【カーチ】不意の訪問
レサンの足音がした。
気がした。
いつもの、夢。
見ている分には、いい夢。
起きて悪夢になる。
レサンはこの家にいない。
僕らの両親とレサンは微妙な関係にある。
いや、全てのエルフとレサンは微妙な関係にある。
レサンがいなければ、次世代を作ることはできない。
でも、彼らはレサンに流れる血を憎悪している。
レサンは、レサン。そこに流れる血は関係ない。彼らにはそれがわからない。
だから、僕とレサンはここに家を構えた。
エルフの居住地域の外れ。かつては、このなだらかな丘を越えたら「人間に見つかるよ」と子供たちは脅されたらしい。
その丘の上に、僕らの家はある。
一年と少しレサンはこの家からギルドに通った。その後、何十年も僕がそうするようになった。
この家からギルドへの道だけが、下草も生えずはっきりと浮かび上がっている。
昨日は、ギルドに行かなかった。
レサンの顔が見たかった。
でも、この家を守っているのは僕だから。綺麗に、いつでもレサンが帰ってこれるようにしておかなきゃいけない。
久々に全部の窓を開けて、掃除をした。
そして、食料の買い出しに行く。僕の分だけ。
わけもわからずレサンがいなくなった後、しばらくはレサンも分も買って、料理を作って待っていたんだけど。
流石に、やめてしまった。
澱んだ空気は綺麗になったけど。
この家を包んでいる、寒々しい空気は消えない。
かつてあった音が全くない。
レサンがバタバタと急いで準備をする。僕も急いでレサンの昼ごはんを作って渡す。ぎこちなくしばらくの別れを惜しむ挨拶を交わす。
そして、僕が静寂に取り残される。
かつて、晩には破られたその静寂が、ずっと僕にまとわりついている。
今日はギルドに行かないと。一日足を伸ばさないだけで億劫になる。
目隠しは、レサンの明るさを感じたくないから。目が見えないとか、そういうのはもうどうでもよかった。
最初はそうだったんだけど。今では、レサンを見たくないがためにそうする。
それでも、痛いほどレサンを感じて。自分を責めるレサンにかける言葉を僕はずっと探している。
静寂は答えをくれない。
静寂を破って、僕の咀嚼が響く。昨日の残り物にサラダ。
ザクザクとサラダを噛む音だけが響く。
レサンがいるなら、もっと何か作るのになぁと思う。あるいは、レサンが何か作るか。
お腹はいっぱいになるけど、心は満たされない。
レサンの料理が食べたくて、その欲求を今日も押し殺す。
億劫と渇望だけが増す。
それでも、レサンに会いたいから、今日も家のドアを開ける。
レサンがいた。
ノックをするのを迷ったような、そんな姿勢でレサンが固まっている。
あぁ、と思った。
また期待してしまう。また渇望が増す。
あなたが本当に現れたら。いつもの悪夢にも平静でいられない。
あの悪夢を見るたびに、レサンがそこに立っていることを期待してしまうようになる。
「おはよう」
僕の口から出てくるのは、そんな平静を装った言葉。抱きついてその存在を確かめたい渇望を、押し殺す。
「……おはよう」
ほら、言葉だけでも痛いくらいに分かるでしょう。レサンの苦しみが。
どうしたら、その痛みを癒せるのか、僕には分からない。
「……どうしたの?」
「……うん、北部で空エビが群れてて」
分かりきったことだけど、やっぱりギルドの用だった。
僕を避けているレサンが、それでもここまでくる。その用事は分かりきっていたけど。
また一つ、期待が弾けて消える。
レサンが帰ってきたわけじゃない。訪ねてきてくれたのでもない。昨日行かなかった僕を心配してくれたわけでももちろんない。
「そう」
僕はレサンに触れたい渇望を押し殺して素っ気なく言う。
かつて二人の家だったはずなのに。
レサンは、決してドアのこちらに入ろうとしない。
それでも、僕は言う。
「柚子茶、飲んでいく?」
誘いの言葉。
せっかく、昨日綺麗にしたところなんだから。いつでも、レサンは帰ってきて大丈夫なんだから。
「いや……いい」
レサンの分の食事がないことを知られなくて良かったと、思いのほかに僕の中に生まれた安堵に、僕は存外に傷つく。
そして、レサンの言葉の中の迷いに、また僕は期待する。
「そっか、また今度ね。いつでもいいから」
期待を繋げようとする。レサンは答えない。その代わりに、一歩下がって、僕に空間を譲ってくれた。
そのまま、ドアを閉めて鍵をかけた。
レサンの髪が、僕の肩の向こうで言葉に迷うように揺れている。
その髪に触れたい渇望を、押し殺す。
昔々は鍵なんてかけなくても良かったらしい。
でも、そんなのは遠い昔だ。
エルフと人間の軋轢は深い。人間がどんどん忘れても、エルフはそうも言っていられない。
この辺だって野盗は時々出る。そんな奴らは壁を壊すんだろうけど。
