第二章 赤いマフラーの落とし物(後編)
翌日の放課後。
文芸部の活動を終えた遥と葵は、図書室で借りた学校新聞のコピーを机の上へ広げていた。
夕日が部室をオレンジ色に染め、窓の外では吹奏楽部の演奏がかすかに聞こえてくる。
「ここまで分かったことを整理しよう。」
遥が新聞を見ながら言う。
葵はノートを開き、ペンを走らせる。
「まず一つ目。」
「赤いマフラーの持ち主は、卒業生の林里奈さんの可能性が高い。」
「うん。」
「二つ目。」
「卒業式の日、誰かへ渡したいものがあった。」
「でも渡せなかった。」
遥は静かにうなずく。
「そして三つ目。」
「マフラーは十五年近く経った今、この学校へ戻ってきた。」
葵は腕を組む。
「ここなんだよね。」
「どうして今なんだろう。」
二人とも考え込む。
その時だった。
「失礼します。」
部室の扉がゆっくり開く。
結菜だった。
「上乃園先輩。」
「図書室の先生からお聞きしました。」
「昨日の記事のことです。」
そう言うと、結菜は一枚のコピー用紙を差し出した。
「新聞をもう少し調べていたら、こんな記事を見つけました。」
遥は受け取る。
記事は林里奈が高校二年生だった頃のものだった。
見出しには、
『地域ボランティア活動 感謝状授与』
と書かれている。
写真には赤いマフラーを巻いた林里奈と、一人の年配男性が並んで写っていた。
「この人……。」
葵が写真を指差す。
「学校の先生?」
「違う。」
遥は写真の説明文を読む。
『長年学校を支えてきた用務員・高橋さんへ、生徒代表として花束を贈る林里奈さん。』
その一文を読んだ瞬間、遥の表情が変わる。
「葵。」
「うん。」
「昨日、先生が言ってた。」
「卒業式の日に渡せなかったものがあるって。」
「もしかして。」
「花束じゃなくて。」
「このマフラー……?」
二人は顔を見合わせる。
「用務員さんへ?」
葵が小さくつぶやく。
遥は新聞記事をもう一度見返した。
「林さんは毎年赤いマフラーを巻いていた。」
「そして、高橋さんは冬でも毎日外で仕事をしていた。」
「もし私だったら。」
「寒くないようにって。」
「マフラーを贈る。」
葵の目が大きくなる。
「じゃあ。」
「卒業式の日に渡す予定だった?」
「その可能性が高い。」
◇
二人はすぐに職員室へ向かった。
しかし、高橋という用務員はすでに退職していることが分かる。
「十年以上前に定年退職されました。」
先生が教えてくれる。
「今は市内で暮らしていると聞いています。」
遥は少し考え込む。
「まだ確定じゃない。」
「直接お話を聞けたら……。」
その時だった。
「先生。」
結菜が少し緊張した様子で口を開く。
「卒業アルバムの住所録に、連絡先が残っているかもしれません。」
「なるほど。」
先生はうなずく。
「学校からなら確認してみましょう。」
結菜は嬉しそうに微笑む。
「上乃園先輩のお役に立ててよかったです。」
遥も穏やかに笑った。
「ありがとう、白石さん。」
そのやり取りを見ながら、葵も笑顔を浮かべる。
「白石さん、よく気が付いたね。」
結菜は一瞬だけ葵を見る。
「……ありがとうございます。」
返事はしたものの、その笑顔は遥へ向けるものとは少し違っていた。
その小さな違いに、葵はまた静かな違和感を覚える。
(やっぱり……。)
(私の考えすぎじゃないみたい。)
けれど、今はマフラーの謎を解くことが先だった。
遥は窓の外を見つめる。
夕焼けに染まる校庭を見ながら、小さくつぶやいた。
「あと少し。」
「きっと、このマフラーに込められた想いが分かる。」
その想いは、十五年という時間を越えて、もうすぐ本来届くはずだった相手のもとへ届こうとしていた。
翌日の放課後。
文芸部の部室では、部誌の原稿をまとめる部員たちの声が響いていた。
その時、部室の扉が静かにノックされる。
「失礼します。」
入ってきたのは担任の先生だった。
「上乃園、神原。」
「少し時間いいか。」
「はい。」
遥と葵は立ち上がる。
先生は笑顔で一枚のメモを差し出した。
「昨日の赤いマフラーの件だ。」
「退職された高橋さんと連絡が取れたよ。」
「本当ですか!」
葵が思わず声を上げる。
「ああ。」
