東の山小屋
普段から表情を変えないカイラが、いつにも増して厳しい顔つきをしている。
「お話はこっそり聞かせてもらいました。が、ジン王女ひとりで行くことはいけません。許可はできません」
「カイラはイゲルを見殺しにしろって言うの」
ジン王女を真っすぐ見ていたカイラは、腰に手をやるとため息をついた。
「いくら止めても、結局ひとりで行ってしまいそうですね、ジン様は」
「よく分かってるじゃない、カイラ」
「いいでしょう。ただし、条件があります」
「条件」
「はい。先ほどジン様も言っていた通り、人がいない今の状況では、我々だけで捜索隊を組むしかありません。私とジン様、そしてスラックさんとライアンさん、この四人で隊を組みます。この中で、ミローブ山の登山道を知っているのは私とジン様。ですから、捜索隊は私とスラックさん、ジン様とライアンさんの二組に分け、まず東と西の登山道入り口にある山小屋を目指します。今なら、昼前に出発して日があるうちに麓の山小屋に着くことができるでしょう。東西の登山道は上の山小屋で合流していますから、麓の山小屋で一泊して、次の日に小屋を出て、捜索のゴールは上の山小屋とします。そして、捜索範囲は登山道の周りのみ。道を逸れて、山の奥に行ってはいけません」
「イゲルが上の山小屋の先に進んでいたらどうするの」
「ジン様、それはおわかりになるはずです。子どもの足で、その先の雪の積もった山道を行くのは無理です。二つのルートをイゲルを探しながら登り、合流地点の山小屋に着くまでに見つけられなければ、もう、あきらめるしかありません。それに、イゲルがミローブ山に行ったという確証もありません。もしかしたら、家のどこかにいる可能性もあります。そうだといいのですが」
少し考えてから、「わかった。それでいい」とジン王女が言った。それを聞いていたスラックが手を挙げた。
「捜索隊に目の見えない私が入って構いませんか」
「あら。今までの立ち合いで、スラックさんが目が不自由だと感じたことは一度もありませんよ。むしろ、私たちには見えないものを捉えることでイゲルが見つかることに期待しています。もちろん、何か足りないことがあれば私がフォローします」
「ええ。よろしくお願いします、カイラさん」
カイラがライアンに向きなおった。
「ライアンさん。ジン様をお守りください」
カイラの目が、『本当は私がジン王女の側にいなければいけないのに』、と言っているのが分かった。でも道案内は必要だ。王女の護衛を俺に任せてくれたのは、カイラから俺が信頼されているということ。その期待に応えなければいけない、と、ライアンは姿勢を正した。
「はい。俺が守ります」
ジン王女が二人の間に割って入ると口を尖らせた。
「ライアン。足手まといになるようだったら置いて行くからね。自分のことは自分で守れるから」
「うん。足手まといにならないように、ジンを守るよ」
「なんだか言ってることが分かんない」
ぱんっ、とカイラが手を叩いた。
「はい。さあ、そうと決まれば急いで準備をしましょう。なんとか日のあるうちに麓の山小屋に着かなければなりません」
カイラが用意してくれた防寒具を、ライアンたちは大急ぎで身につけた。その防寒具は、鞣したボッサムの皮を重ねて縫い合わせて作られていて、防風、防水性に優れて暖かく、しかも軽い。ボッサムの皮の表面には小さな突起が無数にあり、凍った道で滑らないようにブーツの底にも縫いつけられている。
二日分の食料を背負袋に詰め込むと、ジン王女とライアンは東の山小屋へ、カイラとスラックは西の山小屋へ向かうため、それぞれ王宮奥の東西の出入り口から出発した。
