第32話 エルビアと冒険の書
「じゃあまず適当に構えてみるニャ……、といいたいところニャけど、そろそろニャね」
早く剣を扱いたい様子でうずうずしているフィルマを一度制止し、ゆっくり歩いてエルビアの方へと向かう。先ほどから少し疲れたような表情をしていたエルビアは、じっと座っていた体を不規則にふらふらとさせていた。
リーリャは手に持っていた剣を鞘にしまうと、エルビアの横付き添うようにしてしゃがみ、そっと抱き寄せるように頭を撫でた。
それからしばらくして、かろうじて開いていた、という言葉が似合うようなエルビアのまぶたがそっと閉じてリーリャにすべての体重を預けることになった。
「エル、大丈夫か?!」
「大丈夫ニャ。思ったより早かったニャね」
「あ、あの、エルはどうしたんですか……?」
ずっとファイヤーを発動し続けていたレネットは、自分も魔法を発動し続けているということもあり少し不安そうな表情でこちらを見ている。その顔に疲れたような表情は浮かんでおらず、まだ余裕そうである。
一方、リーリャの腕の中にいるエルビアの額には汗が浮かび、顔を少々青くして浅い呼吸を繰り返している。
「魔力切れニャね。ウチはエルビアをベッドに寝かせてくるニャから、待っててニャ」
不安そうにこちらを見る2人の視線を背中に受けながら、エルビアを両手でしっかり抱きかかえ、ゆっくりと持ち上げる。
リーリャの旅に同行していた魔法使い達は、魔力切れを起こしたところでこのようにひどく弱る姿を見せることはなかった。
初めての魔力切れだからなのか、そもそもまた別の要因か。リーリャが見てきた魔法使い達は軒並み魔力量が平均以上であったため、リーリャは魔力が少ない人のケースを知らない。
「ベッドまで案内をお願いしたいニャ」
「わかったよ。あたしゃエルのこと見てるから、後は頼んだよ」
「もちろんです。少し魔力を入れといたので、すぐ目を覚ますと思うニャ。でも、初めての魔力切れニャから、そのまま寝かせておいてあげてほしいニャ」
開けてもらった扉をくぐり、ゆっくりと階段を上っていく。行ったことのなかった二階にはいくつか部屋が並んでいて、そのうちのひとつはエルビアの個室だ。
エルビアの部屋はきれいに片付いていた。すこしごちゃごちゃしているかなと勝手にイメージしていたが、床に物が置かれることはなく、机の上に小物が散乱しているということもなく、整然としている。リーリャの王都時代の部屋の方が散らかっているほどだ。
小さなその部屋の大きな本棚には、わずかに本が入っているのみで、空いているところには所々小物が置かれていた。森で拾ったであろう面白い形の小枝、小川の底にあるような何の変哲もない小石。そんな物でも彼女にとっては宝物なのだろう。
本は高価だ。そんなポンポンと買える物でもない。だからこそただ少しの本は、表紙がボロボロになるまで読み込まれている。これは誰から見ても彼女の宝物であり、財産だ。
「この子は本が大好きでねぇ、できればたくさん読ませてあげたいんだけど、そんなお金はなくて……」
ベッドでスヤスヤと寝息を立てるエルビアの横に座ったミレアさんは、優しい表情で彼女を見下ろしている。その表情は少し寂しそうだ。
「……冒険の話が好きなのかニャ?」
棚に入れられた本の中で最もボロボロになっている本は、リーリャもよく知る著名人の冒険をまとめた本である。
「そうさ。一番のお気に入りは聖女が世界中を癒やして回ったお話さ」
「聖女アマリエの紀行譚ニャね」
ミレアさんは何か物をいうでもなく、静かに頷いた。
「ウチも好きな作品だニャ。ウチは聖女アマリエほど全世界を旅したわけではないニャから、少しがっかりさせちゃうニャね……」
『聖女アマリエの紀行譚』。それは、今から30年ほど前に聖女を引退したアマリエが、聖女を辞める際に自らの聖女生活で経験したあらゆることを記した物だ。
平和だった町を襲う疫病を鎮める話。戦場の真ん中に行って、傷ついた兵士を癒やす話。温泉を探しに行く話。そういった聖女としての仕事の日々がコミカルチックに描かれている。
この物語を読んで聖女に憧れる人は多いという。
「じゃあエルビアは聖女になりたい……?」
「いいや、それは違うと思うねぇ。エルは紀行譚を読んで、ずっとアマリエの側で支えていた侍女のレイシャに興味を持ったみたいだよ。自分で何かするのではなくて、何かする人のサポートがしたい。確かそんなことを言っていたような気がするよ……」




