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205/206

205 ワールドカップ追記

 

 はいこんにちは。

 今回は、ふたつ前のFIFAワールドカップ2026について、その後考えていたことをちょっと付け足すお話です。

 最初にお断りしておきますが、今回「まったく」科学的なお話ではないです~。単に「私個人がちょっと考えてしまった」というだけのことなので、まあ流してください。


 そもそも日本サッカー協会のシンボルマークは「ヤタガラス」ですよね。

 ちょいと調べてみたところ、和歌山の熊野には蹴鞠にまつわる伝承と、三本足の烏の神・八咫烏(ヤタガラス)の伝説があるのだそうで。神武天皇の伝説ですね。

 今ではヤタガラスは神のしもべとして、神社で祀られているところもあります。かく言う我が家の毎年詣でる某神社(羽生結弦選手がらみで有名でもある)にも、八咫烏が祀られています。

 つまり、神そのものとまでは言えないまでも、神聖な存在には違いない。


 それをシンボルマークとしている団体の主催するチームが、不道徳な真似をする選手を国際大会の場に選ぶというのは、いかがなものか。


 なんかこう……不敬な気がするんですよね。日本人の私としては。

 神様をシンボルマークにしていなければ、まあ神様から怒られることはないかもしれないんですが……なんて言うか、「祝福」は得られない気がする。


 日本人ばかりでなく、多くの民族にはしばしば「験担(げんかつ)ぎ」というものが存在してきました。科学的な根拠はなにもないですが、「なんとなくそうしといたほうがいい」というので行われて来た習慣ですね。


 神様をシンボルとして冠する以上、やはりできるかぎり清廉潔白な選手たちでもって大会の望み、誠心誠意をもってフェアに戦うのがよいのではないか。そうすればこそ、神々からの大いなる祝福も与えられるというもの。「勝利の女神」はそういうチームに微笑む、と言い換えてもいいかもしれません。

 そういうもの、目には見えないけれど人間の上位存在への尊崇の念と、真摯な態度といったものは実はとても大切なことかもしれません。少なくとも私はそう思います。いわゆる「お天道様が見てる」ってやつです。


 とまあ、ただそういう単なる「ぼやき」みたいなもんなんですが。ちょっとそんなことを考えてしまったもので。

 それでは、今回はこのあたりで。


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