナデア島は王政をとっていて、クロエ家の王がいるということです」
「なるほど。で、クロエという王がルナデアを統治していることが分かったとして、それで相手の何がわかるというのだ」
オズマンは、えっ、という顔をした。
「あ、いや、それだけです」
ナブー女王が椅子から転げ落ちそうになった。
「何が、相手の姿が見えた、だ。何も分かってないじゃないの」
「そりゃあ、メモだけで何もかもわかるわけはないでしょう」
「何もかもなんて、私は言ってはいないでしょう」
ピガンダが手を挙げて二人を制し、「オズマン様の言うとおりかもしれません」と言ったので、ナブー女王とオズマンが同時にピガンダに顔を向けた。
「どういうことだ」
「はい。王家が統治しているということは、王の年齢や資質にもよりますが、基本的には王の号令一下で政が動くということです」
「うん…、まあ、私にはそんな力は無いがな」
「陛下、何をおっしゃいますか。このゴダールは、ナブー女王陛下のご指示のもと、民は恙なく暮らしているではないですか」
ピガンダの視線を躱すように、ナブー女王は顔の前で手を振った。
「茶化して悪かった、続けてくれ」
「はい。一人の王が統治するということは、政はその者の資質、王自身が幼かったり、統治能力を欠くような場合は王の代わりを務める者になるでしょうが、実質的に統治する者の資質によって大きく変わるはずです。そして、統率力のある為政者が他の国に興味を示したとき、その心情は友好的なものよりも野心的なもの、つまり領土欲を満たしたくなるのではないでしょうか。事実、百五十年前のルナデアの王、ロム・クロエは、はじめはオリバー船長たちを歓待したけれども、後になって隔離して幽閉するという方針に態度を急変した。それは、オリバーたちのゴダールと友好関係を築こうとは思わず、敵対的な行動をとったということです」
話を遮ってオズマンが手を挙げ、「すまん」と言った。
「この話、長いか」
「え、あ、いや」
「最近、年のせいか、話が長いと何の話だか分からくなってな。手短に、分かりやすく頼む」
ナブー女王が、ぷっ、と吹きだした。
「何を笑っているんですか、陛下。あなたもそう思っていたでしょ」
「あたしは構わないけどね。まあ、ピガンダ、分かりやすく話してやってくれ」
「はい。簡潔に話します」
ピガンダは咳払いをして話を続けた。
「オズマン様の話を聞きながら、ずっと疑問に思っていたのです。ルナデアが今回の行動を起こすまでに、なぜ百五十年もかかったのか。情報収集に時間が必要だとしても、二十年もあれば十分でしょう。ゴダールには軍隊と呼べるようなものはありませんから、ロム・クロエに領土的野心があれば、軍隊を派遣して制圧してしまえばいいはずです。そしてゴダールを足掛かりに、アレフォス島、ルマン島、と次々に領土を拡張することもできたのに、実際は百五十年もの時間がかかった」
「ロム・クロエが死んで、次の王が方針を変えたのかもしれんぞ」
「オズマン様の言うとおり、その可能性も考えられます。しかし、百五十年後に、ルナデアは行動を起こした。それはやはり、ロム・クロエの意志が継承されていたのではないでしょうか。だとすれば、行動を起こすのに時間がかかった理由の一つに、ルナデアの兵力に問題があったのではないか、と私は思います」
「兵力、か」
「はい。侵攻して勝利をおさめた後の統治のことを考えると、軍事的に制圧し続けるためには兵力を割かなければならない。我々の五つの島に、仮に千人の兵を置かなければならないとすると、少なくとも五千人以上の兵力が必要になるでしょう。ルナデアの人口がどれほどかは分かりませんが、それほどの兵力を持つことは難しいのではないかと思います。では、少ない兵力で、五つの島を手に入れるにはどうしたらよいか」
「光石の力、か」
「そうです。圧倒的な光石の力を使って、五つの島を我がものとする。光石の力が絶大であればあるほど、征服された我々が反抗する余地は無くなります」
三人は別々の方向を見つたまま、しばらく押し黙った。
「なるほどな。光石の情報を集め、光石を手に入れる作戦を練り、その準備をするのに百五十年の時間が必要だったということか」
「時間を必要とした理由はそれだけではないでしょうが、今ここにきてようやく光石を奪う機は熟した、ということなのだと思います」
ナブー女王が顔を上げ、オズマンとピガンダの顔を交互に見た。
「これまでも幾度となく想定していたシナリオだが、ピガンダの推理は的を射ているように思う。アグーを奪われるということは、単に光る石を失う、ということだけではなく、このゴダールが、ルナデアの軍門に降ることになるということだ」
「陛下の仰る通り、その可能性が高いと思います」
「ならば、この戦い、絶対に負けるわけにはいかんな」
ナブー女王の静かな言葉に、オズマンとピガンダはゆっくりと頷いた。
翌日の昼すこし前、グラックスに呼ばれたライアンは、部屋にいた使者のカイラからナブー女王の意向を聞いた。
「荷物をまとめて、すぐに行きなさい」
と、ライアンを見つめていたグラックス先生は、静かだけれども有無を言わさない声で言った。
突然のことに戸惑う気持ちが心を占めていたが、女王の命令に異論を挟めるわけも無く、ジン王女やカイラと修行をする時間が増えることはライアンにとって願ってもない話ではある。
拝領小刀のほかはまとめる荷物などあるはずもなく、行けと言われればすぐにでも行けるのだが、異国の島に初めて来て暮らしたこの診療所を急に去らなければならなくなった展開に、気持ちの整理がついて行かない。
部屋に戻り、拝領小刀を腰に差すと、あの事件があってからずっと寝たきりになってしまっているチノンばあちゃんの顔を覗きこんだ。
「チノンばあちゃん、俺、王宮に行くことになったんだ。女王様が、王宮で稽古しろって、言っているんだって」
目を瞑ったまま、ばあちゃんはピクリとも動かない。
「いろいろありがとう。チノンばあちゃんの作ってくれた料理、とても美味しかったよ」
返事のないばあちゃんに微笑みかけ、部屋を出ようとすると、「フィスコ」と、ばあちゃんが呼び止めた。
「もう、ここへは戻って来るな。お前は自分の信じた道を行けばええ」
振り返って見たチノンばあちゃんの顔に、うろ覚えの母の面差しが重なった。
「大丈夫。何があっても、母ちゃんはお前の味方だ。思いっきりやりたいことをやりなさい」
「うん。ありがとう、母さん」
無理やり笑おうとすると胸が熱くなり、逃げるように部屋を出ると、部屋の外にメイベルさんが立っていた。
ライアンの腕をとって引き寄せると、メイベルさんはライアンを羽交い絞めにした。
「怪我なんかしないようにね。あんたは優しいんだから、無理して戦うことないのよ」
メイベルさんの大きな胸の谷間で、声にならない声で、ライアンは「はい」と言った。
外に出ると、待っていたカイラに促されて診療所を後にした。
「ライアーン、元気でねー」
振り返ると、診療所の前でメイベルさんが手を振っている。その横にグラックス先生が立ち、こちらを静かに見つめていた。
大きく手を振り返すと、青く澄みわたった空が視界に入った。積もった雪が陽の光を跳ね返して、何もかもが眩いばかりに輝いていた。




