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ep.2-26 叶わぬ恋をしたサキュバスの暴走

 


「何があったんですか‼︎」


「…………」


 乱暴に開かれた扉からは嫌な音がした。

 会議をしている場に乱入して来たのは強い怒りを露わにしたチュー。

 オリビアは彼女を一瞥すると顔を顰めて溜息を吐いた。


「チュー、今は会議中よ」


「何があったかって聞いてるんです‼︎」


 チューは床に“何か”を叩き付けると、牙を剥き出しにしてオリビアの元に詰め寄った。


 何をそんなに怒っているのか――

 オリビアは怒りに興奮するチューに眉を寄せ、やむ得ず会議を中断した。

 部屋にオリビアとチューだけが残ると、オリビアは困惑しながら頭を掻いた。


「何がって――」


「ムッツリスケベと何があったんですか‼︎」


 チューは床に叩きつけた物を指差して声を荒げた。

 床に叩き付けられた物――それはオリビアの着ていたコートだった。


「なんであんたが私のコート……人のコートで何してたのよ」


「そんな事はどうでもいいんです‼︎」


「どうでもよくない」


「どうでもいい‼︎」


 チューは翼を大きく広げた。

 そして、その翼をオリビアを囲うように曲げると、目を赤く光らせた。


「……チュー」


「あたいを見ろ‼︎」


「…………」


「忘れろ‼︎忘れろ忘れろ忘れろ‼︎」


「黒魔法は効かないわよ」


「嫌だ‼︎忘れて‼︎忘れて忘れて忘れて‼︎」


「チュー……」


「うるさい‼︎」


 チューはオリビアの肩に噛み付くと強く牙を食い込ませた。

 骨が軋む音が聞こえる。

 オリビアは痛みに顔を歪ませ、チューの背中を軽く叩いて優しく声をかけた。


「……落ち着きなさい」


「臭い……‼︎あの男の嫌な匂いがする……‼︎あれだけ傷付けられた癖に……‼︎あんなに怯えてた癖に‼︎なんでこんな匂いさせてるんだ‼︎」


「チュー、いい加減にして」


「あたいがずっと側にいて尽くして来たのに‼︎それでもダメだったのに‼︎」


 チューはオリビアの頬を掴むと、血に塗れた口を大きく開いてぶつけるように言葉を吐き出した。


 チューの見つめるオリビアの顔にはほんのりと血色が戻り、目元の隈は薄くなっている。

 最初の数日を除き、シュバルツで活動を始めてこれほど顔色のいいオリビアは見たことがない。


 苦しみから解放された顔。


 チューは苦しむオリビアを見てなんとかしたいと思いつつ、このまま弱り果てて自分の見せる夢に徐々に依存し、溺れ、沈む事を望んでいた。


 しかし――それは“あの男”の手によって呆気なく取り上げられた。


 彼女のコートから薄くも確実にこびり着いた発情したオス匂いに気がつくと、チューは自分がサキュバスである事を初めて恨んだ。


「チュー」


 名前を呼ぶオリビアの肩から流れる血が彼女のシャツをじわじわと染めていく――チューはそれを見て口元を歪ませて笑みを浮かべた。

 このまま大好きな彼女の匂いにあの男の欲望の匂いが混ざってしまう前に、殺してしまおうか――


 そうすれば、自分の中の彼女は綺麗なままだ。


 それか――


 チューはスキルを使って彼女好みの男に姿を変えると、腰を抱き寄せて肩につけた噛み傷に口付けた。

 彼女は抵抗しない。


 ――なんだ、あいつじゃなくてもよかったんだ。


 そう思いながら、口元についた血を舐め取って視線をオリビアに向ける。

 大丈夫、あんな男よりも満足させてあげられる。

 だから――


「っ……」


 視線が交わるとチューは喉を引き攣らせた。

 昂っていた感情が、急激に落ちていく。

 少しでも、その瞳に欲情の色が滲んでいたらよかったのに――そこにあったのは、困惑と悲しみだけ。


 それでも、諦め切れずに彼女の長い耳に震える指先を這わせる。

 感じて、欲して、少しだけでいい――




「…………うぅゔうぅ……‼︎」


 少しも揺れない彼女の心に、チューは声を上げて泣いた。


 いつだって彼女の感情を動かす事ができるのは、あの男だけだった。

 いつだってオリビアはあの男しか見えていなかった。

