第二章 赤いマフラーの落とし物(中編)
夕暮れの校門。
木枯らしが吹くたび、ベンチの上に置かれた赤いマフラーの端が小さく揺れた。
遥は両手でそっと持ち上げる。
何度も使われた柔らかな手触り。
ほつれはほとんどなく、大切に扱われてきたことが伝わってくる。
「きれいなマフラーだね。」
葵が優しくつぶやく。
「うん。」
遥は端に縫われた白い刺繍へ視線を向けた。
そこには小さく、
『R』
の一文字だけが縫われている。
「名前の頭文字かな。」
「そうかもしれない。」
遥は校門の周りを見渡した。
すでに下校する生徒の姿もまばらになっている。
「もう少し待ってみよう。」
「うん。」
二人はベンチへ腰掛け、持ち主が戻ってくるのを待つことにした。
◇
十分ほど経った頃。
一人の一年生女子が走ってきた。
結菜だった。
「あっ、上乃園先輩!」
結菜は二人を見ると嬉しそうに駆け寄る。
「まだ帰られてなかったんですね。」
「うん。」
遥が微笑む。
「忘れ物の持ち主を待ってるんだ。」
結菜は赤いマフラーへ目を向けた。
「忘れ物ですか?」
「校門のベンチに置いてあったの。」
「誰か取りに来るかもしれないと思って。」
「そうだったんですね。」
結菜はすぐに遥の隣へ立つ。
「私も一緒に待ちます。」
その言葉に、葵は小さく笑う。
「ありがとう。」
「でも、寒いから無理しなくても大丈夫だよ。」
「いえ!」
結菜は少し強い口調で答えた。
「上乃園先輩のお手伝いをしたいんです。」
その一言に、遥は穏やかに微笑む。
「ありがとう、白石さん。」
「助かるよ。」
その笑顔だけで、結菜は嬉しそうに表情を緩めた。
◇
三人で待っていたものの、持ち主は現れなかった。
「やっぱり職員室へ届けよう。」
遥が立ち上がる。
「うん。」
葵も立ち上がると、結菜はすぐにマフラーを受け取ろうと手を伸ばした。
「私が持ちます。」
「ありがとう。」
遥は自然にマフラーを結菜へ預ける。
その様子を見た葵は、どこか引っ掛かるものを感じた。
結菜はずっと遥ばかりを見ている。
自分へ向けられる言葉は最低限。
考えすぎだろうか。
そう思いながらも、胸の奥に小さな違和感が残った。
◇
職員室へ向かう途中。
廊下で用務員の佐々木とすれ違う。
「あれ?」
佐々木は結菜が持つ赤いマフラーを見るなり足を止めた。
「そのマフラー……。」
遥が尋ねる。
「ご存じなんですか?」
「いや。」
佐々木は懐かしそうに目を細める。
「昔、この学校でよく見た色なんだ。」
「昔?」
葵が聞き返す。
「ああ。」
「十五年くらい前かな。」
「冬になると、毎日のように赤いマフラーを巻いて登校していた卒業生がいた。」
「卒業生……。」
遥は静かにつぶやく。
「名前までは覚えてない。」
「でも、本当によく似ている。」
佐々木はそう言うと、少し首をかしげながら仕事へ戻っていった。
◇
「また卒業生……。」
葵が小さくつぶやく。
「読書週間の栞と同じだね。」
「うん。」
遥もうなずく。
「偶然とは思えない。」
その会話を聞いていた結菜は、少し身を乗り出した。
「上乃園先輩。」
「この件、私も調べてもいいですか?」
「もちろん。」
遥は優しく微笑む。
「ありがとう、白石さん。」
結菜は嬉しそうに笑った。
「頑張ります!」
その横で葵は、
「じゃあ私たちも——」
と言いかけた。
しかし結菜は、その言葉に重ねるように、
「上乃園先輩、明日図書室で昔の卒業アルバムを見てみませんか?」
と遥へだけ話しかけた。
葵の言葉は自然に途切れる。
遥は気付かないまま答える。
「いい考えだね。」
「図書室の先生にも聞いてみよう。」
「はい!」
結菜は嬉しそうに笑う。
一方、葵はその様子を静かに見つめていた。
(……やっぱり。)
(私の気のせいじゃないのかな。)
木枯らしが吹き、廊下の窓を小さく揺らした。
まだ誰も知らない。
赤いマフラーの謎だけではなく、一年生・白石結菜の心にも、小さな波紋が広がり始めていることを。
翌日の昼休み。
遥と葵は約束どおり図書室を訪れた。
窓の外では、木枯らしが校庭の落ち葉を舞い上げている。
「こんにちは。」
遥が声を掛けると、図書室の先生は本を整理する手を止めて微笑んだ。
「上乃園さん、神原さん。昨日のマフラーのことですね。」
「はい。」
遥は赤いマフラーを丁寧に机へ置く。
「何か分かることはありませんか。」
