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4話 料理長の壁


「……少しだけ、試させてください」


 返事を待たず、近くの鍋に手を伸ばした。


 塩をひとつまみ減らし、水を少し足す。

 さらに、刻んだ野菜を加えて軽く火を通す。


「……何してやがる」


 料理長の低い声。


 構わず、皿に盛りつけて差し出した。


「一口だけ、味見をお願いします」


 舌打ちしながらも、料理長はそれを口に運ぶ。


 ――次の瞬間。


 ぴたりと動きが止まった。


「塩分を少し落として、野菜の水分で旨味を補いました。脂と塩に頼らなくても、満足感は出せます」


「……ふざけるな」


 料理長が皿を叩きつけた。


「こんなもん、貴族が食うかよ」


 ……だが。

 料理長は、もう一度だけそれを口に運んだ。


「……味は、悪くねぇ」


 小さく、そう呟いた。



 ――ああ、そうか。


 正しいだけじゃ、ダメなんだ。

 私はこの国の食事も文化も何も知らない。この厨房のことだって。


「……分かりました」


 私は深く頭を下げた。


「ここで働かせてください」

「は?」

「あなたのやり方を、全部教えてください」

「あ? いきなり何言ってやがる。却下だ」

「……」


 その後もしばらく頼み続けたが、料理長は「却下」としか言わなくなった。


 そこで私は、別の方法を取ることにした。

 ナトムさんのもとへ急いで行き、(強引に)説得し、紹介状を(強引に)書いてもらった。


 こうして私は、最速で料理長のアシスタントになった。


 とはいえ、任された仕事は、じゃがいもの皮を延々と剥く。食材を何度も往復して運ぶ。皿洗いをひたすら続ける――要するに、下っ端の仕事だ。

 単純作業だが、大事な仕事。


 そして、なかなかに過酷だった。


 しかも新入りの定めなのか、ちょくちょく先輩の女性数名が嫌がらせをして来た。

 背中を押されて、保管してあった大量のブドウの池に突っ込んだり。

 洗い終わった食器に生ゴミをぶちまけられたり……まあ、普段の私ならブチ切れている。


 けれど今は、小さなことに構っている場合じゃない。

 こっちは命が助かるか、この三ヶ月にかかってるのだから。


 厨房で働きだして三日。


 午前の任務は――作業台に山のように積まれている魚の解体作業だ。


 腕をまくって、切れ味の悪い包丁を握る。そして猛スピードで魚をさばいていった。

 少しでも現場を知れるように、仕事をどんどん片付けよう。


「痛っ」

 

 親指から血が滲む。

 

 ……違和感。

 

 包丁で切った感触じゃない。


 魚の腹に指を滑らせる。

 ――固い。


 嫌な予感がした。

 ゆっくりと裂くと、中から細い金属が覗いた。


 ……針?


「え……何で」


 ……ありえない。


 包丁を持つ手に、ぐっと力が入る。

 ――わざとだ。



 仕事をしている“ふり”をしながら、ぺちゃくちゃとおしゃべりしている女性たちの元へ足早に向かった。


「失礼」


 そして――

 さっきまで私がさばこうとしていた、頭のない魚を、リーダー格の女性の顔に、思いきり押し付けた。


「きゃぁぁぁぁああ!」

「な、何するのよ!」

「臭っ! こんな事して済むと思っているの!」


 彼女達は鬼の形相で怒鳴ってきた。


「失礼。手が滑りました」


 淡々と言って続ける。


「その魚、本当に安全だと確認しましたか?」

「……え?」

「腹の中に針、入ってましたよ」


 一歩、踏み出す。


「これ、陛下が口にしていたらどうなっていたか……想像できますか?」


 その瞬間、彼女たちは一斉に青ざめた。

 

