目論み
酔っぱらった見回り役が、単に大きな荷物を気にしただけなのか、何か疑いの目を持ってそう言っているのかは分からなかった。
「誰かが寒さしのぎに使ったのか、毛布の束が置いてあったんで回収してきたんだ、大したことじゃない」
つとめて平静に、アルゴは答えた。
二人は背中に神経を集中させたまま、足を止めずにその場を離れていく。いつ、もう一度声がかかるかと、内心びくびくしていたが、男は何も言わずにもと来た方に帰っていったようである。
ゼルマンが、ふうぅ、と吐いた息が白く立ち昇った。
辺りを警戒しながら足早に歩いて行くと、その後は誰にも会うことなく、目的の小舟が係留されているところまで行くことができた。
ミロイを舟の上に下ろし、杭に止めてあった綱を解くと、アルゴとゼルマンは舟の両脇で必死に櫂を漕ぎはじめた。薄い雲の切れ目から弓なりになった細い月が見えるが、辺りは暗く冷たい空気に満たされていて、お互いの顔がぼんやり見える程度だ。黒々とした島影を背に、入り江を出て外海に出ようと、二人は黙々と櫂を回しつづけた。
しばらく行くと、波が高くなってきた。
「どうやら、無事に外海に出ることができたようだな」
「ああ」
櫂を漕ぐ手を止め、アルゴは舟の真ん中にある柱に付けられた小さな帆を張りだす作業に取りかかった。
「ゼルマン、ミロイの様子を見てくれ」
アルゴに言われ、ゼルマンはミロイをくるんでいた毛布を剥いだ。目を瞑っているが、ちゃんと息はしている。
「まだ気を失っているけど、大丈夫そうだ」
アルゴは頷いて、帆の位置を調整しながら舟の後ろを振り返った。
「夜明けまでに、島からできるだけ離れておきたいところだな」
「こんな小さな舟で、ほかの島に辿り着けるのかな」
「わからん。が、やるしかないだろ」
ぼんやりと辺りを照らしてくれていた細い月が雲に隠れ、ものが見えるのは身の回りだけで、濃い闇が続く海の上はどこが水平線かも分からない。小さな帆が風を受けて舟を前に進めているが、向かう方向は風まかせだ。風と潮の向きで、もといた島に戻される可能性もある。舟のへりに当たった波しぶきは、痺れるように痛い。木の葉のように頼りないこの小舟で、もしも大きな横波を喰らって転覆したら、氷のように冷たい海の中ではすぐに死んでしまうだろう。
やはり、この計画は無謀すぎたのではないか、とゼルマンが少し後悔しはじめていたとき、毛布から顔だけ出していたミロイが、ごほごほっ、と咽て目を覚ました。
「気がついたかミロイ、大丈夫か」
まだ意識がはっきりしないのか、目を泳がせながらミロイが体を起こした。ゼルマンに虚ろな目を向けたミロイが、ぶつぶつ、と小さな声で何かをしゃべりはじめた。
「おい、アルゴ。ミロイの様子が変だぞ」
帆の向きを変えながら、「薬が強すぎたのかもしれないな。正気に戻るまでに時間がかかるんだろう」とアルゴが言った。
そんなこともあるのか、と思いながらゼルマンが見守っていると、ふいにミロイの目が妖しい黄色に染まりはじめた。その眼に射すくめられて強ばったゼルマンの耳に、ミロイではない人の声が響いてきた。
「ゼルマン。随分と大胆なことをしたものだな」
ミロイは後ろを振り返って笑った。
「いや。発案者は、アルゴか」
薄闇に黄色く光るミロイの眼を見たアルゴは、ちっ、と舌打ちをした。
「こんなに離れていても、心を乗っ取れるのかよ」
「私とミロイは繋がっているのだ。距離は関係ない」
ミロイはゼルマンに向きなおり、素早くゼルマンの首を掴むと絞めあげた。苦痛にゼルマンの顔が歪むが、声がうまく出せない。
「アルゴ、舟を戻せ。さもないと、ゼルマンが海に落ちることになるぞ」
