序章 ― 消えた七年
史書から、七年が消えている。
私の二十四の歳から三十一の歳まで。どの巻を繰っても、その間に私が何をしていたか記された一行はない。役所の帳にも寺の名簿にも、私の名はない。まるでその七年だけ私という人間がこの世にいなかったかのようだ。
人はそれを神秘と呼ぶ。空海はあの空白の七年に、人ならぬ何かに触れたのだと。生きているうちから私をめぐる作り話は独り歩きを始めている。曰く、あの男は山中で仙人に経を授かった。岩に向かって真言を誦せば鳥も獣も聴き入った、と。おのれの作り話をおのれの耳で聞かされるのは奇妙なものだ。私は問われるたび穏やかに頷いておく。否定もせぬ。歳を重ねると頷くのが上手くなる。
だが本当のところを言えば、あの七年に神秘などひとつもなかった。私はあのとき、すべてを捨てただけだ。
讃岐の麒麟児と呼ばれ、十五で都に上り、大学寮の明経科で毛詩や尚書を諳んじ、官の道を約束されていた男が。一族の望みも約束された栄達も、みな置いてきた。いや、捨てたのは官位だけではない。もう一つあった。それについてはまだ書けぬ。
とにかく私は何もかも手放して山に入った。経も持たず、後ろ盾も持たず。何をしたいのか自分でもよく分かってはいなかった。ただ覚えれば覚えるほど手をすり抜けていく学問の、その底の浅さにもう耐えられなかった。一度で諳んじられるものなど信じるに足らぬ、と。
それからの七年を私は誰にも語らずに来た。阿波の山に分け入り、土佐の海辺の洞で潮に削られながらただ自分とだけ向き合っていた歳月を。明日の糧も知れぬまま漂うように生きた日々を。
けれどいま思う。あの空白こそが私を空海にした。
からっぽにならねば容れられぬものがあった。後年、私は海を渡り、唐の長安で恵果和尚というひとに会う。和尚はその真理の一切をただ一人私にだけ授けて、ひと月あまりで世を去った。なぜ会って数月の異国の若僧に、と人は訝る。それもまた神秘のひとつに数えられている。だが私には分かっている。あの七年で私は器を空にしていたのだ。満ちた器にはもう何も注げぬ。
だからこれは、満たされなかった男の話だ。神秘の話ではない。何ひとつ手に入らなかった男が何もかも捨てて、ようやくひとつだけ容れられるようになるまでの、ひどく人間くさい話だ。
その七年に私が何を見、何を失い、何になったか。それを私はこれから初めて書こうと思う。
ただし、本当に書かねばならぬ一行の手前で私の筆はきっとまた止まる。それでも書けるところまでは書く。
話はずっと手前から始めねばならない。まだ何も失っていなかった、讃岐のひとりの少年のところから。




