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31話 この世界で生きる


「ねぇ、マグシム。タオル持ってない?」

「は? なんでそんな事を……って、お前なんで身体ビショビショなんだよ」


 一週間、風呂に入っていない。

 監禁されていたのだから仕方ないとはいえ、自分でも限界だった。

 それに、今更だが、陛下にこの臭いで近付くのは申し訳ない。

 だから小屋の裏の小川で、服ごと洗ってきたのだ。


 マグシムは呆れた顔をすると、どこからか大きなタオルを持ってきて、私の頭に被せた。

 そのままワシワシと乱暴に拭き始める。


「痛い、痛い。自分で拭くから、やめて!」

「お前、逃げなくて良かったのか?」


 ぼそりとマグシムが呟いた。

 

 タオルを顔からどけると、至近距離で目が合った。

 

 マグシムは自分の危険も顧みず、私を助けてくれた。それまでも何度も助けられてきた。

 陛下以外で一番信頼しているのは、多分この人だ。


「うん、いいの。残るって決めたの。心配してくれて、ありがとう」

「そうか。お前がそう決めたなら、もう何も言わねぇよ。さっきから陛下がお呼びだ、早く行け」

「うん」


 髪と服の水滴をざっと拭き、私は急いで陛下の元へ向かった。

 少し離れた場所で、陛下は衛兵に指示を出している。

 私に気付くと、衛兵を下がらせた。


「カンナ。まともに食事を摂っていなかったと聞いたが、大丈夫か? 少し痩せた気がする」

「はい。先程、食事をいただきましたので大丈夫です」

「そうか」

「はい」

「……」 


 ……ん?

 会話、終了?


 まさか、それだけで呼んだわけじゃないよね? 何の用だろう。

 沈黙が続いたあと、陛下は視線を林の奥へ向けた。


「カンナ。先程の続きだが、何故私から逃げなかった?」


 やっぱり、それか。

 これはきっと、陛下にとって大事な質問だ。


 周囲には誰もいない。だから――正直に話そう。

 この人には嘘をつきたくない。


「確かに、一度だけ迷いました。どこか遠くへ逃げようかって。外国に行けば、こんな怖い思いもしなくて済むから。でも……それだと絶対に後悔するって思ったんです」


「後悔?」

「はい、遠くの地で暮らしていても、きっと、陛下との約束を破った事、学校給食を途中でほったらかしにした事を後悔する……」


 陛下が私に視線を向ける。

 深い海の色を思わせる美しい瞳と目が合った。


「それだけじゃありません。私は……陛下の助けになりたい。味方になりたい。そう思ってしまったから。この気持ちから逃げたくなかったんです」


 陛下は目を見開いて驚いた顔をした。


「何故、そこまで……」


 何故だろう。


 別に、異性として好きなわけじゃない。

 優しいから?

 カリスマ性があるから?

 ……どれも違う気がした。


 でも――助けたいと思った。それだけは本当だ。


「とにかく、私は逃げません。助けるなんて、おこがましいのは分かってます。でも……陛下は私をペットみたいに思ってるかもしれませんが、ペットだって飼い主が危険な時は敵に噛みつくくらい出来ます! だから私は、自分の意思で、ここに残ります! 」


 言い切った。


 陛下は固まったまま動かない。

 返事がない……そして沈黙が気まずい。


 なんか急激に恥ずかしくなってきた。


 そもそも、いつも私が陛下に助けられてばかりなのに私は何を言ってるんだ。しかも自分からペットとか言っちゃったよ。なんだこいつ、とか思われているかも。


 すると陛下は無表情で分かった、と言い残すと、スタスタと馬車の方に向かって去って行ってしまった。


 え? それだけ!?

 もっと何かあるでしょ? 不安になるんだけど!


 呆然と立ち尽くしていると、横からマグシムがニヤニヤしながら現れた。


「お前、本当面白い奴だな」







 誘拐事件から生還して一週間後の朝。


 私は陛下の執務室に呼ばれた。

 部屋に入ると、陛下とナトムさんがいる。


 ナトムさんは私に気付くと笑顔で挨拶してくれた。

 一方、陛下は机の書類と睨めっこ中だ。


「フェル様」


 ナトムさんに呼ばれ、ようやく顔を上げた。


「おはようございます、陛下!」

「あぁ」


 相変わらずの無表情だが、声を聞く限り今日はあまり機嫌が良くなさそうだ。


 その理由は、机の両端にもの凄い高さの書類のタワーがあるからだろうか、それとも別の理由か……


 ナトムさんがさらに未決裁書類をどんっと追加し、陛下が露骨に嫌そうな顔をした。

 ……ちょっと面白い。


「急に呼び出して、申し訳ありません。コバト大臣の処遇について確定したので、被害者のあなたにもお伝えしようと思いまして」

「……はい」


「コバト大臣は収賄罪と殺人未遂の罪で大臣職を免職。領地も半分没収、当主の座からも降りていただき、隠居していただく事になりました」

「……そうですか」

「何度も命を狙われたカンナには不満が残る処遇かもしれませんが、貴族がおこした殺人未遂の中では、かなり罪は重い方で……」


 眉を八の字にして心底申し訳なさそうにナトムさんは言った。


 あぁ、やっぱりか。相手は貴族で、私は平民だから。

 この国では例え殺されそうになったとしても、被害者が平民なら貴族の罪は軽いのだ。

 腹立たしい話だ。

 でも、この国ではそれが普通なのだから仕方ない。


 ……もっとも、こうして生きているから、そう思えるだけで。

 死んでいたら、納得なんてできなかったはずだ。 いや死んでたら、納得も何もないか。


「それと、コバト大臣と繋がっていた、あの絹の商家ですが、大臣の件とは別の罪状も多々ありましたので、一族で流刑となりました」


 あの女の人も、結局、流刑になったのか。

 どこに流されてしまうのか分からないけど、あの悲壮な顔を見る限り、碌な場所でないのだろう。


「もうコバト大臣が二度と私に手を出せないのなら、それで問題ありません」

「……そうですか。もっと、恨み辛みを言っても良いのですがね」

「いいんです。こうして生きてますから」


 その言葉に、二人の表情が固まった。


 ……重かったかな、今の。


 でも今日は――私にとって運命の日だ。


 だから、その前に伝えておきたい。


「陛下、ナトムさん、お話があります」

「なんですか?」


 ゆっくりと息を吐いて、心を落ち着かせる。


「私がこの国の神殿に現れた時、自分がどこにいるのかも、何故こうなったのかも分かりませんでした。でも……一つだけ分かった事があります」


 私は二人をまっすぐ見た。


「この世界は、私がいた世界とは違う。私は――異世界から来ました」


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