第五章 最後の放課後(中編)
二月も半ばを迎えた。
校舎の周りに残っていた雪も少しずつ姿を消し、冬の冷たい風の中にも、どこか柔らかな春の匂いが混じり始めていた。
放課後。
文芸部の部室では、卒業を控えた三年生へ贈る記念部誌の制作が佳境を迎えていた。
机の上には原稿用紙や色紙、カラーペンが並び、部員たちは思い思いに手を動かしている。
「寄せ書きのページ、完成しました!」
白石結菜が嬉しそうに色紙を掲げる。
「おお、きれいにまとまったね。」
三年生の先輩が微笑むと、白石は照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます。」
部長も満足そうに頷く。
「これなら先輩たちも喜んでくれるよ。」
部室は終始、穏やかな笑顔に包まれていた。
卒業まであと少し。
だからこそ、この何気ない放課後が、いつも以上に大切に思えた。
◇
遥は静かに原稿用紙へ向かっていた。
何度も書いては消し、消しては書き直す。
「まだ悩んでるの?」
隣に座る葵が覗き込む。
「……うん。」
「遥でも悩むんだ。」
「伝えたいことが多すぎて。」
その答えに、葵は優しく笑った。
「そのまま書けば、きっと伝わるよ。」
遥は小さく頷き、もう一度ペンを握る。
ゆっくりと、一文字ずつ丁寧に綴っていく。
『先輩方へ。
文芸部に入ったばかりの私たちを温かく迎えてくださり、ありがとうございました。
作品を書く楽しさだけでなく、人と過ごす放課後の大切さも教えていただきました。
皆さんと過ごした時間は、私にとってかけがえのない宝物です。
本当にありがとうございました。』
書き終えた遥は、小さく息を吐いた。
「できた?」
「うん。」
「お疲れさま。」
葵は自動販売機で買ってきた温かいミルクティーを机に置く。
「休憩しよう。」
「ありがとう。」
二人は窓際へ移動し、夕日に染まる校庭を眺めながら缶を開けた。
しばらく無言の時間が流れる。
その静けさも、二人には心地よかった。
「こうやって部誌を作るのも、あと何回あるんだろうね。」
葵がぽつりと呟く。
遥は校庭を見つめたまま答える。
「もうすぐ三年生になるね。」
「うん。」
葵は少しだけ寂しそうに笑う。
「まだ想像できないなあ。」
「私も。」
「でも、きっと遥ならいい先輩になるよ。」
「私?」
遥が首をかしげる。
「うん。落ち着いてるし、優しいし、ちゃんと周りを見てる。」
「そんなことないよ。」
「あるって。」
葵は迷いなく言った。
「一年生の白石さんだって、遥のことすごく頼りにしてるし。」
その言葉に、遥は少し照れくさそうに笑う。
「……そうだったら、嬉しい。」
葵は缶を握りしめながら、ゆっくりと口を開いた。
「私ね、この学校に転校してきて本当によかった。」
「……。」
「最初はすごく不安だったの。」
「友達できるかな、とか、ちゃんと馴染めるかな、とか。」
「でも。」
葵は遥の方へ向き直る。
「遥に会えたから、全部変わった。」
「学校が毎日楽しみになった。」
「朝起きるのも、放課後も、帰り道も。」
「全部。」
遥はその言葉を静かに聞いていた。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
今まで、自分から誰かに気持ちを伝えることはほとんどなかった。
それでも、この想いだけは言葉にしたかった。
「……葵。」
「ん?」
「私も。」
少し照れながら、それでもまっすぐ葵を見る。
「葵に会えて、本当によかった。」
葵は驚いたように目を瞬かせる。
遥は続けた。
「それから……。」
「いつも、ありがとう。」
短い一言だった。
けれど、その言葉には、この一年間の感謝がすべて込められていた。
葵はゆっくりと微笑む。
「こちらこそ。」
「ありがとう、遥。」
二人は顔を見合わせ、自然と笑い合った。
少し離れた場所でその様子を見ていた部長が、小さく笑う。
「二人とも、本当にいいコンビになったね。」
三年生の先輩も穏やかに頷く。
「来年の文芸部も安心だ。」
その言葉に、遥と葵は少し照れながら顔を見合わせた。
◇
部活動が終わり、夕焼けに染まる帰り道。
冷たい風が吹く中、二人は肩を並べて歩いていた。
「明日は卒業式の準備だね。」
葵が笑う。
「体育館の飾り付けもあるって。」
「うん。」
「頑張って早く終わらせよう。」
葵はいたずらっぽく笑う。
「終わったら駅前で肉まん食べよう!」
遥も珍しく即答した。
「……いいね。」
「やった!」
葵は嬉しそうに小さくガッツポーズをする。
その約束が、二人にとって何よりも楽しみな放課後になるはずだった。
まだ誰も知らない。
その翌日が、二人の運命を大きく変える一日になることを。
(第五章・後編へ続く)




