思考と行動
「クロウ。いったい何があったんだ。教えてくれよ」
ライアンが訊くと、ジン王女とイゲルを見守っていたクロウが小さく頷いた。
「雪山の中で、イゲルが大きな獣に襲われているところにちょうど通りかかった。だから助けて、近くにあったこの小屋に来た。明るくなったら山を降りようと思っていた」
「ちょうど通りかかった、って、近所を散歩してたみたいに言うな。イゲルを襲ったその獣って、ピールだろ。その後はどうなったんだ」
「あれは多分、まだ子どもだった。俺が弓で倒した。道に迷ったイゲルが、ピールの縄張りに入ったんだと思う」
「そうか。縄張りに人が入って、さらに子どもを殺された。だからピールは怒っていたんだ」
「ライアンたちも襲われたのか」
「ああ。危ないところだった。けど、悪いのは、縄張りに入ったこっちの方だ」
ライアンとクロウの会話を聞いていたジン王女が短いため息をついた。
「それで。イゲル」
イゲルが眠そうな目を上げた。
「あなた、裂氷草を探しにミローブ山に登ったの」
イゲルはジン王女から視線を外して、小さく「うん」と言った。
「馬鹿ねぇ」
「だって、アル爺さんが言ってたんだ。裂氷草は本当にあるんだって」
「まだそんなことを…」
「アル爺さんはねぇ、若い頃、ミローブ山の登山道を管理する仕事をしてたんだって。真冬の良く晴れた日にミローブ山の頂近くに登ったとき、崖の氷にひびが入ったところから、ぎざぎざした透明な葉っぱを手みたいに広げている不思議な草を見つけたんだ。その頃は裂氷草のことを知らなかったけど、珍しいから採ってみたいとアル爺さんは思ったんだ。だけど、そこは足場が無くて、その草を採ることができなかった。でも、あれは間違いなく裂氷草だって、アル爺さんは言ってた。みんなは、裂氷草なんて在りはしない、おとぎ話だって言うけど、裂氷草はミローブ山に今も必ず生えている。それがあれば、母さんも助かるはずだって」
「それは…」
「そうだ。アル爺さんに、裂氷草を見た場所の地図も書いてもらったんだぜ」
イゲルはポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃになった紙を広げてジン王女に見せた。書かれていたのは地図というにはかなりお粗末なもので、上の山小屋とミローブ山頂のちょうど中間あたりに×印があり、どうやらそこがアル爺さんが裂氷草を見たという場所らしい。ただ、×印の手前に、オグの滝、と小さく書かれているのが目に入った。
オグの滝なら私も知っている。と、ジン王女は思った。
それほど大きい滝ではないが、三又に分かれ、岩肌を舐めるように落ち、やがて一つになって岩の割れ目に消えていく、どこか神秘的なその滝の景観はとても美しい。だが冬季には凍ってしまっているので、滝の流れる様子は見えない。ジン王女も冬場にオグの滝に行ったことは無かった。
「アル爺さんは、きっと見間違えたんだわ。だって、何百年もの間、何人もの人が裂氷草を探してきたのよ。オグの滝のあたりも誰かが探しているはずだもの。裂氷草なんて、おとぎ話なの。在りもしない草を探して、命を落としてたかもしれないのよ」
「そんなの、行ってみなきゃ、分かんないじゃないか」
「イゲル」
「ジン王女はいいさ。関係ないもの。でも、俺は、母さんに死んでほしくない。病気を治してやりたいんだ。だから、俺はどうしても裂氷草が欲しんだ」
「関係ないなんて言わないで。私もイゲルのお母さんの病気が治ってほしいと思っているのよ。だけど、そのためにイゲルが命を落としてしまうようなことがあったら意味ないでしょ」
「別に、意味とかどうでもいいじゃん。俺は行くんだ」
「イゲルっ」
ジン王女がイゲルの顔を叩きそうな勢いで声を張りあげた。イゲルもまた、掴みかかろうとするような眼で、ジン王女を真っ直ぐ見ている。
