第50話 リーリャ、掃除をする
「こうして掃除をしていると、少し前に戻ったみたいで安心するんだニャ」
純白の聖女服の上に頭巾を羽織ったリーリャは、同じく頭巾を羽織りながらほこりを叩くフィリーを見てかすかに笑みを浮かべた。昔を懐かしんでいるようなその表情は、どことなく寂しそうではあるが、悲壮感は見受けられない。
過去の思い出は過去の思い出として、懐かしく思うことがあれど、戻りたいと思うことはない。それは彼女が今幸福を心の底から感じているからで、かつては戻りたいと感じたことは数え切れないほどあったものだった。
いつもより長めに祈りを捧げていたリーリャは、祈りが終わるとこうしてシスターとともに教会の掃除を始めた。いつもは祈りの時間が朝食前であり、朝食後には別の仕事があるためできていないが、本来掃除は神への感謝を伝える一つの手段であるとして、教会では祈祷後にこうして掃除をするのが習わしだ。
位の高い聖女であれど、神に使える身である点は同じもの。用事がなければこうして共に掃除をする。
彼女が教会に勤めていた時間は長い。聖女になって外回りが多くなったといえど、日々教会で祈りを捧げ続けていて、王都のみならず地方の小さな教会まで幅広く回ったものだ。
ということもあり、まだできたばかりのこの教会を熟知しているかのように、はたきを使って器用にほこりを落としている。
リーリャは大体の教会は作りが同じだから、どの場所でも掃除をする手順や感覚はそんなに変わらないと言うが、フィリーからすれば大小様々な教会があるわけで、それがどの程度管理されているかもそれぞれによって異なる。
その環境にすぐ適応して祈りを捧げ、掃除までしてしまうのはさすがだと。
「きれいになったニャね」
「聖女様、お疲れ様です」
「お疲れ様ニャ。いつもきれいに教会を管理してくれてありがとうニャ」
「いえいえ、こうして聖女様が毎日祈りを捧げてくださっていますから、たいした汚れも付かずにきれいに保たれています。こんな豪華な教会は王都以外にはありませんよ」
毎日の教会での祈祷は、そのときにその教会にいる最も高位な者が取り仕切ることになっている。聖女、神父、聖女見習い、修道士などなど、教会に携わる者達の身分はかなり細密で、神父、聖女見習いといった身分の中にも上下関係がある。
その中でも特に身分の高い聖女は絶対数が少ないわけで、聖女が毎日祈祷を取り仕切っている教会はほとんどない、というかないと言い切ってしまってもいいだろう。
リーリャはウチはもう聖女ではないと言うが、あくまでレミスト教に管理されている聖女ではないだけで、実力はレミスト教の聖女と大して変わりはないし、世間一般の評価も聖女と変わりはない。
この教会は新築であり、毎日の祈りは聖女であるリーリャが取り仕切っている。リーリャがいないときでも聖女見習いが何人か同行しているため、十分な祈りは捧げられる。
その聖女見習いはレミスト教から派遣されているというのだから、リーリャの存在はかなり曖昧なものだ。
「仕事後の散歩は気持ちいいニャねぇ」
「そうね。こうしてお休みをもらっちゃって申し訳ないわ……」
「別にいいんだニャ。フィリーが休めば使用人のみんなも休みやすくなる。休みを取らないとパンクしちゃうニャ」
掃除を終えた2人は屋敷の敷地内を散歩することにした。この周辺には子供達のいる村以外に人が住んでいるところはなく、土地が有り余っている。そういうこともあり、敷地はとにかく広い。
中央に湖があり、その周辺には雑木林があり、そのさらに外側には草原のような者が広がっていて、土地の中には川が流れ、川のすぐ側、一部エリアには湿地が広がる。
そんな広大な土地の中で、それぞれ適した場所に施設が立地していて、それぞれの専門家によって運営され、王都からの資金で研究が進められている。
フィリー達が住む屋敷や先ほどの教会以外にも、使用人用の住宅、研究棟、果樹園、薬草畑などなど、とにかくたくさんの施設が設置されている。王都にある研究施設のほとんどが、この場所に研究員を派遣している。
そして、その研究員は今も増加し続けている。一度で全員やってくるのは難しいため、フィリー達が到着してからも定期的に王都からの馬車がやってきていて、その中には食料や注文していた物資以外にも、研究員や使用人が乗り込んでいる。
逆に研究成果を持って王都に戻る研究員もいるが、そうした研究所は別の人員をまた派遣してくるため、絶対数が減ることはない。
これだけの大規模な施設を維持するためには相当なお金が掛かっているが、王宮以外にも研究者のパトロンであった貴族達や学院などから支援金が出されていて、それとフィリーの領地の税金を併せて運営している。
果樹園や作物用の畑で研究された研究成果は、今後の王国における食料生産に大きく関わることになるし、周辺の地形調査の結果は、今後の領地経営に関わってくる。今すぐに利益が出なくとも、長期的な目線で出資をすることは大切だ。




