3話 王の食卓
この世界に飛ばされてから一週間。
ここが日本でも海外でもない、フィラデル王国という国だということくらいは分かってきた。
人々の服装や建物は、まるでヨーロッパ中世を思わせる。
私が突然現れたあの場所は、やはり神殿だったらしい。
国の重要な催事を行う、格式高い場所だ。普段は少数の神官しかいないが、あの日は国の繁栄を祈る大事な日で、お偉い方々が勢揃いしていたという。
そりゃあ、完全に場違いな私は、秒で見つかるわけだ。
問題は、その後だ。
神殿騒ぎのあと、私は大勢に囲まれ、誓約書にサインをさせられた。
三ヶ月で、どれくらい体重を落とせるのか。尋問のように問い詰められ、焦った私は、普段患者さんに伝えている言葉を、そのまま口にしてしまった。
「一ヶ月に、だいたい2パーセントくらいです」
――それが、そのまま誓約書に書かれた。
しかも、文字がまったく読めない。
どこの国の文字なのかも分からないし、本当に私の言った通りに書かれているのかも不明だ。読めない書類にサインする恐怖は半端じゃない。でも、サインしなければ残された道は――死刑。
もう、書くしかなかった。
ただし、待遇だけは、今のところかなり良い。
与えられたのは、私のボロボロの1Kとは比べものにならない部屋。
ちゃんと風呂もあるし、食事も毎回運ばれてくる。
待遇だけ見れば、破格だ。
だから文句を言ってはいけない。
たとえ部屋から一歩も出られなくても。
扉の前に見張りが立っていても。
あの男に、食事について一切アプローチできなくても。
「……んなわけあるかぁ!! こっちは命のリミットが三ヶ月しかないんだぞぉぉ!!」
勢いよく机に突っ伏す。
長くて真っ直ぐな黒髪が、だらりと机に広がった。
しばらくそのままでいると、ふふっと笑い声が聞こえた。
「おはようございます。カンナ、元気そうですね」
「あ、ナトムさん! おはようございます」
乙女の部屋に毎日勝手に入ってくるイケメンのお兄さん――ナトムさんは、今日も爽やかな笑顔を向けてきた。
どうやら、あの太った男の側近らしく、いつも振り回されているのが端々から伝わってくる。
「カンナ、お待たせしました。ついに、お呼びがかかりましたよ」
「やっとですね! ありがとうございます」
やっと、あの男に会える。
残された期間はわずかだ。まずは早急にカウンセリングを――
……と思ったら、その前に着替えさせられた。
中世ヨーロッパ風のワンピース。男性のチュニックによく似ているが、丈は床すれすれまである。
淡い青色のそれをナトムさんから渡され、着替えを済ませる。
動きづらいがコルセットがないだけ、まだマシだ。
とにかく早く栄養改善を!
意気込んでた私を横目に、ナトムさんは、ふぅと息を吐いた。
「……なんか、少し頭が重いですね」
眉間に皺を寄せ、呟いた。
「すみません、なんか急にだるくなってきました……」
ついさっきまで普通だったのに、急に椅子に腰を下ろした。
少しぼんやりしている。
「大丈夫ですか?」
「えぇ」
「急に、ですか?」
「えぇ……少し休めば治ると思います」
ナトムさんは軽く笑ってそう言った。
その笑い方が、少しだけ引っかかった。
「直前に、何か変わったことはありました?」
「……さっき、砂糖菓子をいただきました」
その一言で、ピンときた。
「今、空腹ですか?」
「そういえば、朝ご飯は食べてません」
「それなら、その影響かもしれません」
私は近くにあったパンを差し出す。
「私の朝ごはんの残りで申し訳ないですが、これを少し食べて、水も飲んでください」
「え、今ですか?」
「はい。まずはそれで様子を見てください」
言われた通りに、ナトムさんは上品にパンを口に運んだ。
数分後。
「……あれ、さっきより楽です」
「空腹の状態で糖分だけを摂ると、血糖の変動が大きくなって、だるさや倦怠感が出ることがあります」
私は淡々と続けた。
「体がエネルギー不足のまま急に糖を受け取ると、一時的にバランスが崩れるんです」
ナトムさんが目を瞬かせる。
「そんなことで、ここまで変わるんですね……」
これは、この世界では“見過ごされている体調変化”なのかもしれない。
ナトムさんは少し間を置いて、自分の手元を見つめた。
「実はたまに同じ症状になる時があったのですが、医者も原因を突き止められませんでした」
そして、私を見る。
「カンナは……詳しいんですね」
声の温度が、少しだけ変わった気がした。
ナトムさんが微笑む。
笑顔の奥の距離が、ほんの少しだけ近づいた気がした。
しばらくして、ナトムさんの体調は回復した。
「では、参りましょう」
長い階段を登り、さらに長い廊下を抜けると、大きな広間に出た。
中央には大きなテーブルが置かれ、二十人ほどが和気あいあいと食事をしている。
そして、その中心に――あの男がいた。
私は二メートルほどの距離まで進み、膝を折って頭を下げる。
「久しぶりだな。この城の生活には慣れたか?」
「はい。これも、陛下の寛大なお心遣いのおかげでございます」
「ふん、それは良かったな」
――そう。この男は、この国の王だった。
初めて聞いた時は驚いたが、あの天まで届きそうな上から目線を思い出せば、すぐに納得できた。
……まあ、それはさておき。
とにかく、この男の食生活を把握しなければ始まらない。
「フェルラニン陛下。早速ですが、食事についてお聞きしたいことが――」
「目が悪いのか? 私は今、食事中だ。後にしろ」
「では、食事の後にお時間をいただけませんか?」
「さっき急に会議が入った」
「では、いつなら――」
「十日後なら、いいぞ」
……全然やる気ねぇぇぇ。
食事中がダメなら、十日後もダメじゃないか。
性格悪すぎでしょ、この王様。
このままだと、私、処刑一直線なんだけど!