二人のやり取りを見ていたクロウが、無言で壁に掛けていた背負袋を取り、中から紙に包んだものを取り出して、二人の前に広げて見せた。
「その、裂氷草っていう草、これか」
クロウが見せたものを見て、ジン王女とイゲルは声を失った。慌ててライアンも近寄り、「嘘だろ」と小声で言った。
その草は、ぎざぎざした葉が四方に伸び、葉の先端には小さな紫色の花弁がいくつも花開いていた。珍しいのは紫色の茎から伸びた葉が、透明に近い薄い灰色をしており、薄紫色の葉脈が血管のように伸びるさまが透けて見えていることだった。
ジン王女が、「そんな…、まさか…」と言って、両手で口を押えた。
「クロウ。あなた、どうやって、この、裂氷草を手に入れたの」
「昨日、あの山を降りるとき、葉が透明な綺麗な草を見つけた。アレフォス島では見かけない草だったから、採ってきた」
「だから、どうやって採ったの。どこにあったの」
「ちょうど、岩がせり出しているところに生えていた。登っては行けないから、岩の間を飛びながら、氷ごと弓で打ち抜いた。運よく登れる岩の上に落ちたから、採ることができた」
「すごいな、クロウ」
「そうか」
ライアンが褒めるのを軽く受け流し、クロウはイゲルの前に膝をついた。
「お前が探していたものがこれなら、持っていくといい」
何がなんだかまだ分からないような顔をしていたイゲルは、それでもなんとか「ありがとう」と小さく言った。
「信じられないわ。でも、見た目からして、言われていた裂氷草に間違いないように思えるわね。なんて人なの、クロウ」
「役に立てたのなら、よかった」
ジン王女に褒められても、クロウの表情に特に変化はないようだ。
「そこにはまだ他にも裂氷草は咲いていたの、クロウ」
「いや。俺が見つけたのは、それだけだ」
「そう」
ジン王女は少し残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直して、
「でも、裂氷草を見つけられたのはすごいことだわ。イゲルのお母さんに、早く薬を飲ませてあげないと。ライアン、さっきみたいに飛んで、グラックス先生のところへ裂氷草を持って行けるかな」
と、ライアンの胸に裂氷草をくるんだ紙を押し当てた。
ライアンはちょっと躊躇ったあと、イゲルの方を見て、「わかった。やってみる」と言って、裂氷草を受け取った。
クロウが少し驚いた顔をして、ライアンの左腕を掴んだ。
「あの時の力を、また使えるようになったのか」
「うん。いや、さっきは使えたんだ。使えるようになったかは、まだよく分からない。でも、行けそうな気がする」
ライアンの腕を掴んでいた手を離すと、クロウは小さく頷いた。見つめるクロウの目を見つめ返して、ライアンもまた頷いた。
山小屋の外はまだ暗く、鼻から吸う空気が刺すように冷たい。
「行ってくる」
三人に見守られながら、ライアンは目を閉じて息を大きく吸った。
考えずに思う。相反するその思考を言葉にするのは難しい。けれども、ザレの力を自分の意志で使うことができたことで、分かったことがある。
コーエン導師、ミテルス導師にリュート導師。スラック教官にジェシカ教官。そして、コバック。
ライアンはスダジイに半ば強引に力を使えるようにしてもらったけど、きっと名だたるエグサの人は、長い修行の果てに、この境地に辿りつくことができたのだと思う。
考えずに動く。
それを例えれば、歩くことに近いかもしれない。歩くのに、いちいち右足を前に出して、次に左足を前に出して、などとは考えない。ただ、前に進もうと思うだけだ。
自分の中にすでにあるものを、意識せずに行使する。簡単なことだけど、それを使うには、やはり相応の修練が必要だったのだ。
『飛ぶ』
目を開いてそう思った瞬間、ライアンの身体は青緑色の光に包まれ、空高く舞い上がっていた。




