3.縮まらない距離
私は少しずつ家政を任されるようになった。
それは、ただの客人ではなく、家族の一員と認められているようでとても嬉しく。
「まるで、すでに侯爵夫人になったかのような振る舞いだな」
いつまでも、ベンジャミン様からは認められない、中途半端な立場だった。
「……私はベンジャミン様の婚約者として少しでも早く認められたいだけです」
「どうだか。ただ、侯爵家に嫁ぐというステイタスのためではないのか?」
どう頑張っても、彼からだけは認めてもらえない。
「では、どうしたら? 何をしたらあなたは私という婚約者を認めてくださるのです?」
私には分からない。どうしたら満足して貰えるのか。その美しい口から方法を教えてくれさえすれば、そのように振る舞うのに。
「………知らない。お前など、俺が選んだ訳ではないから」
それだけを吐き捨てると、彼は部屋に篭ってしまった。
「知らないだなんて……」
それでは、どうにもできないじゃないっ……!
まるで、迷路に迷い込んでしまったかのような先の見えない状況に、ため息すら出てこなかった。
ベンジャミン様はどんどんと美しく、気難しくなっていく。
ねえ。私はどうしたらいいの?
◇◇◇
「シェリー!」
「兄様っ!」
カーティス様のご友人宅でのパーティーに連れて来ていただけた。残念ながらベンジャミン様の都合が付かず、カーティス様のエスコートだけど。
そこで、久々に兄に会うことができました。
「お前ときたら全く家に帰って来ないから」
ため息混じりに批難された。
だって、家族に会えばベンジャミン様とのことをあれこれと聞かれてしまうでしょう。それらをすべて笑顔で躱せる自信がなかったのだ。
「……ごめんなさい。でも、兄様に会えて嬉しいわ」
「少し痩せたか?」
「やだ、そこは大人っぽくなったと言って?」
本当は少し痩せてしまった。カーティス様にも心配されているのだけど、ベンジャミン様との気持ちのすれ違いが私から食欲を奪ってしまうのだ。
でも、お胸は相変わらず減らないのよ。なぜかしら。
今日もなるべく小さく見せようと胸当てで締め付けているせいで、少し息苦しい。
『……でかい』
あの日のベンジャミン様の声がリフレインしている。
ただ、身長のことを言っただけかもしれない。それでも、どうしても恥ずかしくなってしまうのだ。
「お前の婚約者は?」
「……まだ十五歳ですから」
「男には関係ないだろうが」
女性は十六歳にデビュタントを行い、晴れて大人として社交会への参加が認められる。だけど、男性にはそれは適応されません。十五歳でも参加は可能なのだけど……。
「本日は生徒会での集まりがあるそうですわ」
「……お前、大丈夫か?」
大丈夫……。どうかしら。カーティス様はとてもお優しい。使用人だって私を馬鹿にすることなんか無いし、良い暮らしをさせてもらっている。
ただ、ベンジャミン様だけが───
「もちろん! 今ではかなりお仕事を任せていただけるようになりましたのよ」
これは本当。カーティス様は私を認めてくださり、少しずつ任せてくださる仕事は増えてきている。
このままいけば、結婚する頃には問題なく侯爵夫人としてやっていくことができることだろう。
ベンジャミン様とのこと以外は。
……彼も優しいときはあるのだ。私に微笑んでくださることも、プレゼントを下さったり……指先に口付けてくれたことだってある。
でも、何かの加減で機嫌を損ねてしまう。それがなぜなのか。私にはどうしても分からないのだ。
◇◇◇
兄と別れ、手持ち無沙汰でついシャンパンを口にする。
少しクラっとした。胸元を締め付けているせいか気分が悪くなってきた。
「シェリー、大丈夫か?」
「侯爵様……少し、酔ってしまったようです」
申し訳ないと思いつつも正直に状況を伝える。
今日はカーティス様のパートナーとして来ていたのに、とんだ失態だ。
「今日はもう帰ろう」
「……申し訳ございません」
「歩けるか」
「……はい」
どうしよう、胸が苦しい。気持ち悪い……。
「……少し我慢して」
カーティス様の呟きの意味が分からずぼうっとしてしまう。すると、体がふわりと浮いた。
「えっ⁉」
「大丈夫、落とさないから」
信じられない……カーティス様に抱きかかえられている!
ガチッと体が固まる。え、なに、どうして。
脳内は大忙しだが、他は余りの事にフリーズしてしまった。
馬車の中でようやく降ろしてもらえた。
「すみませんすみません、こんな!」
「いや、気分転換できたらと連れてきたが、かえって良くなかったな。すまなかった」
……私のためだったの?
「いえ、兄にも会えましたし、楽しかったです」
「体調が悪いわけでは?」
「あの、コルセットを締め過ぎただけで!」
ああ! 恥ずかしいことを言ってしまったわっ!
「お嬢様のお世話は私がいたします」
待機してくれていた侍女の申し出をありがたく受けることにした。
「……私は降りたほうがいいかな」
カーティス様の頬が少し赤い。
ごめんなさい、ごめんなさい! と心の中で謝罪した。
「これは、ずいぶんときつく縛ってありますね。時間がかかりますので、切りましょう」
切る……えっ? 何を? 少しぼうっとしていたせいで反応が遅れた。すると、背後からブツッと何かが切れる音が聞こえた。
「きゃあ!」
その途端、締め上げすぎたコルセットが弾け飛び、頑張って押さえつけていた胸がこぼれ出た。突然のことに驚き、つい悲鳴を上げてしまった。
「どうした!?」
私の悲鳴が聞こえて驚いたのだろう。カーティス様がドアに手を掛けたのが分かった。
「旦那様、お待ちを!」
だめだめだめっ! 待ってっ!
「え」
『きゃ─────────っっつ!!!』
声にならない悲鳴が。
だってここで叫んだらカーティス様が加害者になってしまうわっ!
慌てて胸元を押さえる。
カーティス様が凄い速さでご自分の上着を脱ぎ私をぐるぐる巻きにした。
「すまない! そんなつもりではなく!」
そうでしょうとも。侍女だって早く私を介抱しようと思って紐を切っただけで、まさかあんなことになるとは思わなかっただけで、すべては馬鹿みたいに育った私の胸のせいで。
……もう、お嫁に行けない……。
それとも嫁入り先のお義父様だから大丈夫なのか。でも、こんなみっともないものを見られるなんて!
ぽろぽろと涙がこぼれた。
もう、どうしたらいいのか分からなかった。
「すまないっ、シェリー泣かないでくれ」
カーティス様がオロオロと困り果てている。
「す、すみません! こんなに醜いものをお見せしてしまって!」
「はっ⁉ いや、あのっ、見ていないし、そもそも君が醜いわけないじゃないかっ!」
慰めだと分かってはいても、少しだけ救われる気がした。でも。
『あの子の胸、まるで──みたいじゃない?』
遠い記憶が蘇る。
学生の頃の、ほんのちょっとした意地悪だったのかもしれない。
それでも、その言葉は今も私を傷つけ続けている。
「うう~~っ」
私の涙は止まらず、カーティス様に慰められながら、わんわんと泣いてしまった。
平謝りする侍女と私の泣き声が聞こえてしまっていたであろう御者の方は、とても大回りでゆっくりと馬車を走らせてくれた。




