2.侯爵家での生活
私は無事学園を卒業し、今日から侯爵家で暮らすことになった。
「ようこそ、イングラム侯爵家へ」
まあ、わざわざ侯爵様が出迎えてくださったわ。
「今日からよろしくお願いいたします。イングラム侯爵」
「侯爵と呼ばれるのは少し……」
そう言って少し悲しそうな顔をされてしまった。
でも、さすがにまだお義父様とお呼びするのは早過ぎる気がするから困ってしまう。
「では、カーティスと名前で呼んでくれ」
「えっ、よろしいのですか?」
「もちろんだ」
これは……いいのかしら。でも、他にいい手も見つからず。
「では、カーティス様。お世話になります」
「うん。部屋を案内しよう」
「あの、ベンジャミン様はどちらに?」
「すまない。まだ、学園から戻っていないんだ。今年から生徒会に入ったせいで度々帰りが遅くなってしまうんだ。今日くらい抜けてこればいいのにな」
「そんな! 大切なお仕事を任されているのです。ご立派ですわ」
そう。生徒会に入られたのね、知らなかった。
月に一度お茶をするだけだもの。すべてを知れる訳はないわ。
少し寂しい気もしますが、これからは今までよりも会話も増えるだろうし、もっと仲良くなれるように頑張ろう。
ベンジャミン様は晩餐のギリギリに帰宅しました。
「やっと帰ってきたか。随分と遅かったな」
「申し訳ありません」
「お帰りなさいませ、ベンジャミン様」
「……来ていたのか」
「はい。本日よりお世話になります」
相変わらずの不機嫌なお顔に少し心が痛むが、なんとか笑顔で対応する。
「お前は……。アダム、料理を運ばせてくれ」
カーティス様は何か言いかけたが止めてしまわれた。たぶん、叱ろうとしたが、場の空気が悪くなるのを避けたのだろう。
「……ベンジャミン様は生徒会に入られたのですね」
「ああ、言っていなかったか」
カーティス様の前でどうでも良さそうに言われると恥ずかしくなってしまう。
「顧問は今でもケリー先生ですか?」
「そうだ」
「素敵な先生ですよね。以前は高等部にいらっしゃって、生徒からの人気が高かった先生ですの。残念ながら一年前に中等部に移ってしまいましたけど」
ケリー先生は気さくな先生で、家名に関係なく叱ってくださる、稀有な先生だった。でも、どちらかのお家から苦情があったらしく、中等部に移られてしまったのだ。
それでも、中等部でも生徒会顧問をしたりと活躍していると聞いて安心したものだ。
「……気が多いのですね」
「え?」
「ベン、謝罪しろ」
「なぜ? 婚約者同士の軽口ですよ。ね?」
何? どうしてそんな……。
どうしよう。心臓がバクバクする。
私は今、男好きだと言われてしまったの?
それでも……。
「……はい。ただの冗談だと分かっていますから大丈夫ですわ」
それ以外、どう答えることができるのかしら?
「それでもだ。周りの誤解を招くような発言は控えなさい。シェリー嬢にも失礼だ」
「……すまなかった、シェリー」
仕方なく言ってやったと言わんばかりの謝罪の言葉。
「気にしていませんから」
こんな気持ちで、それでも笑うしかない自分が惨めだった。
◇◇◇
侯爵家での生活にはずいぶん慣れた。
一体どうなるかと心配だったけれど、あの日以降、ベンジャミン様から私を貶めるような発言はなくなり、少しずつ会話も増えていった。
「ケリー先生からあなたの武勇伝を聞いたよ」
「えっ⁉」
どれ? どの話だろう?
「下位の令嬢を虐めていた伯爵令嬢とバトルしたのだって?」
──あれか!
「あれは……先に彼女が私の頬を叩いてきたのです」
抵抗できない身分が下の者を虐めるなど、あってはならないことだ。
学園では平等だと謳われているが、そんなのは建前で。それを分かってはいても腹が立つ私が駄目なのでしょうか。
「貴方は公明正大だな」
それは褒めてくださっているの? それとも……。
「……至らず申し訳ございません」
「いや。ただ、そうなのだなと思っただけだ」
そう、とはどのように判断なさっているのか。
素直に受け止めていいのか裏が有るのかに悩んでしまう。
いつまでも、私とベンジャミン様の距離は近付かないままだった。
◇◇◇
それでも月日は過ぎていく。
「今日はここまでにしよう」
私は侯爵家での仕事をカーティス様に習っている。
「ありがとうございました」
カーティス様の指導はとても分かりやすい。これならば、そろそろ一人でもできそうだと思っていると、
「一度一人でやってみるか?」
そう言われ、喜びに心が浮き立つ。
人など単純だ。誰かに認められるだけでこんなにも嬉しくなってしまう。
「ありがとうございます!」
たぶん、今の私は淑女らしくもなく満面の笑みであろう。でも、それくらい嬉しいのだから仕方がない。
カーティス様はそれ以上何も言わず、私の頭を軽く撫でて部屋から出て行ってしまった。
「……もう。そんなことしなくていいのに」
私は、赤くなっているだろう頬の赤みが消えるまで、ひとり、執務室から出れずにいたのだ。