陛下は私を一瞥すると、向かいの席を指差した。
「そこに座れ。お前の分も十分にある」
テーブルを見ると、確かに陛下の正面の席だけが空いている。
い、いきなり王様と食事……?
周囲の視線が一斉に集まる。
テーブルマナーなんて知らないけれど、陛下の気が変わらないうちに、私は急いで席に着いた。
テーブルには、豪華という言葉では足りないほどの料理が並んでいた。
揚げた鶏肉、脂が滴る豚肉、巨大なチーズの塊。さらに甘い菓子まである。
それらを自分の好きなだけ取り、皿代わりのパンに乗せ、手掴みで食べるらしい。
陛下の周囲に座る男たちは、遠慮なく料理を口へ運び、ばくばくと頬張っている。
私も正直お腹は空いていたが、今は食べている場合じゃない。
「陛下。普段のお食事は、いつもこのような内容なのですか?」
「そうだが」
……うん、完全にアウト。
陛下が一日にどれほどのカロリーを摂取しているかは分からない。だが、この食事を一日三回、さらに間食として甘い菓子まで出てくるとなると、必要摂取エネルギーを超えている可能性が非常に高い。
あと必要なのは――体重。
体重さえ分かれば、具体的な計画が立てられるのに。
頭の中で計算していると、陛下の隣に座っていた髭面の男性が、にやりと笑って話しかけてきた。
陛下より、さらに体重がありそうな体型だ。
「君がフェルの身体を痩せさせると啖呵を切った、カンナちゃんだね。面白い子だ。私はプロン。よろしく頼むよ」
「は、はい……」
プロンさんは、わははと豪快に笑いながら、チーズを口いっぱいに詰め込んだ。
「だがね、痩せる必要があるかい? フェルも私も、病気になったことは一度もないぞ」
「今は大丈夫でも、この食生活を続けていると、体重は確実に増えていきます。体重が増えると、病気のリスクも高くなって……例えば――」
「考えすぎだよ」
プロンさんは私の言葉を遮り、陛下の肩に腕を回した。
「なぁ、フェル。膝が少し痛いくらいで、太ってても別に問題ないよな?」
「叔父上、口から食べ物が飛んでいます……。まあ、今のところ支障はありませんね」
なっ……!
太っててもいいよね同盟が、ここに爆誕している。
まずい。栄養マネジメントは、本人の理解と協力がなければ成功しないのに。
陛下は、何も食べていない私に気づいたのか、フライドチキンを取り分けてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「お前が私を痩せさせたいなら、協力はする」
「えっ、本当ですか」
「だが、特段困ってはいない。食事は厨房から出てきたものを食べているだけだし、間食も出されたものを口にしているだけだ。私ではなく、料理人と話し合えばいいだろう」
……え?
確かに、厨房との相談は必要だ。
でも、どれくらい食べるか、どの料理を選ぶかを決めているのは、陛下本人だ。
失言したら、おそらく極刑。
どう言葉を選ぶべきか慎重に考えている間に、陛下は席を立ち、そのまま広間を後にしてしまった。
早い。早すぎる。
その後、私は城の厨房へ向かった。
厨房は城とは別の建屋にあり、屋根付きの回廊で繋がっている。
本来なら、まず陛下本人と食事についてしっかり話すべきだ。
だが、時間をまったくもらえない以上、先に厨房を攻略するしかない。
厨房の建物は、城とは違い、質素なレンガ造りだった。
扉を開くと、広大な空間が広がる。
無数の釜戸や暖炉、鉄製の鍋やフライパンが所狭しと並び、肉や魚、野菜が山のように積まれていた。
百人近い使用人たちが、忙しなく行き交っている。
案内してくれた侍女に、料理長が誰か尋ねる。
「あの方です」
指差された先には、怒号を飛ばしている男性がいた。
五十代ほどだろうか。白髪混じりの茶髪を白い帽子にきっちり収め、年季の入った前掛けを腰に巻いている。
私は恐る恐る近づき、声をかけた。
「あの……」
「あ? 誰だ、あんた。新しく入った下働きか」
「いえ、違います。陛下のお食事について、ご相談が――」
「……陛下、だと?」
その瞬間、料理長は無言で包丁に手をかけた。
「お前か! 俺の料理にいちゃもんつけてるって奴は! この包丁で、豚みたいに解体されたくなかったら今すぐ出ていけ!」
ひぃぃぃぃ!!
怖い! 怖すぎる!!
どうやら、陛下とのやり取りは、すでに噂として広まっているらしい。
宮中、怖すぎない?
ふと、豪華な料理が目に入る。おそらく、陛下や大臣たちの食事だろう。
先ほど口にした料理を思い出す。
脂の多さ。塩の強さ。偏った品数。
——あれじゃ、体を壊す。
「あなたの料理、美味しかったです」
「当然だ」
「ですが……どうしても栄養バランスが気になってしまいます」
あれだけ騒がしかった厨房が、一瞬で静まり返った。
息を呑む音すら、聞こえない。
「……なんだと」
料理長の目がさらに鋭くなる。
「脂質と塩分がやや多く、品目も少し偏っているように感じました」
一呼吸置く
「このままだと、寿命を縮める可能性があります」
料理長の眉が、ぴくりと動いた。
周囲の料理人たちも、ざわりと揺れる。
喧嘩売ってるようなものだ。
だけど、ここまで言わないと届かない。
この人の料理を変えなきゃ、陛下の体は変わらない。
……やるしかない。
ここで黙れば、何も始まらない。
本日はここまでです。読んでいただきありがとうございます!
しばらくは毎日夜に更新予定です。
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