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第一章 読書週間の贈りもの(後編)


 翌日の昼休み。


 図書室には、読書週間の展示を見に来た生徒たちの姿があった。


 おすすめの本を手に取る生徒。


 文芸部が作った紹介カードを熱心に読む生徒。


 静かな図書室には、本のページをめくる音だけが心地よく響いていた。


 その中で、遥は昨日見つけた押し葉の栞を手のひらに乗せて見つめていた。


 赤く色づいたもみじ。


 裏には丁寧な文字で、


『この本に、もう一度会えますように。』


 と書かれている。


 何度読み返しても、その一文には誰かの優しい願いが込められているように感じられた。


「まだ考えてる?」


 本棚へ展示用の本を並べていた葵が、優しく笑いながら尋ねる。


「うん。」


 遥は小さくうなずく。


「この栞を書いた人は、どうしてこの本に挟んだんだろうって。」


「私も気になる。」


 葵は遥の隣へ歩いてきた。


「約束って書いてあったし。」


「きっと、大事な思い出なんだろうね。」


 二人が話していると、


「上乃園さん、神原さん。」


 穏やかな声が聞こえた。


 振り向くと、図書室の先生が微笑みながら立っていた。


「少しお時間をいただけますか?」


「はい。」


 二人は顔を見合わせ、小さくうなずいた。


     ◇


 案内されたのは、図書室の奥にある小さな資料室だった。


 棚には歴代の卒業アルバムや文芸部誌、読書週間の記録などがきれいに保管されている。


 図書室の先生は一冊の古いアルバムを机の上へ置いた。


「昨日、帰宅してから栞のことを思い出して、少し調べてみたんです。」


 アルバムを開く。


 ページには十数年前の読書週間の写真が何枚も貼られていた。


「これを見てください。」


 先生が一枚の写真を指差す。


 そこには文芸部の展示の前で笑顔を浮かべる数人の生徒が写っていた。


 その中央で、小さな子どもへ押し葉の栞を手渡している女子生徒がいる。


「この人……。」


 遥が思わずつぶやく。


「この先輩ですか?」


 葵も写真へ身を乗り出す。


 図書室の先生は静かにうなずいた。


「ええ。」


「この生徒の名前は――」


 先生は写真の下へ書かれた文字を指でなぞる。


「雨宮澪さん。」


「当時の文芸部員です。」


 その名前を聞いた瞬間、遥は少し驚いたように目を見開いた。


「雨宮……。」


 葵もすぐに気付く。


「文化祭の時に来てくれた雨宮千紘さんと……。」


 先生は優しく微笑んだ。


「はい。」


「澪さんは、千紘さんの妹さんです。」


「姉妹そろって文芸部だったんですね。」


 葵が感心したように言う。


「ええ。」


 先生は懐かしそうに写真を見つめた。


「お姉さんの千紘さんは、人をまとめるのが上手な方でした。」


「そして澪さんは、本当に本が好きな生徒でした。」


「放課後になると、毎日のように図書室へ来ては、本を読んだり、栞を作ったりしていたんですよ。」


 先生の表情からは、当時の思い出を大切にしていることが伝わってくる。


     ◇


 先生は棚から一冊の文庫本を取り出した。


「卒業式の日。」


「澪さんは、この本を返却するとき、自分で作った押し葉の栞を一枚だけ挟んでいったそうです。」


 遥は、昨日見つけた栞をそっと先生へ見せた。


「この栞ですね。」


「はい。」


 先生は優しく微笑んだ。


「その時、澪さんは私にこう言いました。」


「いつか大人になったら、またこの本を読みに来ます。」


「だから。」


 先生は栞を見つめながら続ける。


「この言葉は、本への約束だったんです。」


 遥は栞へ視線を落とした。


『この本に、もう一度会えますように。』


 ようやく、その一文の意味が少しだけ見えてきた気がした。


 けれど、一つだけ疑問が残る。


「でも……。」


 遥は静かに顔を上げる。


「どうして、その約束は果たされなかったんですか?」


 その問いに、図書室の先生は少しだけ寂しそうに目を伏せた。


「それには、理由があるんです。」


 そう言って先生は、机の引き出しから一通の古い封筒を取り出した。


 差出人には、丁寧な字でこう書かれていた。


『雨宮 澪』


 遥と葵は顔を見合わせる。


 その手紙には、栞と約束に込められた、本当の想いが記されていた――。


 資料室は静まり返っていた。


 机の上に置かれた一通の封筒を、遥と葵は静かに見つめる。


 封筒には、丁寧な文字で書かれた差出人の名前。


雨宮 澪


 図書室の先生は封を開き、便箋を取り出した。


