第37話 リーリャの午前中
「リーリャさん、朝食の準備ができましたよ」
「ありがとうニャ。すぐいくニャ」
翌日、リーリャは湖畔にある教会で祈りを捧げていた。
教会から脱退したとは言え、リーリャには今も聖女であるという意識があって、神の信徒であるという認識を拭うことはできない。
それが良いことか悪いことかと聞かれると、いいことなのだと思う。レミスト教は他者を排斥する邪悪な宗教ではない。少なくとも彼女やその周囲の人はそう思っていて、事実誰かを迫害している実体はない。
神に祈りを捧げるのは自由で、それで個人の行動が品行方正になるのであれば問題はない。
リーリャ用に整備された教会は、白を基調とした美しいものである。教会というものは毎朝そこに使える者達の手によりピカピカに磨かれるものだ。
それでもその白は少しずつ黄ばんでいって、純白ではなくなる。それを穢れとして一度崩して再建するほど予算が潤沢ではないが、やはり純白の教会の方が好まれる。
表現として適切なのかどうかはわからないが、この教会はいわゆる築浅物件だ。純白の建物、南側に設置されたステンドグラスからは太陽の光が入り込み、部屋をわずかに色づけている。
聖女は処女しか成れないと言うが、全くそのような慣習はない。そんなところまで管理するほど、教会は下世話な組織ではない。ただ、そういうイメージがあるのだから、リーリャの恋人がフィリーでよかったと言えるだろう。
そんな清廉潔白に身を包まれる彼女は胸の前で組み合わせていた手をほどくと、両手を上に大きく伸ばしてゆっくりと伸びをした。
彼女の目線の先、窓から差し込む光は神像の頭の辺りに当たると、彼の者の頭頂はその光をまぶしく反射した。
神様に対して不敬な考えを持ってしまったリーリャは、笑いをこらえながら足早に教会を後にする。キラキラと光を反射する湖面、さわさわと揺れる林の隙間から太陽光が注ぎ、世界は明るく色づいたように輝いていた。
「リーリャ、今日の予定は?」
「ん? ウチは今日子供達の教材の手配をするニャよ。オストリアで集められるものは集めて、足りないものは自作ニャね」
「そう。じゃあ執務室に籠もるのね」
「そうニャね。ウチも仕事をしないと」
昨晩、しばらくは屋敷にいて仕事をするとフィリーに話したとき、フィリーの表情は呪いから解放されたかのように明るくなった。
聞くと、こちらに来てしまった影響もあり書類仕事が山ほどあるそうな。フィリーはこの土地を直接治めるという名目でこちらに来ていて、事実これから領地経営の舵を自らで取っていかなければならない。
貴族はお茶会を開いて、舞踏会を開いて、オペラを鑑賞して鷹狩りをして。一生遊んで暮らしている、なんていう失礼な噂もあるが、そんな生活をしているのはごく一部の成金貴族だけだ。
領地という大規模な会社のような組織を経営していくのに、しかもそれがほぼ独裁体制のように維持されているのが現状の制度なのだから、トップが暇なわけはない。
そしてフィリーは王女殿下。それで将来の王妹だ。領主としての仕事以外にも、国政に関する仕事だってある。彼女はまだここに来てから数日だというのにかなり疲弊してしまっているらしい。
「リーリャ成分が足りない。昨晩は早く寝ちゃったでしょ? 今晩は、わかるでしょ?」
「わかったニャぁ……、でも手伝ってよ? ウチにも仕事があるんだニャ」
「わかってるわかってる。そっちも私の仕事を手伝ってよ」
「どれくらい手を貸せるかはわからないニャけど、善処するニャ」
そう言うと王女様とは思えないマナーでハッシュドポテトを口に入れて、先ほどまでナイフを握っていた手のひらをリーリャの太ももの上に添える。
「お昼は一緒に、だからね?」
「わかってるニャ、一緒にお仕事頑張るニャよ」
そう彼女の頭を優しく撫でると、その腕の下からヌルッと顔を出し、そのままリーリャに抱きついた。
その様子がかわいくて幸せで思わず頬を染めてしまうが、ここは食堂だ。場所をわきまえてほしい。
チラリと横目で侍女のトレイシーさんを見ると、じっと目を閉じながら真顔で扉の側に立っていた。リーリャはフィリーのプレートの上がすでに空になっていることを確認すると、そのままフィリーを抱きかかえ、食堂を後にした。
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