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ep.22 助けを求める家族

 

 神の目の鍛練を行っていたオリビアに声をかけたのは、カランコエだった。

 オリビアは借りた毛布に身を包みながら、魔族のくせに好きに行動するカランコエを責めるように睨み付けた。

 しかし、彼はそんな視線を気にする様子なく、通りを歩く人々を見下ろした。



「暇だったから来た」

「ご飯は?ってアンタは必要ないか…私は忙しいから構ってやれないわよ」

「教えて欲しいんだけど」

「だーかーらー…」


「今どういう感情を抱いてるの?」



 カランコエがオリビアの前に座ると自身の顎に手を添えて、悩むような仕草をしながら顔をじろじろと見た。

 オリビアは質問の意図が分からず思わず眉を寄せた。



「なに?」


「俺は最近君達ヴァイスの人間と接して色々と勉強してるんだ。色んな感情や、それに伴う行動に興味がある。何故わざわざ単独行動を取っているの?勇者を取られて嫉妬してる?」

「嫉妬?それはないわよ」


「ふーん…フォティニアの貸してくれた本には嫉妬で急に距離を置くって話があったけど…」


「はぁ⁈」



 カランコエの発言に、オリビアは思わず大きな声を上げた。

 フォティニアの愛読書と言えば―――



「……はぁ…私はカクタスに恋愛感情なんて抱いてないわ…だからそれには当てはまらないの」


「そうなんだ。フォティニアの本はやっぱり参考にはならないね」



 オリビアは呆れたように溜め息を吐くと、額を押さえて首を振った。

 カランコエは彼女のその様子に肩を竦ませ、懐からノートを取り出すと何やら書き始めた。

 オリビアがそれを覗き込むと、そこには恋愛小説は参考にならないと書かれた横に、フォティニアらしき丸い似顔絵が描かれていた。

 彼女はそれを見て思わず吹き出すと、少しだけ肩の力が抜けた。

 そしてカランコエからの問いに対する答えを考えた。



「……強いて言うなら焦りかしら…」

「なに?」

「今私の中にある感情。…この目…あんたも言ってたじゃない、このままだとカクタスの足を引っ張る事になるって」


 オリビアは左目を閉じると、行き交う人々を見る。


「…師匠にも言われたの。私が足を引っ張って事態を悪化させる事はしたくない…だから少しスキルの鍛練を…」

「ふーん?…ヴァイスの奴らはシュバルツの奴らと違って支え合う生き物だって聞いたけど」

「支え合いって…互いに助け合う事でしょ。足を引っ張って誰かがフォローする、助けられてばかりなのは支え合いじゃないわ……」


「支え合いの意味を理解してるのにそれに反した行動をとってるのはなんで?」


「え?」



 カランコエが不思議そうに首を傾げて問いかけると、オリビアはその言葉を理解する事ができず思考を停止させた。

カランコエは言葉を続けた。


「今日の勇者、あんたの事見てたけどずっと眉毛が下がってたよ。戦闘中も集中できてなかった。あんたのせいでしょ」

「あ…」



(「オリビア、あんまり顔色良くないけど大丈夫?」)



