第10話:月明かりに揺れる影
第10話:月明かりに揺れる影
その夜、ミリアはなかなか眠れなかった。
アルヴィンが星空の下でこぼした言葉が、何度も胸の中によみがえる。
『君がいなくなったら、僕はどれほど寂しいだろう』
あれは、どんな気持ちで口にした言葉だったのだろう。ミリアには、まだわからない。ただ、彼の声を思い出すたびに胸が温かくなり、同時に、どうしようもないほど切なくなった。
好きだと伝えたい。
けれど、猫の姿では人間の言葉を話せない。彼の腕の中で喉を鳴らしても、前足を重ねても、伝えたい想いのすべてを届けることはできなかった。
ミリアは籠から抜け出し、窓辺へ向かった。厚いカーテンの隙間から、月明かりが床に差し込んでいる。窓の外では、夜風に揺れる木々の影が庭園を静かに覆っていた。
その光の中に立ったとき、ミリアの体に奇妙な感覚が走った。
毛並みの奥が、内側から淡く熱を帯びる。足元がふらつき、視界が揺れた。
――なに……?
ミリアは窓辺に前足をついた。けれど、月明かりの床に映った影は、見慣れた猫の形ではなかった。
細い腕。肩から流れる髪。人間の少女の輪郭が、猫の影に重なるように浮かび上がっている。
ミリアは驚き、後ずさった。影もまた揺らぎ、月の光に溶けるように消えていく。
その瞬間、寝室の扉が開いた。
「ミリア?」
アルヴィンが駆け寄ってくる。彼はミリアのそばで足を止め、床に伸びる影を見つめた。
「今のは……」
ミリアは答えられず、彼を見上げる。心臓が速く鳴っていた。アルヴィンの顔から、驚きが消えない。彼はもう、彼女が普通の猫ではないことに気づいていた。
「君は、一体……」
その言葉の途中で、ミリアの体から力が抜けた。
アルヴィンはとっさに彼女を抱き上げる。ミリアの体は小刻みに震えていた。彼女の姿はまだ子猫のままなのに、腕の中の重みがふっと薄くなった気がした。
「しっかりしてくれ、ミリア」
アルヴィンの声に、恐怖が混じる。
「どこか痛いのか? いなくなったりしないよな?」
その問いに、ミリアの胸が締めつけられた。アルヴィンも、自分を失うことを怖がってくれている。そのことが嬉しいのに、彼の腕から消えてしまうかもしれないと思うと、足元が崩れるようだった。
ミリアは彼の胸に顔を押しつける。小さな前足で服をつかみ、離れたくないと伝えた。
「大丈夫だ。ここにいる。僕がそばにいるから」
アルヴィンは、壊れものを扱うように彼女を抱きしめた。けれど、その腕には確かな力がこもっている。ミリアを離すまいとするように。
窓辺の月明かりが、二人を白く照らしていた。
ミリアはアルヴィンの胸に耳を寄せる。鼓動は速く、彼の不安が伝わってくる。彼女は一生懸命に喉を鳴らした。ここにいる。あなたのそばにいる。だから、そんな顔をしないで。
アルヴィンはミリアの頭を撫で、何度もその名を呼んだ。
「ミリア。大丈夫だ、ミリア」
その声を聞くたび、彼女の胸の奥で、忘れていた記憶が微かに揺れる。
いつか、人間の声で自分の名を呼ばれたい。
猫としてではなく、ひとりの少女として、もう一度だけ――。
ミリアはアルヴィンの腕の中で目を閉じた。月明かりに揺れた少女の影は、窓の外で静かに消えていた。




