30話 二人の決断
小窓から脱出し、小屋の外へ回る。
すると、そこには既に大勢の兵士が集まっていた。
鎧姿の兵士。
マグシムの部下らしき近衛騎士。
あの女は縄でぐるぐる巻きにされ、兵士達に囲まれている。
小屋はまだ燃え続けており、兵士達が周囲の木々を切り倒していた。
林全体へ炎が広がるのを防ぐためだ。
そして小屋から少し離れた場所に、人だかりを見つけた。三十人ほどだろうか。
その中央に――
陛下がいた。
え? なんで?
陛下は各地を視察しているはずだ。こんな場所に来るわけがないのに。
「陛下!」
気が付いたら、大声で叫んでいた。
疲労困憊のはずなのに、思った以上に声が出て、自分でも驚く。しかも、そのせいで周囲の視線が一斉にこちらへ向いた。
陛下はいつもの無表情で私を見ていた。
「……カンナ」
距離が遠くて声は聞こえない。でも多分、名前を呼んだんだと思う。
「陛下! カンナです! 無事に生還しました!」
そう叫んで、陛下の元に猛ダッシュした――はずだった。
一週間、まともに食事も睡眠も取れていない身体は、思った以上に限界だったらしい。
数歩走ったところで足がもつれ――
大勢の観衆の前で、盛大に顔面から地面へスライディングした。
周囲がしんと静まり返る。
痛い。
そして――死ぬほど恥ずかしい。
顔を上げたくない。
いっそこのまま死んだふりしようかな……。
そんな現実逃避をしていると、足音が近付き、頭上で止まった。
「カンナ、生きていたか……良かった」
「陛下!」
さっきまで顔を上げたくないと思っていたのに、即座に顔を上げる。
陛下が、じっと私を見下ろしていた。
相変わらず無表情。でも瞳を見れば分かる。
安堵と、不安が入り混じった感情――だと思う。
私が立ち上がると、陛下から真っ白なハンカチを渡された。
「鼻血が出ているぞ」
「え……」
鼻に触れると、指先に少し血がついた。先ほどのスライディングのせいか。
そう言えば、初めてこの世界に来た時も似たような事があったような。
白いハンカチが赤く染まっていくのを見つめながら、陛下が口を開いた。
「カンナ、私はてっきり、お前は逃げるだろうと思っていた」
「え」
ドキッとする。
さっき、まさに迷っていたから。
思わず目を逸らす。
でもそれじゃ図星だと言っているようなものだ。
慌てて視線を戻すと、陛下は真っすぐこちらを見ていた。
心を見透かされているみたいで、居心地が悪い。
「お前は逃げる事が出来た。私との契約から……いや私からな」
「陛下……」
「それだけじゃない。王宮はお前にとって危険な場所だ。排除しようとする者も、利用しようとする者もいる。もし逃げ、外国で幸せに暮らすのなら――私は追っ手を出さなかっただろう」
え、本当ですか……逃げれば良かったかな。
「今、逃げれば良かったと思っただろう」
「いえ、全く」
心読めるのだろうか、この人。
「普通に考えれば、留まる方が危険だ。だから私は逃げる機会を与えた。マグシムを先に潜伏先へ行かせたのも、その為だ。あの男の性格なら、お前を逃がそうと考えるだろうからな」
陛下が、そこまで考えてくれていたことに驚きだ。
この人は本当に優しい人だ。
「なのになぜ、私の前に現れた」
「陛下、それは……」
答えようとした時、見慣れた人物が早足で近付いてきた。
コバト大臣だ。
そういえば同行していたんだった。すっかり忘れていた。
大臣は私を見るなり、顔を歪めて叫んだ。
「貴様! 何だその汚らしい姿は! 陛下の御前であるぞ! しかも臭い!」
「あ……すみません。監禁されてお風呂に一週間入っていないものでして」
「なんだと!」
コバト大臣は目を釣り上げて、私に近付いて来たが、お風呂入っていない発言をすると、鼻を押さえて数歩下がった。
ちょっと傷付いた。
大臣はそのまま陛下へ向き直り、興奮気味に訴える
「陛下! この女は契約を無視し逃走しようとしたのですぞ! しかも私の領地内で火事を起こした! 即刻処分すべきです!」
「コバト大臣、落ち着け。カンナはこの事件の被害者だ」
「被害者などではありません! この女は神殿に不法侵入した、身元不明の外国人です!」
「コバト大臣、落ち着けと言っている」