王宮の北側は山の斜面を削って造られており、外に出ると山肌を斜めに登る小さな道がずっと続いていた。ミローブ山は目の前の山のさらに奥にあるそうで、ここからその姿はまだ見えない。もっとも、手前の山も勾配がきついうえに背の高い落葉樹の枝に阻まれていて、山頂がどこにあるのかすら分からない。空は晴れているが、空気は刺すように冷たくて、息をすると喉の奥がひりつくように痛い。風が無いのが幸いだったが、歩く道は何日か前に降った雪が凍りついていて、歩くたびにざくざくと踏みしめる音がした。
「イゲルー。いたら返事をして。イゲルー」
ときどきどこが道なのかわからなくなるような曲がりくねった雪道を、足早に登りながらジン王女が声を張りあげる。雪道を駆けるように登っていくジン王女に、ついて行くのがやっとのライアンも、「イゲルー」とジン王女と呼吸を合わせるようにイゲルの名を呼んだ。二人の声が谷間に虚しく吸い込まれていくと、何事も無かったように静かな冷たい空気が辺りを覆ってしまうことを繰り返していた。
イゲルの名を呼びながら尾根を一つ越え、傾斜が少しゆるくなったところでジン王女が足を止めてしゃがんだ。ライアンが追いつくと、ジン王女は雪道の上を指さした。
「足跡がある。間違いない。イゲルはここを通ってる」
ジン王女の指し示した場所をのぞき込むと、新しい雪の上に刻まれた小さな窪みが、途切れながらも点々と先に続いているのが分かった。おそらく昨日、ここから上は雪が降っていたのだろう。新雪の上の小さな足跡はイゲルのものに違いない、とライアンも思った。
「これがイゲルの足跡だとすると、あいつは本当に一人で行ったんだね」
ジン王女は答えず、足跡をたどりながら歩きだした。
「イゲルはこの山道を知っていたのかな。まあ、そんなことはどうでもいい。急ごう、もうすぐ日が暮れる。もしかしたら、東の山小屋で会えるかもしれない」
「うん、そうだね」
二人は足跡を見失わないように注意しつつ、イゲルの名を呼びながら、足を速めて雪道を登っていった。急な登り道を進むうちに、ジン王女がなぜ道に迷わずに歩いて行けるのかが分かった。山道の所々に、赤い布を幹に巻き付けた木が何本かあることに気がついたのだ。
「木に巻きつけてある赤い布は、この道の目印なのかな」
「あら、やっと気づいたのね」
「さっき見た布は、新しかった。冬でも誰かがこの道を整備しているの」
「うん。ガボアの農園で働く人が、山小屋と山道をたまに見まわってくれてはいるけど」
「じゃあ、もしかしたらその人たちがイゲルを見つけて保護してくれている可能性もあるかな」
「それはちょっと期待できないかな。私たちが冬に山に登ることはまず無いから、見回りも月に一度くらいしかしてないと思う」
「そうなのか…」
「でも、大丈夫。イゲルは案外しっかりした子だから、きっとこの道を知っていて、昨日は東の山小屋に泊まったはず。今ごろは上の山小屋を目指して歩いているか、もう着いているかもしれない。そして今日は上の山小屋に泊まるに違いないから、私たちがこのまま上の山小屋を目指せばイゲルを捕まえられると思う」
「そうだね。…え、夜通し歩くの」
「決まってるじゃない。じゃないとイゲルに追いつけないでしょ」
「でもカイラさんは、次の日に上の山小屋に行くって言っていたじゃない」
「次の日なら真夜中に出たっていい訳でしょ。嫌なら、ライアンは東の山小屋に泊まって行けばいい。私は行くけど」
「な、何を言っているんですか。俺も行きますよ」
「なんで敬語なの」
「いや…、なんとなく」
「着いたよ」
ジン王女の言葉に促されて顔を向けると、ゆるい上り坂を登った先は少し開けていて、その奥に、小ぶりだが山小屋とは思えない石組みの立派な建物があった。近づいてみると建物の周りの雪は凍って固くなっており、その上に大人の古い足跡がいくつかあるだけで、イゲルのものと思われるような足跡は無かった。
二人は無言で目を合わせ、鍵のかかっていない扉を開けて山小屋の中に入っていった。




