透明な虹 ③
病気の表現は実際のものとは大きく異なります。
苦手な方はご遠慮ください。
気が付くと、俺は身体を横に寝かされていた。息が苦しい。全身が汗に濡れて不快だ。胸は重たく疼いた。
段々と視界が色を取り戻す。水中に潜っているかのようにくぐもっていた音が鮮明になる。
何かを言われるより先に事の重大さを自覚して、俺は慌てて身体を起こした。
「まだ駄目です、顔が真っ青ですよ」
頭の先から血の気が引くのは一瞬で、力の抜けた上体は柔らかく眞白に受け止められた。
「……悪い」
「やっと薬が効いてきた頃だと思います。もう少し休んでいてください」
狭い座席は身体を倒すには十分でない。
それでも心地良いと感じるほどに、俺の体調は不安定になっていた。
灯りを遮るように腕で目を覆おうとして、ハッとする。
琥珀の視線は当たり前のようにこちらを向いていた。車椅子には俺のピルケースが一緒に乗っている。
「意識が戻ったので大丈夫そうです。ご心配おかけしました」
眞白が頭を下げると、その場にいた車掌は去って行った。
俺の思考が冷静さを取り戻していく。血液の巡りはようやく戻ってきているようだ。
「一安心ですね、琥珀さん」
車椅子の隣に腰かけながら、眞白が一息をつく。
眞白はブランケットに包まれた琥珀の足を撫でた。琥珀は返事をするように呼吸をした。
「胸を痛がったと思ったら、あっという間に気を失っちゃうんですから。焦りましたよね」
琥珀と会話をしているようだけれど、これはわざとだ。
敢えて大きな声で説明的に話をしている。俺が何も、知りたがらなくていいように。
「発作だ、ってすぐに分かりました。琥珀さんもお薬のことを教えてくれて、助かりました。車掌さんはびっくりしてましたけど、無事で良かった」
「……本当に悪い。油断してた」
「蒼葉さん、自分でも知らないうちに緊張してたんですよ。それにほら、三人で来て良かったでしょう」
黙ったまま俺が身体を起こしても、二人はもう何も言わなかった。
そろそろ終わる頃だと思った旅路は予想していたよりも長くて、俺の体調はほぼ回復した。
眞白は今になってウトウトしている。俺のせいで負担をかけたと思うと、起こす気にはなれなかった。
視線の端で何かが動いた。身体の横に添えられた琥珀の指だった。
「そろそろしんどいな。もう少し我慢な」
そうして、腕だけでも体勢を変える。腹の上に置かれた琥珀の手は、それでも微かに動き続けた。何かを訴えるように。
琥珀はじっと俺のことを見つめていた。瞳の奥で波が揺れる。
「どうした。どこか痛いか」
琥珀が目を逸らす。苦痛がある訳ではないようだ。
「……琥珀さん、話してみてください。さっきみたいに。とっても上手でしたよ」
いつの間にかしっかり起きていた眞白が、立ち上がって琥珀に近付く。琥珀はゆっくり瞬きを返した。
呼吸器が送る空気に操られた外側で、琥珀の呼吸が不意に乱れる。
俺は咄嗟に立ち上がって、車椅子の下に手を伸ばそうとした。呼吸をケアする機械がそこにはある。
「蒼葉さん、大丈夫ですよ」
「何言ってるんだ。苦しいなら吸引してやらないと」
「大丈夫です」
眞白は俺の腕を掴んだまま頷いた。眞白は微笑んでいた。
促されるように琥珀の顔色を伺って驚いた。琥珀の口元がほんの僅かに開いている。
もうずっと前に失くしたはずの力が、再び宿っているようだった。
あ……お……あ……
お……あ……あ……
琥珀の口が小さく形を変える。呼吸器の音とは別に、意思を持った呼吸音が聞こえる。
必死に、何度も、琥珀は同じ動きを繰り返した。
暗号のようなそれは、確実に俺の名前を呼んでいる。
「ピンチは奇跡を起こすんです、ね」
眞白にそう言われて、琥珀は微笑んだ。そうした顔をちゃんと見せてくれるのは、随分と久しぶりだ。
二度と戻ることはない時間を憂うのは止めていたけれど、簡単に気持ちは変わる。
あり得ない力を信じることはないけれど、魔法や奇跡があってもいいのかもしれないと思う。
「よかった……よかった。俺も、お前たちと一緒でよかったよ」
琥珀の言葉を借りて、深呼吸をする。
蒼葉、よかった。
忘れもしない、尊い声が遠くから聞こえる。
深く大きく吸い込んだ空気は、優しい味がした。
次回へ、つづく
現実とは全く異なりますが、こんな未来があれば……と思いながら書きました。




