第五章 最後の放課後(前編)
二月に入り、校庭の片隅に積もっていた雪も少しずつ姿を消し始めていた。
吐く息はまだ白い。
けれど、冷たい風の中にもどこか春の気配が混じっている。
昼休み。
いつものように遥と葵は机を向かい合わせ、お弁当を広げていた。
「あと一か月くらいで卒業式だね。」
葵が卵焼きを頬張りながら言う。
「うん。」
「三年生、卒業しちゃうんだ。」
遥も静かに頷いた。
文芸部の三年生たちは、入部したばかりの二人を温かく迎えてくれた先輩ばかりだ。
部誌の作り方も、作品の書き方も、部室で過ごす楽しさも教えてくれた。
その日々が終わろうとしていた。
「少し寂しいね。」
遥がぽつりと呟く。
葵は優しく笑った。
「だからこそ、最後にありがとうを伝えよう。」
その言葉に、遥は小さく微笑んだ。
◇
放課後。
文芸部では卒業する三年生へ贈る記念部誌の制作が始まっていた。
「一人一作品ずつ載せよう。」
部長の提案に部員たちは賛成する。
「寄せ書きページも作りたいですね。」
白石が手を挙げる。
「いいね。」
部室はいつにも増して活気にあふれていた。
遥も静かに原稿用紙へ向かう。
ペン先は迷うことなく動いていく。
書き始めたのは、小さな掌編だった。
“春を待つ教室”
冬が終わり、新しい季節へ歩き出す人たちの物語。
自然と、自分たちの今と重なっていた。
「遥。」
隣から葵が覗き込む。
「もう書けたの?」
「少しだけ。」
「読んでいい?」
「まだ。」
「えー。」
ふくらませた頬を見て、遥は思わず笑う。
「完成したら。」
「約束ね。」
「うん。」
その穏やかなやり取りを、部長たちは微笑ましく見守っていた。
◇
数日後。
三人は再び旧校舎の資料室を訪れていた。
以前見つけた古い活動記録。
途中で終わっていた文章の続きを探すためだった。
「この棚も探してみよう。」
葵が一冊ずつ丁寧に取り出す。
白石は卒業文集を調べ始める。
遥は年代ごとの部誌をめくっていく。
しばらくして——。
「あった!」
白石の声が資料室に響いた。
三人が集まる。
見つかったのは、二十年以上前の卒業文集だった。
そこには、一人の文芸部員が残した文章が掲載されていた。
『春になったら、この続きを必ず書こうと思っていました。
でも病気で卒業式に出席できなくなりました。
部のみんなが病室まで部誌を届けてくれたことは、一生忘れません。
あの日の放課後は、私の宝物です。』
部屋は静まり返った。
「そういうことだったんだ……。」
葵がそっと呟く。
「途中で終わったんじゃなくて。」
遥も文章を見つめる。
「続きを書く場所が、学校じゃなくなっただけ。」
白石は目を潤ませながら微笑んだ。
「でも、ちゃんと続きを書けたんですね。」
遥は静かに頷く。
「言葉は、ちゃんと届いた。」
その瞬間、小さな謎は、温かな思い出として静かに幕を閉じた。
◇
帰り道。
夕焼けに染まる通学路を歩きながら、葵が言う。
「私たちも、先輩たちに忘れられない卒業式を贈りたいね。」
「うん。」
「プレゼントだけじゃ足りないくらい。」
遥は少し考えてから答えた。
「気持ちが伝われば、それで十分だと思う。」
葵は嬉しそうに笑う。
「そういうところ、本当に遥らしい。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。
その笑顔が、あと少しで失われることなど、誰も知らなかった。
(第五章・中編へ続く)




