離脱と行方知れず
「あーあ」
アルゴがため息まじりに声を漏らしている間に、小舟に近づく光の塊りはどんどん大きくなっていき、その光が船べりに無数に灯された明かりであることが見てとれるようになった。
「おおい、クレス。大丈夫か」
船首に顔を出したガンズの呼びかけに、「ああ、ここだ」、とミロイは手を挙げて応えた。
「ちっ、また監禁生活に逆戻りか」
アルゴがそう呟くと、「さて、それはどうかな」とミロイが笑った。
「どういう意味だ」
「ガンズは、お前たち二人を生かしておくことにずっと反対していたんだ。用済みの者を食わしてやる余裕は無い。とね」
アルゴは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「私はお前たちを殺す気はないが、さて、私ではガンズを抑えられないかもしれない」
明かりに照らされたガンズの顔がはっきりわかるほどに、アルケリオに曳かれた船はもうすぐ傍まで来ている。なるほど、今にもこちらの舟に飛び移ってきそうなガンズの手に、きらりと光る刀が握られているのが見える。
「今のうちに海に飛び込んで逃げたほうがいいのではないかな。この水温で、生きていられればの話だが」
ゼルマンの耳元に、アルゴが顔を近づけた。
「ミロイを盾にすれば、ガンズも手が出せないんじゃないか」
「無駄だと思う。ミロイごと海に叩き落として、ミロイだけ助ければ済むことだ」
二人の様子を見ていたミロイが、にやっ、と笑った。
「さあ、どうする。ガンズに斬られるか、自ら海に飛び込むか。考えようによってはお前たちを解放することになるな」
アルゴが喰いしばった歯が、ぎしぎしっ、と呻いた。
「しょうがねぇな。ガンズも道連れに、海の藻屑と消えるとするか」
ガンズの言葉にゼルマンが頷き、二人が腰の小刀を抜いて身構えたとき、ふいにミロイが、がくっ、と片膝をついた。歯を食いしばりながら顔を上げたミロイの眼から、黄色い光が消えていき、かわって青白い光がその瞳を満たしていった。
「逃げてーっ」
叫びながら突きだしたミロイの両手は青白い光に溢れ、アルゴとゼルマンの腹を、どんっ、と押すと、その衝撃で二人は体をくの字に曲げながら宙に放り出された。
ミロイが触れた二人の腹から眩い光が輝きだし、その青い光がみるみる二人を包んでいく。
宙を舞いながらゼルマンがバランスをとろうと両手をくるくるとまわしていると、身体にまとわりついた光が手の動きに合わせて回りだし、やがてそれは渦を巻いた光の球体になっていく。
ゼルマンが手を伸ばして横を飛んでいたアルゴの手を掴んで引き寄せると、渦巻く光の球体は益々大きくなっていき、二人をすっぽりと包み込んで飛び続ける。二人を包む光る球体はゆっくりと降下して海面に落ち、そこで大きく跳ね上がった。空高く舞い上がった球体は風に煽られてさらに高く飛んでいく。そして空を覆っていた分厚い雲の中に入っていくと光すらも見えなくなり、辺りは何事も無かったようにさざめく波の音だけが聞こえていた。
「なん、なんだったんだ、今のは」
光る球体の行方を呆気にとられて見送っていたガンズがそう呟き、視線を小舟に戻すと、ミロイが倒れて船に揺られているのが見えた。
場所は、王宮の地下にある競技場に変わる。
ここではライアンとジン王女、イゲルとマイトラに、たまにカイラも加えた五人に、アレフォス島から来たメンバーを加えたパラレの修行が、一日の休みも無く続けられていた。
もっとも、アレフォス島の四人のうち、常に修行の輪に加わっているのはスラック教官だけである。
ジェシカ教官は、初日の宴の席で酔っぱらって絡んだことをピガンダ隊長に謝りに行ったついでに、王宮守備隊の稽古を見学させてもらっているうちに守備隊の指導に口を出しはじめ、今やそっちの方に熱が入ってしまっているようだ。やはり、先生役が好きな性分なのだろう。ゴダール島でも、『闘魂の美獣』と呼ばれる日も近いに違いない。
