10話 叔父上の異変
突然プロン様が倒れた。
私を含め、周囲の衛兵たちも驚きのあまり、誰一人として動けずにいた。
その沈黙を破るように、数秒後――誰かが走ってくる足音が響いた。
マグシムさんだ。
彼は真っ先にプロン様へ駆け寄り、意識がないことを確認すると、すぐさま近くの衛兵へ指示を飛ばした。
「至急、医者を呼べ! 早くしろ!」
ほどなくして医師たちが駆けつけ、辺りは一気に騒然となる。
プロン様は慎重に、私室へと運ばれていった。
一体、何が起こっているのか。
頭が真っ白で、何も考えられない。
皆が一斉に私室へ向かう中、私も後を追おうとしたが、衛兵に制止された。
どうして――さっきまで普通に会話していたのに。
必死に考えようとするが、頭が回らない。
その時、背後から荒い息遣いが聞こえた。
振り返ると、私を処刑しようとしたあの大臣が、焦りを滲ませながら走ってきた。
私の前を通り過ぎる際、こちらを一瞥した。
「この疫病神め」
目一杯の嫌悪を向けられ、そのまま部屋へと入っていった。
それから数分後。
今度は陛下とナトムさんが、真っ青な顔で駆け込んできた。
私の存在には気づかないまま、二人も扉の向こうへ消えていく。
……どれくらい時間が経ったのだろう。
地上に出た時は朝だったはずなのに、今、窓の外は真っ暗だ。
一体どうなったのか。
プロン様は無事なのか。
何人かが部屋から出てきたが、誰一人として状況を教えてくれない。
しばらくして、ナトムさんが部屋から出てきた。
ひどく疲れた顔をしている。
「カンナ、まだここにいたのですね。丁度いい。部屋に入りなさい」
ナトムさんは、私の薄着に気づくと、自分のマントをそっと肩に掛けてくれた。
「……はい」
足が進まない。
中に入れば、プロン様の状況が分かるはずなのに――入りたくない。
それでも、無理やり足を動かした。
プロン様の私室は、王族の部屋とは思えないほど質素だった。
だが、調度品一つ一つには品があり、静かな高級感が漂っている。
この部屋の主が、どれほど高位な人物かが伝わってくる。
部屋の中央。
窓際のベッドを囲むように、大勢の人が集まっている。
人垣に遮られ、プロン様の姿は見えない。
「カンナ」
陛下の声がした。
だが、人が多すぎて姿は確認できない。
「叔父上は、倒れた時、どのような状況だった」
ひどく疲れた、今にも消え入りそうな声だった。
「……頭を押さえたまま動かなくなって……返事もなく、突然意識を失われました」
「そうか……」
陛下がそう呟いた直後、医師の声が響いた。
「申し訳ございません、陛下。なぜ倒れられたのか、今の医学では私どもにも分かりません」
「誰かが呪いをかけたに違いない!」
大臣が、私の方を睨みながら叫んだ。
「やめろ」
陛下の低い声が、部屋に響く。
「……皆、疲れたであろう。詳細は明日だ。ナトムとカンナ以外は退出しろ」
全員が一斉に頭を下げ、部屋を出ていった。
残ったのは、私とナトムさん、陛下、そして――プロン様。
プロン様はベッドに横たわっている。
私の位置からは、顔は見えない。
「陛下……プロン様の容態は……」
「カンナ。お前なら、何の病か分かるか?」
突然、そう問われた。
「未知の世界から来たと言っていたな」
「……思い当たることはありますが……私は医者ではありません」
「言え」
「確証のないことは……」
「いいから言え」
言いたくない。
けれど、言わないという選択肢は許されない。
「……あくまで推測ですが。脳梗塞や、くも膜下出血などの、脳血管疾患の可能性があります」
「なんだ、それは」
脳血管疾患。
脳の血管が詰まったり、破れたりすることで起こる病だ。
日本では決して珍しくない。
食事、運動不足、喫煙、ストレス――様々な生活習慣が引き金になる。
だが、ここには検査機器もカルテもない。
そもそも、私は医者ではない。
あくまで推測。
それ以上でも、それ以下でもない。
一通り説明し終えると、陛下は黙り込んだ。
「……父上が倒れた時と、同じだ」
「陛下、確証はありません」
「呪いだと言われるよりは、マシだ」
「……」
「叔父上は、誰にでも分け隔てなく、愛情を注ぐ人だった」
突然、陛下が語り出す。
「父のように育ててくれた。私の、理解者だった」
嫌な予感が、胸の奥で膨らんでいく。
言葉の一つ一つが、胸に重く落ちてくる。
「……陛下」
陛下が、こちらを向いた。
「私も――父上や叔父上のように、死ぬのか?」
淡々とした問いかけ。
それなのに、胸が強く締め付けられた。
分かっていた。
怖くて考えないようにしていただけで。
朝、笑っていた人が、
こんなにも突然、いなくなった。
涙が、自然と溢れた。
……なんで私が泣いているんだ。
一番辛いのは、この人なのに。
「原因は様々ですが……生活習慣を改善すれば、この病のリスクは下げられます」
涙が止まらない。
「私にできることは限られています。それでも、少しでも陛下が健康で長生きできるよう、努力します。だから……」
陛下がゆっくり近づき、私の前で立ち止まる。
目が合う。
それは、地下牢から救い出してくれた人と、同じ瞳だった。
それはまるで、
深く澄んだ――海の色。
「……なぜ、お前が泣く」
「……すみません」
陛下の指が、そっと私の涙を拭った。
「カンナ。倒れた時、叔父上の近くにいたそうだな」
「何も出来ず、申し訳ありません」
「叔父上は、お前を気に入っていた。最後に側にいてくれて、良かった」
……この人は、なんて優しいんだ。
一番辛いはずなのに。
私を疫病神だと責めても、おかしくないのに。
「お前に、協力する」
「え……?」
「私の食事のことは、すべてお前に任せる」
「陛下……」
陛下は再びベッドの前へ進み、膝を折る。
プロン様の胸元で組まれた両手に、自身の手を重ねた。
「叔父上。必ず、この国を平和で繁栄した国にしてみせます」
私は、その光景を――
ただ、ぼんやりと眺めていた。