「この手紙は、今年の夏休みに学校へ届いたものです。」


「文化祭の準備で慌ただしく、皆さんにお見せする機会がなかったのですが……。」


 先生は便箋を優しく広げ、静かに読み始めた。



「先生、お元気でしょうか。


卒業してから何年も経ちましたが、秋になると母校の図書室を思い出します。


放課後、本を読んで過ごした時間。


文芸部のみんなと過ごした日々。


あの頃は、毎日が本当に楽しくて、今でも私の大切な宝物です。」



 先生は一度言葉を区切った。


 遥も葵も、便箋から目を離さない。



「卒業の日、本棚へ一枚だけ押し葉の栞を残しました。


『またこの本を読みに来ます。』


そう約束したのですが、その後、一度も母校を訪れることができませんでした。


約束を守れなかったことだけが、ずっと心残りでした。」



 資料室は静かな空気に包まれる。


 葵は小さくつぶやいた。


「だから……。」


「『返せなかった約束』だったんだ。」


 図書室の先生は静かにうなずく。


「ええ。」


「でも、この手紙には続きがあります。」


 先生は再び読み始めた。



「もし、あの本が今も図書室にあるなら嬉しいです。


そして、もし誰かが栞を見つけてくれたなら、その人へ伝えてください。


本は、人と人をつないでくれるものです。


私が大好きだった一冊が、今度は誰かの大切な一冊になってくれたら、それ以上に嬉しいことはありません。」



 最後の一文を読んだ先生は、ゆっくりと便箋を閉じた。


 誰も言葉を発さなかった。


 窓の外では、一枚の紅葉が風に乗って舞い落ちていく。


     ◇


「先生。」


 遥が静かに口を開いた。


「この栞を、読書週間で展示してもいいですか。」


 先生は少し驚いた表情を見せた。


「展示ですか?」


「はい。」


「きっと澪さんは、自分の思い出を見てほしいんじゃなくて。」


「本がつないでくれる縁を、これからも誰かにつないでほしかったんだと思います。」


 葵も笑顔でうなずく。


「私も賛成。」


「この栞を見た人が、本を好きになってくれたら素敵だもん。」


 先生は優しく微笑んだ。


「そうですね。」


「澪さんも、きっと喜んでくださると思います。」


     ◇


 読書週間最終日。


 文芸部の展示には、新しいコーナーが設けられていた。


『本がつないだ贈りもの』


 ガラスケースの中央には、一枚の押し葉の栞。


 その横には、文芸部が書いた紹介文が添えられている。


「この栞は、一冊の本とともに時を重ねてきました。


本には物語だけでなく、それを読んだ人の思い出も宿っています。


今日、あなたが手に取る一冊も、誰かから未来への贈りものなのかもしれません。」


 展示を読んだ生徒たちは、それぞれ本棚へ向かい、本を手に取っていく。


「久しぶりに本を借りてみようかな。」


「この紹介文の本、読んでみたい。」


「家に帰ったら昔読んだ本を探してみよう。」


 そんな声が、図書室のあちこちから聞こえてきた。


 その様子を見て、美咲は満足そうに笑う。


「今年の読書週間は大成功だね。」


「はい。」


 遥も穏やかにうなずいた。


「一枚の栞が、こんなにたくさんの人をつないでくれるなんて思いませんでした。」


「やっぱり本って、すごいね。」


 葵が笑う。


「うん。」


「本は、人だけじゃなくて、時間もつないでくれる。」


 遥の言葉に、図書室の先生も優しくほほえんだ。


     ◇


 放課後。


 校門を出ると、冷たい風が頬をなでる。


 並木道には赤や黄色の落ち葉が広がり、歩くたびにカサリと優しい音が響いた。


「今日の謎。」


 葵が空を見上げながら言う。


「事件じゃなかったね。」


「うん。」


 遥は静かに笑う。


「でも。」


「誰かの大切な約束を見つけることができた。」


「私は、こういう謎が好き。」


 葵も笑顔になる。


「私も。」


「誰かが笑顔になれる終わり方って、いいよね。」


 二人は歩幅を合わせ、ゆっくりと帰り道を歩く。


 木枯らしが吹き始めた空の下。


 秋は静かに終わりへ向かい、冬の足音が少しずつ近づいていた。


 けれど、その先には、まだ二人も知らない新しい出来事が待っている。


 それでも遥は、不思議と心配していなかった。


 どんな出来事も、隣には葵がいる。


 そう思えるだけで、前を向いて歩いていける気がした。


 夕焼け色に染まる並木道を、二人は今日も並んで歩いていく。


 落ち葉を踏みしめる音が、静かな秋の終わりに優しく響いていた。


   ――第一章 読書週間の贈りもの 完――

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