表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/16

5話 針と小さな悪意

 

 ひとまず今は与えられた任務――作業台に山のように積まれている魚の解体作業を終わらせよう。

 腕をまくって、切れ味の悪い包丁を握る。そして猛スピードで魚をさばいていった。

 少しでも料理長に認められように仕事をどんどん片付けよう。


「痛っ」


 そう思った矢先、手先に違和感を感じた。

 左の親指から血が滲んでいる。


「え……何で」


 今日は厄日だ。

 でも何で血が出たんだろう。

 さばいていた魚に顔を近付ける。原因はすぐに分かった。

 


 仕事をしている“ふり”をしながら、ぺちゃくちゃとおしゃべりしている女性たちの元へ足早に向かった。


「失礼」


 そして――

 さっきまで私がさばこうとしていた、頭のない魚を、リーダー格の女性の顔に、思いきり押し付けた。


「きゃぁぁぁぁああ!」

「な、何するのよ!」

「臭っ! こんな事して済むと思っているの!」


 彼女達は鬼の形相で怒鳴ってきた。


「失礼。手が滑りました」


 淡々と言って続ける。


「それより――お顔は大丈夫ですか? 魚の腹のあたりに、何やら光るものがあった気がしたのですが」


 その瞬間、彼女たちは一斉に青ざめた。

 魚を押し付けられた女性は、慌てて自分の顔を指で触り、確かめる。


 やはりそうか。

 魚の腹に縫い針が仕込まれていたのだ。


 今まで私が嫌がらせを黙殺していたせいで、エスカレートしてしまったのかもしれない。

 だが、今回は度が過ぎている。


 一人が魚を奪い取り、縫い針の有無を確認する。

 針がないと分かると、全員が安堵の表情を浮かべ――すぐに、こちらを睨みつけた。


「あんた、最低ね。謝罪だけじゃ済まされないわよ!」

 

 叫ぶ彼女に、淡々と返した。


「ご存知の通り、これは陛下のお口に入る食材です」


 その言葉に、彼女たちは凍りついた。


「くだらない嫌がらせのために、何の関係もない人の命を危険にさらすつもりですか? もし、陛下に何かあれば――あなた方を含め、厨房の人間は全員処刑です」


 嫌がらせは構わない。

 だが、これはダメだ。


 陛下が、もしこれを口にしていたら――そう思うだけで、背筋が冷えた。

 私たちは、美味しいものを出す以前に、“安心して食べられる食事”を出さなければいけない。


「だって、あなたが生意気で……」

「事の重大さが分からないのなら、他の仕事をした方がいいですよ」


 冷たく言い放ち、私は元の作業台に戻って行った。

 彼女たちは、呆然と立ち尽くしている。

 戻る途中、視界の端で――料理長が、彼女たちの方へ向かうのが見えた。


 で、作業台に積み重なった魚についてだが……幸いな事に、縫い針はその一尾だけだった。

 ただ、事件のせいで時間が押し、担当の料理人が「もう別の料理を作る。これは捨てよう」と言い出した。

 

 こんな大量のお魚さんを捨てるだと!?

 そんな勿体ないことできません!――と反論した結果、干物にするべく一人で捌いている。


 窓の外は真っ暗。時計もないから何時か分からない。

 黙々と作業していると、背後から声がした。


「あんたは本当に変わりもんだな」

「……料理長」


 料理長は私の横に椅子を持ってきて座り、何も言わずに魚を捌き始めた。


「あ、ありがとうございます」

「針を仕込んだ奴等だが……異動処分だ。厨房には入らせねぇで当分薪拾いをさせる」

「そうですか」

「不満か?」

「いえ反省してくれているなら、十分です。それだけで済んで良かった」

「ふん、お人好しだな」


 しばらく、無言の時間が流れた。

 料理長は手を止め、私の方を向いた。

 

「あんたは何で、そんなに陛下の食事を変えたいんだ?」


 深いグレーの瞳。

 いつもそこには、仕事への熱意が宿っている。

 そして今、その視線は――私の“本音”を探ろうとしていた。


 この人には、誠実に話さなければならない。

 そう、自然と思った。


「私は、陛下の体重を、三ヶ月で落とすとお約束しました。そして、期間までに成果がなければ処刑されます」

「何だって! 何でそんな事になった?」

「詳しくは言えません。ただ、そのせいで料理長に迷惑をかけた事は謝罪します。すみません」

「……」

「焦っていたのは事実です。でも今はそれだけじゃありません。陛下の現状を知ってしまった以上、放っておけないんです。あの体重では、もう何か病気を抱えていてもおかしくありません」


 そうだ。これはいつもの仕事と同じだ。

 どれだけ相手を心配して、どれだけ力説しても、相手の心が動かなければ、何も変わらない。

 心を通わせて、理解し合って――そこから、やっと栄養マネジメントは始まる。


「それがあんたの目的か?」


 私はまっすぐ料理長を見た。


「それが私の仕事です」

「……」

「手伝って頂いてありがとうございます。後は一人でやりますので……」

「協力してやるよ」

「え?」

「少しだけな」


 口を開けて驚いている私を見て、料理長は少し笑った。


「あんたが今まで何考えてるか分からなかったが、少し理解できた。俺にとっても、陛下は大切な人だ。だから、協力する」


 胸の奥がじんと熱くなる。

 この世界に来てから――初めて、人と心が通じた気がした。


 日本じゃなくても、私を受け入れてくれる人はいる。

 心が温かい気持ちになった。


 ……けれど。


 次の日、その気持ちは――見事なまでに、急降下することになるのだけど。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