表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/35

第七章 一人の放課後(前編)


 四月も半ば。


 校庭の桜は満開を過ぎ、風に花びらが舞っていた。


 新しいクラス。


 三年生としての日常。


 周囲は少しずつ慣れ始めている。


 けれど、遥だけは違った。


 時間だけが進み、自分だけがあの日に取り残されているようだった。


 ――あの日の朝、葵と交わした何気ない会話が何度も蘇る。


 「またあとでね」と笑った声。


 その「あと」が来ないかもしれない現実を、どうしても受け入れられなかった。


     ◇


「上乃園さん。」


 朝のホームルーム前、担任が声を掛ける。


「このプリント、職員室へお願いできるかな?」


「……はい。」


 遥は受け取り、教室を出た。


 廊下を歩く途中、向こうから女子生徒の笑い声が聞こえる。


「ねぇねぇ!」


「今日も一緒に帰ろう!」


 その何気ない会話に、遥の足が止まる。


 ――また毎日、一緒に帰れるね。


 葵の笑顔が蘇る。


 何気なく頷いたあの時。


 当たり前だと思っていた約束。


 それがこんなにも簡単に崩れるなんて、想像もしなかった。


 胸が締めつけられ、息が浅くなる。


 ――どうして、あの時もっとちゃんと返事をしなかったんだろう。


 ――どうして、あの日を特別だと思わなかったんだろう。


「……。」


 遥は小さく首を振り、歩き出した。


 考えるほど後悔ばかりが浮かぶから。


     ◇


 昼休み。


 癖で弁当を二人分並べそうになり、手が止まる。


「あ……。」


 無意識にもう一つの机を見る。


 そこには、いつも葵がいた。


 「今日のおかず何?」と身を乗り出し、勝手に一口取っていく。


 そんなやり取りが当たり前だったのに。


 もちろん、今は誰もいない。


 遥は静かに一つだけ弁当箱を開く。


 一人で食べる昼食は、味がしなかった。


 ――昨日と同じはずなのに。


 ――葵が「美味しいね」と言った時は、ちゃんと味がしたのに。


 箸を動かすだけ。


 食べているのか、時間を消費しているのか分からなかった。


     ◇


 放課後。


 教室を出て、無意識に昇降口へ向かう。


 そして立ち止まる。


 いつもなら、ここで葵が待っていた。


「遥!」


 笑顔で駆け寄り、「待った?」と聞いてくる。


 その光景がはっきり浮かぶ。


 遥は振り返る。


 誰もいない。


 ただ、生徒たちが帰っていくだけだった。


 ――どうして、まだ期待してしまうんだろう。


 ――ここに来れば、いる気がしてしまう。


「……そうだった。」


 小さく呟く。


「いないんだった。」


 自分に言い聞かせるように。


     ◇


 病院へ向かう道にも慣れてしまった。


 自動販売機。


 横断歩道。


 コンビニ。


 すべて葵と歩いた道だ。


 ――ここでジュースを買って、じゃんけんした。


 ――信号待ちでどうでもいい話をして笑った。


 ――コンビニで新作のお菓子を半分こした。


 記憶が風景に重なる。


 今はただ通り過ぎるだけなのに、そこには確かに「二人」がいた。


 病室へ入る。


「来たよ。」


 今日も返事はない。


 遥は椅子に腰掛ける。


「今日ね。」


「先生にプリント頼まれた。」


「ちゃんと届けたよ。」


 少し笑おうとする。


 ――こうして話せば、いつか返事が返ってくる気がして。


 でも続かなかった。


「……今日、お弁当。」


「一人で食べた。」


 沈黙。


 電子音だけが響く。


 ――ねえ、葵。


 ――どうしてこんなに静かなの。


 ――いつもなら何か言うのに。


「やっぱり、一人は寂しいね。」


 ぽつりと漏れた本音。


 遥は自分で驚いた。


 今までなら言わなかった弱音。


 ――葵の前では、ちゃんとしていたかった。


 ――頼られる側でいたかった。


 けれど、もう隠す余裕はなかった。


     ◇


 翌日。


 数学の授業。


 先生に指名される。


「上乃園さん。」


「……はい。」


 黒板へ向かう。


 いつもなら解ける問題なのに。


 途中で式が分からなくなる。


「あれ……。」


 頭が真っ白になる。


 ――ここ、どうやって解いてたっけ。


 チョークを持つ手が止まる。


 数字がただの記号にしか見えない。


「大丈夫?」


 先生が声を掛ける。


「……すみません。」


 席へ戻る。


 教科書を開いても文字が入ってこない。


 ――集中しなきゃ。


 そう思うほど、思考は遠のく。


     ◇


 文芸部でも変化は隠せなかった。


 原稿を書こうとしても、一文字も浮かばない。


 真っ白な原稿用紙を見つめるだけ。


 ――前は、こんなことなかったのに。


 ――葵と話したことはいくらでも言葉にできたのに。


 ペンが動かない。


 頭の中は空白だった。


 白石が声を掛ける。


「上乃園先輩……。」


 遥は顔を上げる。


「大丈夫ですか?」


「……うん。」


 そう答える。


 だが、その声に以前の穏やかさはない。


 ――大丈夫じゃない。


 ――でも、どう説明すればいいか分からない。


 部長も様子を見ていたが、誰も言葉をかけられなかった。


     ◇


 帰り道。


 病院へ向かう途中、遥は足を止めた。


 駅前の肉まん屋。


 事故の日、葵と約束した店だ。


『終わったら駅前で肉まん食べよう!』


『……いいね。』


 その約束だけが残っている。


 ――あの時、葵はどんな顔だっただろう。


 ――白い息を吐きながら笑っていた気がする。


 湯気を見つめながら、遥は動けなかった。


 ――もし何も起きなかったら。


 ――今頃、ここで並んでいたのかな。


 やがて俯く。


「……ごめん。」


 誰に向けた言葉か分からない。


 病院に着く頃には、夕暮れが街を包んでいた。


 病室へ入る。


 眠る葵の姿は変わらない。


 遥は椅子に座る。


「……私。」


 言葉が途切れる。


「一人だった時……。」


 目を閉じる。


 葵と出会う前の日々を思い出そうとする。


 静かな教室。


 一人の帰り道。


 一人で読む本。


 ――あの頃も生きていたはずなのに。


 ――どうして今はこんなに遠いんだろう。


 その過ごし方が思い出せない。


 ――どうやって寂しさをやり過ごしていたんだろう。


「どうやって……。」


 遥は小さく首を振る。


「どうやって毎日を過ごしてたんだろう……。」


 答えは見つからない。


 ――葵と過ごした時間が鮮やかすぎて。


 ――それ以前の自分が色を失ったようだった。


 病室には電子音だけが響く。


 遥の心もまた、静かに音を失っていくようだった。


                (第七章・中編へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