公園での二人④~第八章 誘い①
栄二は微かに、ほくそ笑んだ。
「その通りだ。誰もいないよ……かなめ」
「初めて名前で呼んだわね」
「そうだね」
素っ気なく答えた栄二だった。かなめほどの女なら、これぐらいでちょうどよかった。逆に優しくする方が、鬱陶しい目で見られかねなかった。
案の定、かなめは目で合図していた。
それでよろしい、と。
「俺のことは名前で呼ばないのか?」
「生憎だけど、私は昔から他人を名字か『あなた』でしか呼ばないの」
「それじゃあ無理だな」
「ええ」
公園に設置されている時計に目を向けたかなめは、立ち上がった。どうやら会社に戻る時刻のようだ。
もう少し他愛もない会話に時間を費やしたかったが、こっちも卒業論文を執筆しなければいけなかった。
「会社に戻るわ」
「そうか」
「また気が向いたら、あなたの卒業論文の添削に来るわ」
そうしてもらいたかった。去り行くかなめの足音が耳にずっと響いている。
『ねずみ花火』と違う響き方である。聞くだけでほっとする。栄二は胸をなで下ろした。
8
思っていたより早く、かなめは栄二の卒業論文の添削にやってきた。栄二の論文は完成に向かっていたので手直しというものは無く、ただ書き進めていくだけだった。
かなめも最初と違って、赤線を多量に引くことはなかった。あの頃を思い返すと、栄二は今でも背中から冷や汗が流れ出てくる。
「つまらないわね」
かなめが舌打ちした。
なんて言いぐさだと思いながらも、栄二は嬉しさのあまり拳を握りしめた。
「もう私の仕事が無くなってしまったわ。これからどうすればいいか、分からないわね」
床に大の字に寝転がったかなめは、大きな欠伸をした。
「一応、俺の部屋だぞ」
「知っているわ。それがどうかしたの?」
「女のくせに大の字で寝転がるなよ」
「とんだ偏見ね。しかもじじくさい。一体いつの生まれかしら?」
「平成元年だよ」
「ふーん……」
結局、会話がそこで途切れたので、コーヒーを出してやるために台所に向かった。