船べりに顔を押しつけられているゼルマンの様子を見ながら、「そう言われてもなぁ。この暗闇じゃあ、どっちが島か、もう分からないしなぁ」と、のんびりと呟いた。
「それによぉ、クレスさん。いまゼルマンを海に落としたら、腕をしっかり掴まれているあんたも、一緒に海に落ちることになるぜ。この冷たい海じゃあ、大事なミロイもすぐに死んじまうだろうな」
しばらくゼルマンを見ていたミロイは、ふっ、と笑うと、ゼルマンの首にかけていた手を緩めた。
「アルゴの言うことも一理あるな」
咳き込みながらミロイから距離をとったゼルマンの横に、アルゴが座ってミロイに向きなおった。
「あんたらが、光石を集めて何をしようとしているのかは知らないし、知りたくもない。俺たちは、あんたらが光石を集めるのを邪魔するつもりはない。だから、もう俺たちを解放してくれないか。ミロイが光石を扱える稀有な体を持っていたとしても、強いあんたらなら、ミロイ抜きで他の光石も集められるだろ。ミロイがいなきゃ、集めた光石を使えない、なんて野暮なことは言うなよ。そもそも、ミロイがいない状態でこの戦いを始めたはずだ。光石を扱う策は、他にもあるんだろ」
「それはできないな。ミロイは光石に対する順応性が驚くほど高い。それは稀有なことなのだ。我々の目的の達成のためには欠かせない存在に、すでになっている」
「だから、あんたらの目的とやらに、俺たちは関係ないだろ」
「もう、お前も深く関わっているのだよ、アルゴ」
「あんたらが、勝手に関わらせたんじゃねぇか」
ミロイはそこで、ひとつ大きなため息をついた。
「人間は、自分本位で身勝手な、欲望の塊りだ」
「あんたはそうかもしれないけど、俺はそんな大胆な欲望は無い」
「ふふ。お前も欲があったではないか。自分には、もっと他の人生があるのではないか。もっと、いい暮らしができるのではないか、と、思っていたのではないかな」
「それは…、そうだけど、でも俺は他人を傷つけてまで、自分の欲望を満たそうとは思わねぇ」
「そうかな」
少し微笑んで、ミロイはアルゴを真っ直ぐに見つめた。
「もしも、お前や、お前の大切な人が襲われたら、お前は襲ってきた奴と戦うのではないかね。そうしたら、お前は相手を傷つけてしまうかもしれない」
「それは当たり前だろう。守るために戦うのと、勝手に攻めて戦うのとじゃあ、訳が違う」
「人を傷つけることについては同じだと思うがな」
「いやいや、まったく違うだろ」
「では、どちらの側に正義があると思う」
「な、なに、正義、がどうしたって言うんだよ」
「お前らの祖先が、光石を勝手に我が物とし、子孫たちがその恩恵を享受し続けてきたのは、果たして正義なのか」
言い返そうとするアルゴだったが、口をぱくぱくさせるだけで声が出なかった。
「もういい、アルゴ。こいつと議論しても時間の無駄だ。俺たちとは考え方が違うんだ」
手で制したゼルマンは、「それに」、と言った。
「クレスも、そう長くはミロイと同化していられないだろう。同化は、術者にもかなりな負担がかかるようだ、とミロイが言っていた。光石を持たないミロイなら、俺たち二人で抑えられる。このまま行けば、やがてクレスが離れ、ミロイが戻って来るさ」
ゼルマンの話を聞いていたミロイが、ふと視線を遠くに向けた。
「どうやら、お前たちの目論見は、上手くいかなかったようだな」
振り返り、ミロイの視線の先を追った二人の目に、小さな光の塊りが暗がりの向こうで上下に揺れているのが見えた。そしてそれは、だんだんと大きくなってくる。
「アルケリオ(亀に似た大型の海洋生物)は、鼻が利く生き物でな。こうゆうこともあろうかと、三人の臭いをあらかじめ覚えさせていたのだ」
二人は顔を見合わせ、アルゴが自分の脇の臭いを、くんくん、と嗅いで顔をしかめた。