 魚の腹に縫い針が仕込まれていたのだ。


 今まで私が嫌がらせを黙殺していたせいで、エスカレートしてしまったのかもしれない。

 だが、今回は度が過ぎている。


「くだらない嫌がらせのために、何の関係もない人の命を危険にさらすつもりですか? もし陛下に何かあれば――誰も無事では済みません」


 嫌がらせなら、まだいい。

 だが、これは違う。


 陛下が、もしこれを口にしていたら――そう思うだけで、背筋が冷えた。


 私たちは、美味しいものを出す以前に——

 “安心して食べられる食事”を出さなければいけない。


「だって、あなたが生意気で……」

「事の重大さが分からないのなら、他の仕事をした方がいいですよ」


 冷たく言い放ち、私は元の作業台に戻って行った。


 彼女たちは、呆然と立ち尽くしている。

 戻る途中、視界の端で――料理長が、彼女たちの方へ向かうのが見えた。


 で、作業台に積み重なった魚についてだが……幸いな事に、縫い針はその一尾だけだった。

 ただ、事件のせいで時間が押し、担当の料理人が「もう別の料理を作る。これは捨てよう」と言い出した。

 

 こんな大量のお魚さんを捨てるだと!?

 そんな勿体ないことできません!――と反論した結果、干物にするべく一人で捌いている。


 窓の外は真っ暗。時計もないから何時か分からない。

 黙々と作業していると、背後から声がした。


「あんたは本当に変わりもんだな」

「……料理長」


 料理長は私の横に椅子を持ってきて座り、何も言わずに魚を捌き始めた。


「あ、ありがとうございます」

「針を仕込んだ奴等だが……異動処分だ。厨房には入らせねぇで当分薪拾いをさせる」

「そうですか」

「不満か?」

「いえ反省してくれているなら、十分です。それだけで済んで良かった」

「ふん、お人好しだな」


 しばらく、無言の時間が流れた。

 料理長は手を止め、私の方を向いた。

 

「あんたは何で、そんなに陛下の食事を変えたいんだ?」


 深いグレーの瞳。

 ここ数日で知った。いつもそこには、仕事への熱意が宿っている。

 そして今、その視線は――私の“本音”を探ろうとしていた。

 この人には、誠実に話さなければならない。

 そう、自然と思った。


「私は、陛下の体重を、三ヶ月で落とすとお約束しました。そして、期間までに成果がなければ処刑されます」

「何だって! 何でそんな事になった?」

「詳しくは言えません。ただ、そのせいで料理長に迷惑をかけた事は謝罪します。すみません」

「……」


「焦っていたのは事実です。でも今はそれだけじゃありません。陛下の現状を知ってしまった以上、放っておけないんです。あの体重では、もう何か病気を抱えていてもおかしくありません」


 そうだ。これはいつもの仕事と同じだ。

 病院で、栄養指導をしていた頃と同じ。


 どれだけ相手を心配して、どれだけ力説しても、相手の心が動かなければ、何も変わらない。

 心を通わせて、理解し合って――そこから、やっと栄養マネジメントは始まる。


「それがあんたの目的か?」


 私はまっすぐ料理長を見た。


「それが私の仕事です」

「……」

「手伝って頂いてありがとうございます。後は一人でやります」


 料理長はしばらく黙っていた。

 やがて、低く呟いた。 


「協力してやるよ」

「え?」

「少しだけな」


 口を開けて驚いている私を見て、料理長は少し笑った。


「あんたが今まで何考えてるか分からなかったが、少し理解できた」

「料理長……」

「……ただし、納得できなきゃすぐ止める」


 じっと私を見据える。


「俺にとっても、陛下は大切な人だ。だから、協力する」


 胸の奥がじんと熱くなる。

 この世界に来てから――初めて、人と心が通じた気がした。


 ……よかった。

 本当に、よかった。


 その瞬間、張り詰めていたものが、ふっと緩む。

 涙が出そうになるのをぐっと堪えた。




 その時の私は、まだ知らなかった。


 この厨房での“たった一つの判断”が――

 陛下の食事を巡る、大きな問題になることを。


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