「事情を話したら、ぜひ学校へ伺いたいと言ってくださった。」
遥は静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「明日の放課後、校門前で待ち合わせだ。」
◇
翌日。
放課後の校門前。
冷たい風が吹き、並木道の落ち葉を舞い上げていた。
遥は赤いマフラーを丁寧に紙袋へ入れ、大切そうに抱えている。
「少し緊張するね。」
葵が空を見上げながら笑う。
「うん。」
遥もうなずく。
「本当に高橋さんのものだったらいいな。」
「きっと大丈夫。」
葵が優しく言った、その時だった。
「上乃園先輩!」
二人の後ろから元気な声が響く。
振り返ると、結菜が少し息を切らしながら走ってきた。
「はぁ……。」
「間に合いました。」
「白石さん。」
遥は穏やかに微笑む。
「来てくれたんだ。」
「はい。」
結菜は嬉しそうにうなずく。
「最後まで見届けたくて。」
「私も、この謎を調べた一人ですから。」
遥は優しく笑った。
「ありがとう。」
「白石さんのおかげで手掛かりも増えた。」
「本当に助かったよ。」
その一言だけで、結菜の表情はぱっと明るくなる。
「い、いえ!」
「そんな……。」
「上乃園先輩のお役に立てたなら、それだけで十分です。」
その様子を見て、葵も笑顔で声を掛ける。
「白石さんが来てくれてよかった。」
「三人で最後まで見届けよう。」
結菜は葵へ視線を向ける。
「……ありがとうございます。」
返事はしたものの、その笑顔はどこかぎこちない。
すぐに視線は遥へ戻っていた。
葵はその小さな違和感に気付く。
(まただ……。)
(私にだけ少し距離がある。)
しかし、その理由までは分からなかった。
◇
校門の向こうから、ゆっくりと一人の男性が歩いてきた。
白髪の混じった穏やかな表情。
優しそうな笑顔が印象的だった。
先生が男性へ近づく。
「高橋さん。」
「今日はありがとうございます。」
「こちらこそ。」
男性は笑顔で頭を下げた。
「久しぶりの学校だ。」
「懐かしいな。」
遥も一歩前へ出る。
「初めまして。」
「文芸部二年の上乃園です。」
「神原です。」
「一年の白石です。」
三人はそろって頭を下げた。
高橋は優しく微笑む。
「礼儀正しい子たちだね。」
「先生から話は聞いているよ。」
「赤いマフラーを見つけてくれたそうだね。」
遥は紙袋からマフラーを取り出す。
「これです。」
高橋は両手で受け取り、その瞬間、目を大きく見開いた。
「……。」
ゆっくりとマフラーを広げる。
端に縫われた、小さな白い刺繍。
『R』
高橋はその文字を指先でそっとなぞった。
「間違いない。」
「このマフラーだ……。」
その声は少し震えていた。
「林里奈さんが。」
「私へ渡そうとしていたマフラーだ。」
三人は静かに顔を見合わせる。
十五年間、誰にも届かなかった想い。
その真実が、ようやく語られようとしていた。
校門前は、夕日に包まれていた。
高橋は赤いマフラーを両手で大切そうに持ち、しばらく何も言わなかった。
十五年という時間が、その一枚の毛糸に詰まっているようだった。
「この刺繍……。」
高橋は白い糸で縫われた『R』の文字を指先でなぞる。
「里奈さんが、自分で縫っていたんだ。」
「毎年冬になると、このマフラーを巻いて学校へ来ていた。」
その懐かしそうな声に、遥は静かに耳を傾ける。
「林さんは、どんな生徒だったんですか。」
高橋は優しく笑った。
「誰にでも分け隔てなく接する子だったよ。」
「朝早く登校しては落ち葉を集めたり、花壇の手入れを手伝ってくれたりね。」
「『高橋さん、おはようございます!』って、いつも元気に声を掛けてくれた。」
葵も思わず笑みを浮かべる。
「なんだか……。」
「遥みたい。」
遥は少し照れたように笑った。
「そんなことないよ。」
そのやり取りを見ていた結菜は、ほんの少しだけ胸が締め付けられるような思いがした。
◇
その時だった。
「高橋さん!」
校門の向こうから、一人の女性が駆け寄ってくる。
ベージュのコートに身を包んだその女性は、息を切らしながら足を止めた。
「お待たせしてしまって、すみません。」
先生が微笑む。
「林さん。」
遥たちは女性へ一礼する。