先生はマフラーを手に取り、懐かしそうに目を細めた。
「この色……。」
「どこかで見たことがある気がします。」
その時だった。
「失礼します!」
元気な声とともに図書室へ入ってきたのは、結菜だった。
「上乃園先輩!」
結菜は遥の姿を見つけると、ほっとしたように笑顔を見せる。
「昨日から気になって、昔の卒業アルバムを借りてきました。」
そう言って、大きなアルバムを机へ置く。
「ありがとう、白石さん。」
遥が微笑む。
結菜の頬が少し赤く染まった。
「いえ……。」
「上乃園先輩のお役に立てるなら。」
その様子を見ていた葵は、静かにアルバムを開いた。
何も言わない。
ただ、いつものように遥の隣へ座る。
◇
三人は卒業アルバムを一冊ずつ調べ始めた。
「赤いマフラー……。」
「『R』の刺繍……。」
結菜が写真をめくりながらつぶやく。
「見つかるといいね。」
葵が優しく声を掛ける。
しかし結菜は小さくうなずくだけで、すぐに視線をアルバムへ戻した。
その反応に葵は少しだけ寂しそうに笑う。
遥は資料へ集中していて、その空気には気付いていなかった。
◇
一時間ほど調べても手掛かりは見つからない。
図書室の先生が別の棚から古い学校新聞を持ってきた。
「アルバムではなく、学校新聞なら載っているかもしれません。」
遥は一枚ずつ丁寧にページをめくる。
その時だった。
「あ。」
遥の指が止まる。
一枚の記事。
写真には、赤いマフラーを巻いた女子生徒が写っていた。
記事の見出しには、
『地域清掃ボランティア 三年連続参加』
と書かれている。
「この人……。」
葵が写真をのぞき込む。
首には、今目の前にあるものとよく似た赤いマフラー。
そして記事の最後には名前があった。
『林 里奈』
「イニシャルのRだ。」
葵が言う。
遥もうなずいた。
「たぶん、この人。」
◇
図書室の先生は記事を見て思い出したように言った。
「林さんなら覚えています。」
「卒業してからも、毎年冬になると学校へ顔を出してくださっていました。」
「でも、ここ数年は来られていませんね。」
その時、結菜が小さく声を上げた。
「あの……。」
三人が振り向く。
「この学校新聞の記事。」
「取材した先生の名前が書いてあります。」
遥も気付く。
顧問だった先生の名前だった。
「その先生なら。」
図書室の先生が微笑む。
「今もこの学校にいらっしゃいますよ。」
葵が笑顔になる。
「じゃあ聞きに行こう!」
◇
職員室。
当時の記事を書いた国語科の先生は、新聞を見て懐かしそうに笑った。
「林さんか。」
「本当に優しい子だったよ。」
「毎年、自分で編んだ赤いマフラーを巻いていた。」
「卒業する時も、『この学校は私の宝物です』って言ってくれてね。」
先生は少し考えてから続けた。
「そういえば。」
「卒業式の日、急いで帰ることになってしまって。」
「職員室へ寄れなかったと後で連絡があった。」
「寄れなかった?」
遥が尋ねる。
「渡したいものがあったらしい。」
「でも、そのまま機会がなくなってしまったんだ。」
先生は赤いマフラーを見つめる。
「もしかしたら……。」
「その時のものかもしれないね。」
◇
職員室を出ると、夕日が廊下を赤く照らしていた。
「少しずつ分かってきたね。」
葵が笑う。
「うん。」
遥もうなずく。
「でも、まだ一つ足りない。」
「林さんは、誰に何を渡そうとしていたのか。」
その答えが分かれば、この謎はきっと解ける。
「上乃園先輩。」
結菜が遥の横へ並ぶ。
「私も最後まで調べます。」
遥は穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、白石さん。」
「一緒に頑張ろう。」
その言葉だけで、結菜は嬉しそうに笑う。
しかし、その少し後ろを歩く葵の姿を見ると、表情はほんの少しだけ曇った。
(やっぱり……。)
(上乃園先輩の一番近くにいるのは、神原先輩なんだ。)
心の中で芽生えた小さな嫉妬は、まだ誰にも気付かれていなかった。
一方、遥は隣を歩く葵に目を向ける。
「帰ろう、葵。」
その一言で、葵はいつもの笑顔に戻る。
「うん、遥。」
二人は並んで夕暮れの廊下を歩き始める。
その後ろ姿を、結菜は静かに見つめていた。
赤いマフラーの謎。
そして、まだ言葉にならない結菜の想い。
二つの物語は、ゆっくりと交わり始めていた。
(第二章 後編へ続く)