 オリビアは心配そうにするカクタスを思い出すと、次第に表情を曇らせて額を拳に押し付けた。



「……あー…何やってんだ私…」

「人間観察」

「違う、そうじゃない」


「よくわかんないけど、今どんな感情?さっきと顔が違う」


「そうね…やらかした…ってどう言えばいいのか……とにかく、いっぱいよ…」


「いっぱい?」


 オリビアは自分がどれほど浅はかな行動をしていたのか――それに気付いた瞬間、胸の奥がずしりと重くなった。

 カクタスは気付いていた。彼女の焦りも、彼女が無理をしていることも。

 彼の役に立ちたい。彼と肩を並べられるようになりたい。そんな思いから焦った結果が、かえって彼の負担になってしまっていた。


 カランコエの方を向くと、彼はオリビアの言葉を復唱しながら考え込んでいた。


「あんたも言ってたでしょ、人間が抱く感情は一つだけの時もあればいっぱいの時もあるのよ」

「混合感情の事?あれは二つの組み合わせを……いっぱいという事は今のあんたの感情は二つ以上って事?」

「さあね」

「なぜ……」

「…明日カクタスに謝るわ。…まさかスライムに気付かされるなんてね」

「俺の名前はカランコエなんだけど」

「そうだったわね…ありがとカランコエ」

「なんでありがとう?」

「いいから黙って受け取りなさい」

「ありがとうを受け取る…?」



 オリビアが夜空に浮かぶ月に向かって手を伸ばすと、神の石が光ったように見えた。

 焦ってそれ以上に大切なことを見落とす事がないように―――オリビアは自分を責めた後、決意を固めた。



「……そういえばあんたって意外とおしゃべりよね」

「ああ、ヴァイスに来てからよく話すようになったな」



 せっかくだからとカランコエに話題を振ると、彼は静かに空を見上げた。



「シュバルツでは違ったの?」

「シュバルツでは話せる人が俺を改造した人と、弟妹ぐらいだったんだけど、どっちも俺の話に付き合う事は好きじゃなかったみたい」



 カランコエは特に表情を変えずに答えたかと思えば、突然髪の触手をぴんっと立たせて「あっ」と声を上げた。



「でも一人だけ話を聞いてくれる人がいた。向こうはしゃべることができないみたいで俺が一方的に話しかけてただけだけど……ヴァイスではこうやって会話ができるからつい話しすぎちゃうね」

