6.月明かりの中で
夜、何かが窓に当たる音がして目が覚めた。
恐る恐る窓を見ると、レースのカーテン越しに人影が見える。見覚えのあるシルエット。
「まさか……ベニー!?」
慌てて窓を開けると、ベランダには本当にベニーが立っていた。
「貴方何を…!」
「しっ、声を抑えて」
あ。確かに、こんな所を見られたら、いくら婚約者でも叱られてしまう。
「中に入れて」
どうして?貴方は私が嫌いなくせに。
「……どうぞ」
「ありがとう。明かりは点けないで」
月明かりがベンジャミンの髪を優しく煌めかせる。幻想的で、やっぱり綺麗な人だと思う。
「……どうしてこんな真似を?」
「どうして?それは俺が聞きたい。どうして俺を避けるんだ」
なぜ避けるか。そんなの……貴方が私を疎ましく思っているからでしょう?盗み聞きしたと言える訳も無いけれど。
「……気のせいでしょう」
ベンジャミンが私の腕を掴んだ。それは男の人の手だ。大きくて……熱い。
「俺が気が付かないと思った?」
そのまま引き寄せられ、腰を抱かれる。
「ね、離してっ」
こんな寝衣しか身に着けていない状態で抱き締められるなんて!
「理由は?」
「恥ずかしいからよ!」
身を捩っても全く力を弛めてくれない。それどころか更に密着してくる。ベンジャミンの体温が伝わってきて、羞恥に頬が染まる。
「違う。俺を避ける理由だ」
「…っ、だから!」
「お前は酷い女だ。昼間はあんなに嬉しそうに笑っていたくせに。キスだって受け入れたくせにっ。それなのに、家に帰った途端、俺を避ける。そんなのを見逃せというのか」
思わず振り仰ぐと、真剣な眼差しとぶつかる。
どうして?嫌いな私が避けたから何だと言うの?あんな言葉を聞いて、普通に貴方と話をしろというの!?
「……なぜ泣くんだ」
貴方の言葉を聞いても涙は出なかったのに。
こうやって体温を感じて、視線を交わすだけで涙が溢れてしまう。
ああ、いつの間に──
……あなたがすき……
馬鹿みたい。私の全てを拒絶している男を好きになってしまった。
だって貴方の笑顔が嬉しかった。貴方からの口付けが嬉しかった。やっと手が届いたのだと歓喜したのに!
「……泣くな」
そっと、涙を拭われる。
「お前は、そんなに……」
「え?」
なぜ、貴方がそんな傷付いた顔をするの?
つい、涙など出ていないのに、彼の目元に触れる。その手をとられ、
「何だよ、その手練手管は。そうやって男を手玉にとって遊んでいるのか?」
そう言って、反論しようとした私に噛みつく様に口付けをしてきた。昼間のキスが子供の悪戯に思える程の、荒々しく執拗な口付け。
「っ、ん、苦しっ」
「まだっ」
部屋の中に二人の吐息だけが響く。
「あっ、駄目、駄目よ、これ以上は!」
口付けながら、ベンジャミンの手が私の体を撫でる。
「……触れたのは俺だけ?」
「当たり前でしょうっ」
「これからも守って。シェリーは俺のだ」
何を言っているの?嫌いでも、他人の手垢が付くのは許せないとか、そういう話?
「……私は私のものよ」
「ダメ。俺のだって言って」
やっ!胸元に口付けないでっ!
「しょっ、将来は貴方の妻よ!」
貴方のものだとは悔しくて言いたくない。これが限界!
「そうだよ。忘れないで」
そこで囁かないで!擽ったいし恥ずかしいっ。
どうしよう。これでまだ15歳なの?結婚まであと3年もあるのに、私は無事でいられるのかしら!?
私の考えが分かったのだろう。
くすりと笑うと、
「今度俺を避けたら……抱くから」
「ひっ!」
怖い!どうして嫌いなくせに執着するの!?
「返事は?」
「……貴方だって!浮気したら許さないわ!」
どうして私だけ一方的に浮気するみたいに責められてるの?絶対に貴方の方がモテモテのはずなのに!
「俺が他の女に触れるのは嫌?」
「当たり前でしょう?」
誰かと夫を共有したい女などいるものか!
不機嫌になるかと思ったが、意外とこの言葉に満足したらしい。
「なら、俺が振らつかない様に側にいてくれ」
「……私はもうここにいるじゃない」
5年もの長い間、この家で貴方に嫁げる日を指折り数えて待つというのに。
「シェリー、来週末空けておいて」
「どうして?」
「クアーク伯爵令嬢の誕生日パーティーに招待された」
「……どういう繋がりなの?」
「生徒会役員」
なるほど。……15歳の誕生日パーティーか。
ちょっと嫌だけど。
「分かったわ」
「ありがとう、じゃあそろそろ戻るよ」
いつの間にやら機嫌が戻っている。よく分からない人だわ。
「おやすみシェリー。良い夢を」
当たり前のようにキスをして帰って行く。
私を嫌うくせに、余所見をするなと身勝手なことを言うのね。
天使だったベンジャミンはすっかりと悪い男になってしまった。