3話
虹彩に傷の手当てをしてもらっているうちに、すっかり夜も更けていた。こんな時間に、誘拐されかけた女子高生を一人で帰らせるわけにもいかない。虹彩を家まで送ることにした。風花はまだ傷が痛むらしく、アパートで待っている。
曇っていて、星一つ見えない夜空を見上げながら、虹彩が言う。
「あんなことがあったのに、明日も普通に学校あるって、おかしくなーい?」
たしかに、私にとっても虹彩にとっても、日常とは懸け離れた一日になったことは間違いない。多分、これからも……そんな考えが脳裏に浮かんだ。
「そうだね。でも、頑張るしかないよ」
励ますために言った言葉のはずだった。なのに、その言葉が胸に落ちて、重くのしかかる。
街灯に照らされた私はどんな顔をしているのだろう。いつも笑顔は作り慣れているはず。でも、今はできている気がしなかった。
「そうだよねー、私も見習わないとなー」
何かを察したように、瞬きをした。そして、すぐに話を切り替える。
「そういえばさー、私が走ってる時に知らないおじさんと仲良くなったんだけどさー」
虹彩の珍エピソードだった。一週間に二、三回ある恒例行事のようなもの。
ある時は、部活の朝練習に遅れて到着。そして、顧問に一人で練習したいと言うと、「遅刻した分際で……」と言われたり。
ある時は、授業中に指名されたが答えが分からず、「んっ」と言って誤魔化そうとしたりと、内容は多岐にわたる。
話している内に、虹彩の家の前まで着いた。オートロック式の高層マンション。私は入ったことはないが、最上階に住んでいるらしい。
「送ってくれてありがとね、来夏」
「どういたしまして。それじゃ、また学校でね」
手を振って、私は踵を返す。
「無理はしないでね……」
後ろから、虹彩の声が聞こえた気がした。
無理はしないでね、か。無理をしているつもりはないし、してないならもっと頑張らないといけない。
身を削るつもりで。
†
私がアパートに着くと、風花がシンクの前に立っていた。
「おかえり、来夏」
「ただいま……何してたの?」
こちらに歩きながら、懐を探る。取り出したのは試験管のようなもの。赤い液体で満たされていて、血の気が引いていく。
まさか……
「これを渡そうと思ってね、いつでも戦えるように」
人差し指と親指で受け取る。
善意でやってくれているのは分かるが、どうにも……
それに気付いているのだろう風花は、
「もっと丁重に扱ってほしいな、痛かったんだし。それに、一度体に取り入れたものじゃないか」
あの状況と、今の状況は全く別だよ。
追い込まれた人間は、大抵のことはできるようになる。命の恩人と友人を助けるためなら、なおのこと。
「そういえば、魔法使う時って毎回飲まないといけないの?」
「そうだね。来夏みたいに魔素が体内から作られない人は、外部から取り入れないといけない。
まあ、来夏がスマートフォン。私の血が、充電器ぐらいの認識で問題ない」
「風花はなんで魔法が使えないの? 魔素があるのに」
あからさまに顔が青ざめていく。不器用な笑みで誤魔化そうとしているが、隠しきれていない。
「はは、私の体は壊れてしまったからね。魔法が使えなくなってしまったんだよ」
これ以上、踏み込んではいけない。本当は理由を聞きたかった。でも、風花の顔を見ていると、それはできなかった。
きっと、謝っても余計に傷つけるだけだと、心の何処かで予感する。だったら、別の話題を振るしかない。
「そういえばだけどさ、風花は今日どうするの? 怖かったら家まで送ってくけど。狭いとこだけど、泊まってもいいし」
顎に人差し指を当てて、考えるような素振りを見せる。
「申し訳ないけど、後者の方を頼んでもいいかな? ずっと」
「大丈夫だよ……ん?」
最後なんか言ってた? 頭に疑問符を浮かべていると、すぐに答え合わせされた。
「それは助かるよ。なにせ、定住先がないものでね」
家がないのか。それにしては、髪や肌の艶はそこらじゃちょっとじゃ見かけないほど綺麗だ。それに、会ったばかりの時は服も綺麗だった。
そんな違和感が喉を通り抜けようとしたが、飲み込んだ。
まあ、家に一人ぐらい増えても変わらないか。
「まあ、風花が助かるなら良かった……のかな?」
「すまないね、代わりといっては何だが、家事なら任せてほしい」