「話せる事が嬉しいのね」

「嬉しい…」

「てか弟だけじゃなくて妹もいるの?」

「いるよ。同じマザースライムから生まれた個体で…スライムには性別とかないけど改造されてからは……」







 気付けば長くカランコエと話し込み、オリビアは途中座ったまま眠りについてしまった。

 カランコエはそれに気付かず話し続けていたが、やがて反応がないことに気付いて、オリビアの顔を覗き込んだ。



「……え、寝てるし。うーん…とりあえず勇者のとこに連れて行った方がいいのか?……あ、勇者」

「しーっ」



 カランコエがどうすればいいのか悩んでいると、そこにカクタスが現れた。

 彼はオリビアを起こさないようにゆっくりと抱き上げると、カランコエは立ち上がり彼に問いかけた。



「いつからいたの?」

「…今来た所だよ。部屋に戻ろう」

「勇者、今どんな感情を抱いてるの?」

「え?」

「眉毛が寄ってる」

「……はは、どんな感情なんだろうね」

「?」



 カランコエは彼の表情から、感情を読み取る事はできなかった。









 ――――


「ん…?」


 オリビアが目を覚ますとそこはベッドの上だった。


「(あれ…昨日は確か……)」


 彼女は昨夜のことを思い出して飛び起きると、慌てて辺りを見回した。

 すると、カクタスが部屋の隅でカランコエに凭れかかり眠っている姿が視界に入った。




「あ、起きた?俺ベッド代わりにされてるんだけど」

「ぷっ…」



 カランコエはまん丸なよく知るスライムの姿でカクタスに押し潰され、不満そうにしていた。

 オリビアが他の人を起こさないように毛布を持ってカクタスの側に行くと、彼の目が薄く開いた。



「あ…起こしちゃった?ベッドもらっちゃってごめん」

「大丈夫、こうやって寝るの慣れてるから」


「それと、心配かけてごめん。焦って…自分のことばっかりになってた…」



 オリビアが小さな声で謝罪すると、カクタスはまだ眠そうにしつつも、穏やかな笑みを浮かべて小さく首を振った。



「…一人で頑張ろうとするのは悪い事じゃないけど、俺達がいるってこと、忘れないで。魔法も、目の特訓も、付き合うからさ」


「カクタス…」

「一人で戦うわけじゃないんだ、頼っていいんだよ。もちろん俺も手伝ってもらう事がこれからもあるだろうしさ」

「うん」


「やっぱり話聞いてたんだね勇者」



 カクタスの言葉にオリビアが瞳を揺らすと、空気を壊すようにカランコエが口を開いた。

 それに対してカクタスは一気に眠気が吹き飛ぶと、焦った様子で目を泳がせた。



「えっ…いや…」

「なんで隠すの?」

「カランコエ‼︎今いい所なんです‼︎こっちに来なさい‼︎」

「フォティニア起きてたの?なんで小声なの?」

「ちょっと‼︎」


「(エルフ殿は悩んでいたんだな…頼ってもいい、か…さすが勇者様だ…!)」

「(ふふっ…)」



 二人は狸寝入りをしていた仲間たちに気付くと、恥ずかしさから頬を赤くして顔を見合わせると、思わず笑みを溢した。











 ーーー


 次の日の朝、

 宿屋から出ると通りは人々で賑わっていた。

 オリビアがヘリーと買い物リストを確認していると、後ろでカクタスを囲ってこそこそと話をするデイジー達の姿があった。


「勇者様、アンタもっと積極的になったら?アタシ応援しちゃう♡」

「へ⁈急になに⁈」

「オリビアも満更ではないと思います‼︎恋愛マスターの私の目に狂いは…」

「いや、そういうんじゃ……それにオリビアは…魚人の人がタイプみたいだから…」

「えっ‼︎」

「種族によって好みのタイプって違うらしいけど…そうだったのね…」



 カクタスはジャイアントケルプで、カンパニュラを興味深そうに見るオリビアを思い出し、大きな溜息を吐いた。

 ラークはそれに気付くと目に涙を溜めて拳を握った。

「(勇者様…くっ!カンパニュラめ…!)」



「へっくしゅ!夜風に当たりすぎたかしら…皆、ここから次の町まで結構かかるみたいだから早く買い物済ませるわよ!」

「このヘリーが買い物リストをしっかり確認しておりますので安心してください‼︎」



 町のお店で必要な物を買い、忘れ物がないかを確認して町の出口に向かうと、オリビア達がこれから向かう方向からは馬車や人が多くやって来ていた。

 フォティニアがそれを見ながら表情を曇らせると、静かに口を開いた。



「さっきお店の人が、魔王が復活した事で境界に近いエボニーやその近辺に住む人達が避難してきてるって言ってました……」



 すれ違う人々はオリビア達を戦地へ派遣された冒険者だとでも思っているのか、哀れみの目を向けたり、視界に入れないように足早に通り過ぎる者が多かった。



「ヘリー、魔族達の様子は?」

「私達が予想していたよりも少し遅いペースで進軍してますねぇ」

「でも変ですよね、実力至上主義で自分より弱い人を見下すような人達が仲良く手を取り合って進軍してくるなんて」



 フォティニアの言葉にデイジーが「確かに」と呟くと、カランコエが緩く首を振った。



「今は全ての大陸を手に入れる為に手を組んでいるだけ、仲良くはない。ヴァイスを強奪した後は、きっとシュバルツの中で誰が次の支配者になるかを決める為の戦争…殺し合いが起こるはずだ」

「えっ!次の支配者って…」


 カランコエはフォティニアの様子をじっと見た後、静かに言葉を続けた。


「今の魔王様は黒の神様がヴァイスを手に入れる為に造った存在…いわば神の代弁者だ。だから今は皆従ってる。でも、大陸全てがシュバルツの…黒の神様の領土になれば今の魔王様が"魔王"である必要はなくなる。きっとすぐに魔王の座をかけての争いが始まると思うよ」