ココは修行よりもゴダール島の料理に興味が湧いたらしく、ここでもパンが作れないかと思いたったようで、王宮の厨房に頻繁に出入りしている。気が向くと、闘技場にふらっとやってきて修行の輪に入るのだが、練習もしていないココが意外に強かった。スラック組で、ミロイとクロウとともに最後まで残ったのはまぐれではなく、体の柔軟性とキレ、組手で相対したときの勝負勘に適応力、エグサにはなれなかったが、才能でいえばココの方が上だとライアンは改めて思っていた。
一方、こちらも天才的な野生児ともいえるクロウは、「島じゅうを見て回りたい」と言って出ていったきり、帰ってきていない。山にはピールという猛獣がいるらしいから危険だよ、とライアンが教えてあげたが、「問題ない」、と言い残して出ていった。森の中で気ままに行動する方がクロウの性分に合っているのだろうが、「島のあちこちを見回って、異変がないかどうか確認するつもりなのでしょう」、というスラック先生の言葉を聞き、なるほどクロウならそう考えているのかもしれないけど、単に独りでいたいだけなのではないか、とも思うライアンであった。
さて、ライアンはというと。
手足に重りをつけた状態で、ジン王女にカイラ、スラック教官との手合わせを十分に渡り合えるようになっていた。
まだまだ一本を取ることはできないが、少なくとも強烈な打突を喰らって負けるようなことはなくなった。パラレの技量は確実に上がっていたし、グラックス先生の言ったとおり、パラレの修行をこなしているうちに体の痛みはほとんど無くなっていて体調もいい。ザレの力に順応する身体づくりはほぼ出来上がってきているように思えるのだが、そのザレの力が現れることは無かった。
意識してもザレの影を感じることはできない。それはもともとそうなのだが、パラレを励んでも少しもザレの力を感じることができないのは、逆にパラレの修行がザレの力を押さえこんでしまっているのではないかとさえ思える。
もしそうだとすると、このままパラレの修行を続けることに意味はあるのだろうか、などとも考えてしまうのである。
と、今もそんなことを考えながら、ジン王女とスラック先生の手合わせを眺めているところへ、マイトラが血相を変えて競技場に飛び込んできた。
「イゲルが…、イゲルが昨日から家に帰ってきてないんだって」
咳き込みながら話すマイトラに、ジン王女がまず水を飲ませて落ち着かせてから話を聞くと、事の次第がわかってきた。
イゲルの家は、多くの漁師を抱える網元の家だ。小舟を操つる沿岸部での漁や、大型の漁船で遠洋に何日も繰り出して漁をしたりもする。
家を取り仕切るイゲルの兄は、ルナデア襲来という国難への対応に協力せよとの王宮からの要請を受け、去年新造したばかりの大型漁船一艘と乗組員を拠出してルナデアとの戦いに協力することにした。イゲルの兄を含めた乗組員たちは、この数カ月、イゲルの家に寝泊まりし、アイザックの父、マックス・ドランを大将とする海軍の訓練に毎日のように参加している。大勢の者たちの食事や洗濯、様々な要望はイゲルの母が中心となって切り盛りしていた。
もともと体が丈夫でなかったイゲルの母は、あまりの忙しさに無理が重なって数日前に高熱を出して寝込んでしまい、今は意識も朦朧とするほど容体が悪いらしい。急遽呼ばれて往診に来たグラックス先生はイゲルの母を診て、「心の臓が弱ってきているので、もう長くはもたないかもしれない。せめて私の作った薬を飲んでくれたらと思うが、すぐに吐いてしまう。身体が受け付けないほど弱ってしまっている」、と誰かに話しているのをイゲルは聞いてしまった。
呆然として屋敷の中をうろついていたイゲルは、ふとしたことで漁師たちの会話を耳にして、それから姿が見えなくなった、と、女中たちが話しているのをマイトラは聞いたのだそうだ。




