オリバーのメモ
それから数日経った日の夜。
王宮内の女王執務室のテーブルに、オズマンとピガンダ、そしてナブー女王の三人が顔を突き合わせていた。
外は音のない雪が降りしきっているが、暖炉が焚かれた部屋の中は暖かい。
「戦の準備はどうだ、ピガンダ」
オズマンが二本のあごひげを撫でながら口を開くと、ピガンダが「はい」と答えた。
「海戦用の船は、目標よりも少ないですが、十六隻が集まりました。しかし、そのうち四隻は商船ではなくラグロック島とハルトリ島の漁船です。予定より戦力的には劣りますが、大将であるマックス・ドラン様の指揮のもとで日々訓練を続けており、士気も上がっています。一方の王宮を警護する守備隊ですが、身元の確かな者で戦闘に耐えうる者を厳選した結果、こちらも目標の百名には届かず、新たに隊員となった者は三十二名。私と副隊長が中心となって訓練を施しております」
「三十二名か…」
「数は少ないですが、ほとんどの者がブリンガに出場経験のある、パラレの猛者たちです」
ナブー女王が短く溜め息をつくのを見ながら、オズマンが頷いた。
「最短でルナデアが襲来するまで、あと一カ月半ほどか。それまでにどれくらい練度をあげられるか、だな。それも用意した戦力で、ルナデアに対抗できたとしての話だ」
「まあ、そう悲観するな。わずか一カ月弱で、よくここまで態勢を整えたといってもいいのではないか。これからの一カ月で、兵たちももっと強くなるだろうからな」
ナブー女王の言葉に、「恐れながら、それも悩ましいところではあります」とピガンダが口をはさんだ。
「何が悩ましいんだ」
「敵が来るのを一カ月半後と仮定して、いま準備を進めております」
「そういう話だったはずじゃないか。何か問題があるのか」
「もしそれが、もっと先だったら…、例えば一年後とか…」
「一年後…な」
「あと一年、来るか来ないか分からない敵を想定して準備をするには、限界があります。士気は確実に下がってしまうでしょうし、船が使えなければ皆さんの商売にも影響が出ます」
「うん。お前の言うことは、いちいちもっともだがな」
「敵を迎えうつというのも、難しいものです。臨戦態勢が長引いた場合、士気や経済に影響が出ないような方策を、何か考えなければなりません」
ナブー女王が肩を落としながら、「はぁー」と息を漏らした。
その様子を見ていたオズマンが、話題を変えるように、「そういえば」と机をぽんと叩いた。
「ジン王女が、ライアンのパラレの修行を手伝っているようですな」
ちらっ、とオズマンを見たナブー女王が、またも大きく溜め息をついた。
「なんだかんだ理由をつけて外に出たいのよ、あの子は。カイラを護衛に付けているけど、彼女はジンに甘いから」
「今日はよく溜め息が出ますな」
「あんたも。よくそんな吞気な物言いができるわね」
「すまんな。こういう性分なのだ」
ナブー女王がオズマンに向きなおった。
「その、ライアンとかいう者。その者は信用できるんでしょうね」
女王の目を見ながら、オズマンは「もちろん」と言った。
「ライアンは良い青年ですよ。アレフォス島での敵をとり、囚われた弟を取り戻す。その決意は揺るがない。この島の誰より、ルナデアと戦いたいと思っているのは彼でしょう。しかも、彼の身体は風光石ザレの結晶を取り込んでいる。今は使い方が分からなくなっているようですが、彼が覚醒すれば我々にとっても大きな力になるはずです」
「ライアンは、ジンと変わらない年の子どもだろう」
「ええ」
「ふん。そんな子どもを戦争に巻き込んで、戦力になるとは、オズマンも人の子の親であろうに」
「子どもだが、幼子ではない。不幸にもこの戦いに巻き込まれてしまった彼は、自らの意志でここに来ているんです。それくらいの分別はつく年ですよ」
「まあよい。オズマンが認めている、光石の力を持つ青年。私も一度会って話をしたいものだな」
「ぜひ、そうなさるといいでしょう」
「そうだ。その者は、王宮で修行をすればよいではないか。何かと物騒になってきているし、ジンの外出もそろそろ止めようと思っていた頃だ。あとでカイラに言って、そのように取り図ろう」
「良き考えと思います」
「それより」
ナブー女王がオズマンを正面から見つめた。
「何か話があるんでしょ、オズマン」
「おお、そうだった」
顔を改めたオズマンは、ポケットの中から小さく折りたたまれた紙を取りだして広げると、ナブー女王の目の前に差し出した。黄色く変色した小さな紙には、細かい文字がびっしりと書き込まれている。
「なんだ、これは」
「あれから屋敷の中を探し回って、オリバーの遺品をいろいろと探してみたんです。遺品といっても、ほとんど何も残されていなかったんですが、ようやく当時彼が着ていた思われる服を見つけて、調べてみると、その襟にこっそりとこれが縫い込まれていたんです」
「おお、百五十年前、ルナデアに行ったと思われる、あのオリバーが書いたものなんだな。何が書いてあるんだ。お前が読んでくれ」
「分かりました」
オズマンは老眼鏡を取りだしてかけると、ひとつ咳払いをして読みはじめた。
ラディーと島民が呼んでいるこの島に漂着してから、すでに二百日が経った。
ここまで、私が見聞きしたものを、少しだけここに記そうと思う。
ゴダールよりも広大なこの島は、今はロム・クロエという王が統治している。
遥か西の島から突然やってきた我々を、クロエ王は歓待してくれた。
食事と新しい服が支給され、島に帰るための船の修理も協力してくれると約束してくれた。
王たちは我々の話を聞きたがった。
ゴダール諸島のこと、アレフォス島、ルマン島、マキシマ島にダグダイズ島、そして、水光石アグーのこと。我々は一人ひとり、知っている限りのことを王に話して聞かせた。
王の命によって島の住民たちが協力してくれて、船の修理は順調に進んだ。島の住民たちは純朴で、一緒に作業をするうちに仲良くなり、ここに住んでもいいという乗組員も現れるほどだった。
だが、もう少しで船が完成する頃になって、事態は急変した。
王の命令で修理は中止となり、我々は個別に隔離されてしまったのだ。
私は船長だったからか個室に移され、書いていた日記も没収された。ほかの乗組員がどこでどうしているのか、聞いても誰も答えてくれない。
そして一週間前。巫女だという女がやってきた。
その女は黄色い怪しい瞳を持ち、その眼で射すくめられると私は我を忘れてしまった。何をされて、何があったのかよく分からないが、頭痛がひどく、気持ちが悪い。そしてそれは日ごとに悪化しているように思う。
当初、我々を快く受け入れてくれたクロエ王が、なぜこんな仕打ちに出たのか。それは分からない。だが、状況が日ごとに悪化しているのは確かだ。乗組員たちの安否も気になる。
私は、あの巫女の女が恐ろしい。このまま行くと、いずれ自分が何者かもわからなくなってしまうだろう。何もかもを忘れる前に、まだ正気なうちにこのメモを残し、見つからないところに隠そうと思う。
何事ももなく、皆でゴダールに帰り、このメモを捨てる日が来るよう、女神セリーンに祈りを捧げる。
身を乗り出してオズマンの話を聞いていたナブー女王とピガンダが、「ふー」と言いながら椅子に深く座り直した。
「以前、お前が話していた事は、どうやら間違っていなかったようだな」
小さく頷くと、オズマンは変色した紙を畳んでポケットにしまった。