「初めまして。」
「文芸部二年の上乃園です。」
「神原です。」
「一年の白石です。」
女性は優しく頭を下げた。
「林里奈です。」
「皆さん、本当にありがとうございます。」
その視線が、高橋の手にある赤いマフラーへ向く。
里奈は目を見開き、小さく息をのんだ。
「そのマフラー……。」
「残っていたんですね。」
◇
里奈はゆっくりと話し始めた。
「高校一年生の冬でした。」
「家庭科の授業で初めて編んだマフラーなんです。」
「最初は自分で使っていたんですが……。」
懐かしそうに微笑む。
「高橋さんは、寒い日でも毎日校門に立って、生徒みんなへ『おはよう』って声を掛けてくださっていました。」
「だから卒業するとき。」
「『今までありがとうございました。寒い日に使ってください。』って渡すつもりだったんです。」
高橋は静かにうなずく。
「でも卒業式の日、お父様の具合が悪くなられたんだったね。」
「はい。」
里奈の表情が少し曇る。
「卒業式が終わってすぐ病院へ向かうことになって……。」
「マフラーを持っていた紙袋だけ、校舎へ置いたままになってしまいました。」
「あとで取りに来ようと思っていたんです。」
「でも、そのまま時間だけが過ぎてしまって……。」
十五年間、ずっと心に残っていた後悔だった。
◇
高橋は赤いマフラーを見つめ、穏やかに笑った。
「里奈さん。」
「ありがとう。」
「十五年遅れても。」
「私は今日、この贈り物を受け取ることができた。」
そう言って、マフラーを首へ巻く。
「暖かい。」
「本当に暖かいよ。」
里奈の目には涙が浮かんでいた。
「こちらこそ……。」
「受け取ってくださって、ありがとうございます。」
夕日に照らされた校門で、高橋と里奈は穏やかな笑顔を交わした。
十五年越しの約束は、ようやく果たされたのだった。
◇
帰り際。
里奈は遥たちへ深く頭を下げた。
「皆さんが見つけてくださらなければ、この想いは届かないままでした。」
「本当にありがとうございました。」
遥は静かに微笑む。
「私たちは、少しお手伝いしただけです。」
「想いを届けたのは、林さん自身ですよ。」
里奈はその言葉に優しくうなずいた。
「あなたは……。」
「昔の私より、ずっと素敵な文芸部員ですね。」
その言葉に遥は少し照れたように笑った。
◇
高橋と里奈を見送り、先生も職員室へ戻っていく。
校門には、遥、葵、結菜の三人だけが残った。
「終わったね。」
葵がほっと息をつく。
「うん。」
遥も穏やかにうなずく。
「今回も、優しい謎だった。」
「人の気持ちは、時間が経ってもちゃんと届くんだね。」
「はい。」
結菜も静かに答えた。
その横顔には、どこか憧れにも似た表情が浮かんでいる。
「上乃園先輩。」
「今日はありがとうございました。」
「白石さんも。」
遥は優しく微笑んだ。
「資料を探してくれて、本当に助かったよ。」
「これからもよろしくね。」
その一言だけで、結菜は嬉しそうに笑顔になる。
「はい!」
元気よく返事をすると、一礼した。
「それでは失礼します。」
「お疲れさまでした。」
結菜は二人へ頭を下げ、そのまま駅とは反対方向の通学路へ歩いていく。
少し歩いたところで、ふと振り返った。
そこには、いつものように並んで歩き始める二人の姿があった。
「帰ろう、遥。」
「うん、葵。」
二人は笑顔で歩き出す。
その姿を見つめながら、結菜は小さくつぶやいた。
「……やっぱり。」
「上乃園先輩の隣は、神原先輩なんだ。」
胸の奥が少しだけ痛む。
それでも、遥への憧れは変わらなかった。
「私も……。」
「もっと上乃園先輩に認めてもらえるようになりたい。」
そう小さく決意すると、結菜は前を向いて歩き始めた。
◇
夕焼けに染まる帰り道。
遥と葵は、落ち葉を踏みしめながらゆっくり歩いていた。
「肉まん、まだ売ってるかな。」
葵が笑う。
遥も少し笑って答える。
「今日は買えるといいね。」
「じゃあ急ごう。」
二人は自然と歩幅を合わせる。
木枯らしは冷たかったが、その帰り道はどこか温かかった。
秋は静かに終わりを告げ、季節はゆっくりと冬へ歩き始めていた。
――第二章 赤いマフラーの落とし物 完――