僕の鍵は、この家を僕たちのものにしておくための鍵。
今は、レサンはこの家の鍵を持っていないんだけどね。チャリンと、意味もなくペアにされた鍵が僕の手の中で音を立てる。
二人でギルドへの道を歩いた。
レサンは喋らなかった。僕は喋れなかった。
そよそよと迷いに揺れるレサンの髪に触れたくて仕方なくて。それを押し殺すのに必死だった。
身を焼くような、焦ったさ。
でも、きっと僕は耐えられない。これ以上、レサンが僕から離れていてしまったら、どうにかなってしまう。
そのほうが、楽なのかな。でも、もし僕の気が狂ったり、僕が死んだりしたら、レサンが悲しむだろうから。
身体に宿る熱を解放することは、できない。
町壁が近くなって、僕らにのしかかるように影を落とす。
つぎはぎの家が姿を表す。嵐が来たら吹き飛ばされるけど。
それでも。ちゃんと人が住んでいて、十二分に役目をまっとうしている。
僕が住んだことのある家といえば。
生家は確かに安心できる場所だったけど、レサンを寄せ付けずレサンが寄り付かないそこに僕が帰ることは多分もうない。
兄さんと連れ立って、家に帰らなくなってからどのくらい経つんだろう。ともかく、レサンと遊ぶ僕たちと、それを厭う親族。話が噛み合うことの方が少なかった。
ただ、生まれた家というだけ。
だからかなぁ、ちゃんと家族らしいことをしてこなかったから。レサンともうまく行かないのかな。
軋む心を誤魔化すように、言葉を作る。
「北部って、僕一人?」
嫌だなぁと思う。
レサンとこうして会うと苦しいけど。でも、会わないのはもっと苦しい。
どのくらい、かかるんだろう。北部のどこだろう。行くだけで3日くらいだとして、往復だけで6日。討伐に……。二週間くらいかな。レサンに会えないのは、辛い。
「えーと……」
言い淀むレサンに、胸が期待で弾んだ。
あぁ、駄目だ。駄目なのに。期待したら、駄目なのに。
「ケンゴとイライジャと……」
レサン以外はどうでも良かった。
消える語尾に、胸が高まる。
「あと……私……」
嬉しかった。
それと同時に、二週間もレサンと時間を共にする恐怖がきた。
嫌われたら? もっと嫌われたら?
どうすればいい?
「一人じゃないんだね、安心した」
沈黙を恐れて出た言葉。
一人で空エビの討伐は荷が重い。それとも、レサンと二人きりは嫌だ。
どちらに聞こえたか、不安になった。
「レサンと行けるなんて、嬉しい」
言葉を重ねて誤魔化す。
レサンは不意に無言になって、もう近くなったギルドへ小走りに逃げた。
また、傷つけてしまったかな。
また、嫌われたかな。
「っ、ケンゴ、早くない?」
レサンがギルドに入ろうとして、立ち止まった。
その影に隠れてわからないけど、ケンゴがいるらしい。
なぜかブルエモンに来た新米の冒険者。なぜか、レサンと一緒に3日もいたやつ。
ちょっと話しただけだと、いい人みたいだけど……。でも、レサンの関心が彼に集中してるのは、気に食わない、かも。
不意に、彼が言った。
「レサンさん走ってきたんですか?」
レサンが言葉に詰まる。
「耳まで真っ赤ですよ?」
ケンゴの言葉に、レサンは答えない。その様子に彼が不思議そうにしている。
その沈黙に僕が耐えかねた。
「レサン、ごめんね? 不快にさせたなら……」
声をかけた瞬間、レサンの髪と身体に抱きしめられた。
心臓が、はねる。
「ちょ、キー!?」
レサンが第三者の名前を呼んだ。
「誰……?」
「あぁ、俺のテイム魔物ですよ?」
ケンゴの声とともに、足に何かがまとわりつく感触があった。
思わず悲鳴をあげて、レサンに縋り付く。レサンの髪が僕の体重を受け止めてくれた。
レサンは優しいから。こんな僕でも優しく包んでくれる。
身体の熱を抑えて、誤魔化すようにしゃがみ込んだ。
手を伸ばすと、不思議な感触に触れた。たぷんたぷんと揺れる水風船のような。
両手で探るとどうやら丸い形をしてるらしい。
つるつる。僕の手のひらに、その面がぽんぽんと当たる。
んー? 僕に応えてくれた?
「カーチ?」
呼ばれた。
「喋るの?」
「あー、喋ります。キーやん、カーチさんであってるぞ。すみません、こいつ目がないので」
応えたのはケンゴだった。
「ふーん、僕と一緒で見えないんだね」
タプタプの表面を掬おうとすると逃げていく。
レサンの髪が僕の肩に触れる。
「あぁ、ごめん。レサン、こういう不思議なの好きだもんね。どうぞ」
場所を譲ろうとする、その動きも止められた。レサンの髪が、固く突っ張る。
「……?」
疑問を態度で呈する僕の隣にレサンがしゃがみ込む。なぜかピッタリと密着してくるレサン。
その体温に、僕の中の熱も増す。
しばらく、そうやって二人でケンゴのテイムドを撫でた。
僕が熱をなんとか押し込むまで。