「そんな…」


「強者が世界を支配するっていうのは、黒の神様が望んでいる世界の在り方だから、魔王様も納得してるし」


「……カランコエも強い者が支配する世界を望んでるんですか…?」


 フォティニアの問いかけに、カランコエは頭をこてんと横に倒して、なんでもないように答えた。

「望んでるっていうか…それが当たり前の世界で生きてきたから」




「フンッ!自分達の土地で勝手にやっていればいい事を…」


 ラークが鼻を鳴らすと、カランコエは髪の触手を触りながらラークの発言に対して口を開いた。


「許せないんだよ、世界の半分も弱者が支配しているのが。それにそういう文句は神様に言うべきだね」

「なんだと⁈」

「だって、"神様"が始めた戦争でしょ」


「そこまでにして、置いてくわよ」

「はーい♡ほらほら怖い顔してないで行くわよ!」

「フンッ!」



 今にも飛びかかりそうなラークをオリビアとデイジーが止めると、ラークは不服そうにカランコエから離れた。

 そして、カランコエの話が頭から離れないまま、オリビアはふと考えた。


「(……魔王を倒してヴァイスが勝ったら、魔族達はどうするんだろう)」


 しかし、

 ラークを止めた手前、この話題には触れにくくなってしまった事で、オリビアはその疑問を胸の奥へとしまった。




 ――――


 パルマエを出た時より出現する魔物は多く運悪く襲われた人達の亡骸も増え、その度にカクタスは放置せずその人達を弔った。



「まったく勇者様!こんな事に時間を使っては…」

「ごめん…でも放っておけないし…」

「勇者様はやはりお優しい…!」

「アンタ何泣いてんのよぉ‼︎」



 ラークはとても感情の起伏が激しい。

 おんおんと泣くラークをカランコエが不思議そうに見ていた。

 カランコエにとって彼は、最も理解しがたい存在なのかもしれない。




「た、助けてくれ‼︎」



 日も暮れ、そろそろ野宿の準備をしなければというタイミングで、助けを呼ぶ声が聞こえた。

 オリビア達がそちらに視線を向けると、こちらに向かって走ってくる人たちの姿が見えた。



「どうしたんですか?」

「ま、魔物が出たんだ‼︎」


 中年の男女二人に、老夫婦が二人、そして子供が二人に赤ん坊…家族だろうか、全員が顔を青くして体を震わせていた。


「ヘリー、様子を見てきてもらってもいいかな?」

「しょうがないですね…」


 ヘリーがその人達が来た方へ飛んでいくと、カクタスが息を荒げる男の背中を摩った。


「す、すみません…俺達はこの先の小さな村から逃げて来たんです。道中魔物に出くわして……あの、冒険者の方ですか…?こ、今晩だけでも一緒にいてもらえないでしょうか…」

「分かりました。そろそろ野宿をしようと思っていたのでよかったら」

「勇者様よいのですか?」

「ほっとけないよ」



 ラークとカクタスの会話が聞こえると、オリビアは彼の優しさに笑みを溢しながら、子供たちの方を向いた。

 それに気付いた子供たちは、逃げるように赤ん坊を抱いた女性の後ろに隠れてしまった。



「この子達ったら…すみません…」

「大丈夫ですよ。赤ちゃんもいるんですね?」

「赤ちゃん!見てもいいですか?」

「それはできません‼︎」


 フォティニアが目を輝かせながら近くに寄ると、女性は声を荒げて赤ん坊を遠ざけた。

 オリビアとフォティニアは驚いて彼女を見ると、そこに父親であろう男性が慌ててやってきた。


「この子は知らない人を見ると泣き止まないのでお見せできないんです!すみません!」

「そうなんですか…残念です…」



 しょんぼりと肩を落とすフォティニアの頭を、オリビアが優しくぽんぽんと叩いて慰めると、ヘリーが戻ってきた。



「魔物の姿は見当たりませんねーきっと恐れをなして逃げたのでしょう‼︎」

「ちゃんと見たの?」

「失礼な‼︎」


「野営の準備、我々もお手伝いします!」

「ありがとうございます」



 にこやかに話をするカクタス達の後ろで、オリビアは一人、彼らの違和感に右目を光らせた。

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