そうだ! と、言わんばかり冷蔵庫を開ける。
「さっそく、夜ごはっ……」
目を細めて、こちらを見てくる。冷蔵庫の中身は、十秒で栄養を補給できるらしいゼリーと、さまざまなメーカーのエナジードリンクで埋め尽くされていた。
「まったく、高校生はもっと栄養つけないと駄目だよ」
大きくため息をつき、時計を見やる。
時刻は十一時を回っていて、いい子は外に出てはいけない時間。無論、私はいい子のつもりなので、外に出られない。
でも、客人をゼリーとエナジードリンクでもてなすのは、さすがに気が引ける。
おもむろにスマホを取り出し、画面を擦る。出前ができるサイトを開き、風花に画面を向けた。
「これで、いいですか?」
「うーん、ゼリーよりは来夏の栄養は取れそうだね。今日は、それで済ませよう」
まあ、お金を出してもらう側なんだけどね、と苦笑する。届くのを待っている間、私は自室に戻り、パソコンでアプリ開発を始めた。中学生の頃からやっていて、ある程度収益が出ていたので、一人暮らしも許可された。
今では、生活費や学費を問題なく賄える程度には、収益が出ている。まあ、いつ駄目になるかという不安はあるのだが。仮に、アプリ開発が失敗し、バイトを始めようものなら、父は鬼の形相で私を連れ戻しに来るのだろう。
――バイトなんて非効率的なことなんてするな。そんなことに時間を割くなんて、考えられん。
大手の会社経営をする父の言葉が過る。優秀で、実際に成功している人の言葉を私は否定できない。それでも、素直に尊敬できないでいる。
ゾワッと頭の中に、嫌な記憶が溢れ出る。それを振り払おうと、頭を振ろうとした時、
「おや、来夏は頑張り屋さんだねー、偉いね〜」
ポンッと両肩に手を置かれる。嫌な記憶と共に、いつの間にか強張っていた顔の力が抜けていく。
「びっくりしたー!」
風花は何かが引っかかったように、目を細める。
「それは悪いことをしたね。つい、驚かせたくなってしまって」
既に見回ったはずの私の部屋を、ぐるっと見渡す。そして、私の方を向き直した。
「それにしても、来夏には欲がないのかい?」
言葉が出ない。そんな私を見て、風花は続ける。
「大半の人なら、もう少し娯楽品や趣味のものがあってもいいはずだ。しかし、君の部屋にはそれらがほとんどない」
「私にだって欲くらいありますよ」
私の目をじっと見つめる。
「そうかな。だと、いいんだけどね」
そう言って、私の頭を撫でる。
その顔は、慈しむようで、自分自身も満たされているような顔だった。
私の心にも、器に水が満ちていくように、静かな温かさが広がっていく。
「すまないね。私が守る前に、君がどこかに消えてしまいそうだったもので」
それだけ言い残すと、部屋から去ってしまった。私より背が低いから当たり前だが、その背中が小さく見えた。背丈に見合わないものを背負っているように。
頼んでいたものが届き、二人で食事を取る。ピザを二枚テーブルに置くと、風花が目を輝かせた。こうして見ていると、普通の女の子にしか見えない。
エビの乗ったピザと、コーンが乗ったピザ。子どもでも食べやすいと思い、選んだ。
「さてさて、さっそく頂くとしよう。でも、まずは君からだな」
くすんだ瞳に星が映った。エビの乗ったピザを一切れ取り、私の方へ向ける。
「はい、どうぞ」
素直にそれを口にする。前までの私なら恥ずかしがっていただろう。だが、既に指を咥えて血を飲んだのだ。今さら、恥ずかしがるようなことではない。
ただ、風花の瞳の星は消えていて、少し申し訳なく感じる。
無論、ピザは美味しいと思う。でも、私にとってはそれだけ。それで心が満たされるかどうかは、別の話だ。
でも、人と食べると、胸の奥が温かくなる。
「ふふ、来夏のその顔。私は好きだよ」
ピザを頬張りながら、悪戯っぽく微笑む。
その夜のこと、私と風花は同じベッドで眠ることになった。ただ、やりたいことがあるため、私はリビングでスマホを眺めている。
長い時間をかけて、信頼できる団体や法人を調べた。
ここなら、今度こそ誰かを傷つけずに済むはず。これなら……
毎回、画面を押すだけなのに、手が震えてしまう。一度、深呼吸をして体の力を抜く。
そして、画面をタップし、今月のアプリ収益の半分を募金した。