 最初から、最初からそうだった。


 それを分かっていて、好きになった。


「お、オリビア様、ご、ごめんなさい……、オリビア様……傷付けて、ご、めんなさい…………」


 勝手に期待して欲したのは自分なのに。

 自分は最初から蚊帳の外の者だったのに。

 分かっていたはずなのに。


 ――このままでは、側にいることさえ許されなくなる。


 血に染まってしまった彼女のシャツに、チューの心は徐々に恐怖に支配されていった。


「ご、ごめん、なさい…………牙を抜きます……爪も剥ぎます……オリビア様を傷付けてごめんなさい……分かってたのに、分かってたのに……こんな自分が……欲を出してごめんなさい……ごめんなさい……」


「チュー」


 オリビアの溜息が聞こえると、チューは思わず肩を跳ねさせた。

 彼女の顔を見る事ができない。


「……落ち着きなさい」


 その一言と共に、オリビアはチューを包むように抱き締めた。

 背中をぽんぽんと叩くオリビアに、チューを支配していた恐怖心が少しずつ弱まっていく。

 チューが縋るように腕を回すと、オリビアはチューの頭を優しく撫でた。


「ごめんね」


 謝る必要なんてないのに。

 なんて、残酷な人(やさしいひと)なんだろう。


 チューは改めて自分と彼女の間にある壁を認識した。

 彼女の髪に顔を埋め、血に濡れて冷たくなった彼女の服を握り締める。

 涙が彼女の肩に落ちると、チューはそこにもう一度、そっと口付けた。





 ――――


 落ち着きを取り戻したチューは慌ててオリビアの傷を確かめた。

 服を脱いで露わになった傷口からは未だ血が流れ続けている。


「し、シオンを呼んだ方がいいですかね⁉︎」


「やめて、知られたら面倒だわ」


「えっと、消毒して、それから……それから……」


 なぜこんな事をしてしまったんだろう――

 自分のつけた歯形から滲む血を見て申し訳なさを感じながらチューは必死に血を拭き取った。


 少しだけ出血が収まると、チューは傷口にガーゼを貼ってオリビアの背中を見つめた。


 魔族との戦いで刻まれた無数の傷痕――それを見ながらチューは息を呑んだ。

 勝手な怒りをぶつけて、彼女にまたひとつ傷を増やしてしまった。


「オリビア様……本当にごめんなさい……」


「もういいったら。オリーが寝てて良かったわね」


 オリビアはそう言いながら棚を漁って着替えの服を探した。

 その変わらない彼女の態度は、チューの胸をより締め付けた。


「……オリビア様の事、好きなままでいてもいいですか……?」


 懲りずに勝手な事を発する口。

 頭ではダメだと分かっていながらも、心はどうしてもオリビアを諦めることができなかった。


 恐々と視線を向けると、オリビアは困り顔で頭を掻いた。


「それ私に聞くの……?…………私、この先もずっと、変わらずカクタスの事好きでいるわよ」


 オリビアの言葉が胸に突き刺さる。

 “好き”だと彼女の口からハッキリ聞いたのは初めてだった。

 それが余計にチューにダメージを与えた。


「……う、うぅ……!」


「…………ごめん、私の事は諦めて」


 更にトドメを刺された。

 心を押し潰すように悲しみが重くのしかかる。


 しかしそれと同時に、しっかり拒否するオリビアに優しさを感じてしまい――また愛しさが増した。


「やっぱり好きでいます‼︎」


「……私に聞いた意味あった?」


 呆れ顔のオリビアを見て、チューは涙混じりに笑って彼女を後ろから抱き締めた。


「チャンスは一度きりとは限りませんもんね!」


「なんの話?」


「はー……もちもち……」


「…………何してんだお前は‼︎」



 ――そう、あの男は一度はオリビアを手放した。

 一度入ったひびは直ったように見えても、ずっとそこにあるのだ。


 それは何度だってチャンスをくれるはず。


 次は躊躇しない。

 しっかりと沈めてしまおう。

 自分がいなければ生きていけないほど、深くに――


 チューの口元がゆっくりと歪み、赤い目が鈍く光る。

 しかし、オリビアがそれに気付くことはなかった。


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