第二章 赤いマフラーの落とし物(前編)
十一月も終わりを迎え、校庭を吹き抜ける風はすっかり冬の匂いを運んできていた。
木々を彩っていた紅葉も少しずつ枝を離れ、登校する生徒たちの足元でカサリ、カサリと音を立てている。
朝の校門。
「おはよう、遥。」
聞き慣れた声に、遥は振り返った。
「おはよう、葵。」
首元に紺色のマフラーを巻いた葵が、小走りで駆け寄ってくる。
「今日は昨日より寒いね。」
「うん。」
遥も制服の上にカーディガンを羽織っていた。
「天気予報では、今週からもっと寒くなるって。」
「じゃあ、肉まんの季節だ!」
葵が嬉しそうに笑う。
「帰りにコンビニ寄ろう?」
「いいよ。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
そんな何気ない朝の会話も、二人にとっては当たり前の日常になっていた。
◇
「おはようございます、エデンさん!」
校門をくぐると、一年生の女子生徒たちが元気よく頭を下げる。
「おはよう。」
遥はいつものように穏やかに微笑み返した。
その様子を少し離れた場所から見つめる、一人の女子生徒がいた。
一年生の白石結菜だった。
肩まで伸びた黒髪を揺らしながら、結菜は憧れるような眼差しで遥を見つめる。
「やっぱり……。」
「上乃園先輩って素敵。」
結菜がこの学校へ入学した頃から、「エデンさん」と呼ばれる先輩の話は何度も耳にしていた。
困っている人がいれば自然と手を差し伸べる。
誰にでも優しく、決して偉ぶらない。
文芸部の先輩でありながら、運動部の生徒や先生からも信頼されている。
そんな遥は、一年生にとって憧れの存在だった。
結菜も、その一人だった。
勇気を出して話しかけようと思ったことは何度もある。
けれど、そのたびに――。
「遥。」
葵が自然に遥の隣へ並ぶ。
「今日の放課後、図書室寄ってから部室でいい?」
「うん、そうしよう。」
二人はまるで昔からそうだったかのように自然に歩き出す。
その姿を見つめながら、結菜は胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。
(また神原先輩……。)
不思議だった。
学校中のみんなが「上乃園さん」や「エデンさん」と呼ぶ中、神原葵だけが名前で呼ぶ。
しかも、それがあまりにも自然だった。
(どうして神原先輩だけ……。)
小さな疑問は、まだ嫉妬とは呼べないほど小さなものだった。
◇
昼休み。
文芸部の部室では、美咲が十二月の予定を書き出していた。
「来週から期末テスト期間ね。」
「その次はクリスマス会。」
「あと、部誌の締め切りも忘れないように。」
「はい!」
部員たちが元気よく返事をする。
結菜も一年生部員として、一生懸命メモを取っていた。
「白石さん。」
遥が優しく声を掛ける。
「この資料、人数分お願いしてもいい?」
「は、はい!」
突然話しかけられた結菜は、少し緊張しながら資料を受け取る。
「ありがとうございます!」
「よろしくお願いします。」
遥は微笑み、それ以上は何も言わず他の部員のところへ向かった。
ほんの短いやり取りだった。
それだけなのに、結菜の胸は少し高鳴る。
(やっぱり優しい……。)
そんな遥の後ろを、葵が自然についていく。
「遥、この展示パネルこっち?」
「うん。」
「ありがとう、葵。」
二人は息を合わせるように作業を進めていく。
その光景を見ていた結菜は、手にしていた資料を少し強く握りしめた。
(私だって……。)
(もっと上乃園先輩の役に立ちたい。)
◇
放課後。
部活動を終えた文芸部員たちは、それぞれ帰る支度を始めていた。
「お疲れさまでした!」
「また明日!」
部員たちが次々に部室を出ていく。
結菜も鞄を持ち、扉の前で振り返った。
「上乃園先輩。」
「今日はありがとうございました。」
「うん。」
遥は穏やかに笑う。
「気を付けて帰ってね。」
「はい!」
結菜は嬉しそうに頭を下げる。
そして、隣に立つ葵へ視線を向ける。
「……神原先輩。」
「お疲れさま。」
短くそう言って部室を出て行った。
その違いに葵は少しだけ首をかしげたが、深く気にはしなかった。
「白石さん、真面目だね。」
「うん。」
遥も小さくうなずく。
「頑張り屋さんだと思う。」
「きっといい後輩になるね。」
遥の言葉に、葵は微笑んだ。
「そうだね。」
二人は部室の戸締まりを終え、いつもの帰り道へ歩き始める。
◇
「今日はコンビニ寄る?」
葵が笑顔で聞く。
「肉まん。」
「約束だったね。」
遥も少し笑った。
「行こう。」
校門へ向かう途中。
「あれ……?」
葵が足を止める。
校門脇の木製ベンチ。
そこに、一枚の赤いマフラーがきれいに畳まれたまま置かれていた。
風で飛ばされた様子はない。
まるで誰かが、大切に置いていったようだった。
遥はゆっくりとマフラーを手に取る。
柔らかな毛糸。
何年も使い続けられたような温もり。
そして端には、小さく白い糸で刺繍された一文字。
『R』
遥と葵は顔を見合わせる。
「忘れ物……かな。」
「たぶん。」
しかし、その赤いマフラーは、二人が思っていた以上に長い時間を越えて、この学校へ帰ってきたものだった――。
(第二章・中編へ続く)