「いいえ、言わせていただきます。私は陛下の為に言っているのです。怪しい人間を御身の側に置いてはいけません」
すごい言われようだ。
でもこの大臣には普段から散々言われているので、全く気にならなくなってしまった。
大臣が言い切ると、陛下は数秒沈黙し、ゆっくり体を向けた。
「怪しい人間を側に置いているのは其方だろう、大臣」
「……は?」
陛下からの言葉に大臣は固まった。
「其方は最近、王都にある絹問屋と随分と親しいようだな」
「な、何を……そのような事はありません!」
「問屋を王宮御用達に指名する見返りに、かなりの金を積まれているようだが。しかもそこの娘にカンナを殺すよう、けしかけたな」
「陛下! 何をおっしゃるのですか! 私が不当な事をしているとでも!」
大臣は陛下に詰め寄り、叫んだ。
そこへ、縄で縛られたあの女が連れて来られた。
女は大臣を見るなり、泣きついた。
「コバト様! お助け下さい! 投獄も流刑も嫌でございます!」
女は大臣に泣きながら助けを求めた。
だが大臣は女の言葉に、顔を真っ赤にして叫び、振り払った。
「黙れ! 平民の女が気安く私に話しかけるな! こんな女は知らん!」
「コバト様! そんな、何故ですか! この外国人を殺したら、召し上げてくれると、約束したではありませんか!」
「黙れ! 平民め、貴族に罪を着せるとは、死罪であるぞ!」
「そんな……」
女は絶望した顔で大臣を見ていたが、やがてガックリと地面にへたり込んだ。
女が黙り込むと、皆の視線が大臣に集まる。
「……」
この状況は良くないと感じた大臣は必死に弁解を始めた。
「陛下! こんな平民の言葉は、何の証拠にもなりません! 長年仕えてきた私を信じてください」
「確かに、平民と貴族では、貴族の発言が通るのが常だ」
「えぇ、その通りです」
「だが、紙は嘘をつかない」
「…………は?」
うんうんと頷いていたコバト大臣の動きが止まった。
「最近、其方は裏の活動が忙しかったようだな。行動が怪しいと、マグシムから報告がきていた。そのため、数日前から極秘に、其方を騎士団に監視させていたのだ」
コバト大臣が息を呑んだ。
「コバト大臣、其方は何度もこの娘と手紙のやり取りをしていたようだな」
「陛下、一体何を言って……」
「この娘には読んだら手紙を燃やすように指示をしていたのだろう。だから其方は証拠はないと高を括っているのではないか?」
大臣は眉を寄せて思案すると、急にハッとなり青ざめた。
「まさかっ!」
陛下は懐から羊皮紙を取り出し、それを大臣の前に突きつけた。
「コバト大臣、其方が書いた直筆の手紙は、全て私が持っている。この娘に届いた手紙は、其方の手紙を書き写した偽物だ」
「そんな、何故……」
大臣の顔は今にも死にそうな位、真っ青だった。
「簡単な話だ。手紙を配達した人間を買収しただけの事。詰めが甘かったな。いくら相手が平民でも、私欲の為に殺そうとした物的証拠が残っている以上、罪は免れないぞ」
大臣は口を半開きにしたまま、立ち尽くした。
すると今度はマグシムが大臣に近付き、書類の束を大臣に見せた。
「あなたの罪はそれだけではありません。この絹の問屋以外にも、多くの商家や貴族から、不明確な金があなたに流れている事が分かっています。大分時間はかかりましたが、これがその証拠の書類です」
大臣は書類の束を何枚か確認すると、反論ができないと分かったのか、膝から崩れ落ちた。
陛下はしばらく大臣を黙って見ていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「一つだけ聞きたい。何故カンナを殺そうとした」
大臣は項垂れながら答えた。
「……大事な子供に悪い虫がつけば、追い払おうと思うのは当然のことです」
大臣がそう言うと、陛下は少しだけ悲しそうに瞳を伏せた。
大臣は私を殺そうとした。
裏で金も受け取っていた。
それでも――陛下を大切にしていたことだけは、本物だったのだと思う。
人は一面だけでは、決して語れない。
「其方は、私が即位した時も……そして今までも、父上の時と変わらず忠誠を誓ってくれた。だから……残念でならない」
衛兵に連れて行かれる――その小さくなった背中を、陛下はずっと見つめていた。




