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第四章 春を待つ教室(後編)


 翌日の放課後。


 冬の陽は早く傾き始め、校舎の窓から差し込む夕日が廊下を茜色に染めていた。


 終礼が終わると、葵は席を立つなり遥の机へ向かう。


「遥、約束覚えてる?」


 本を鞄へしまっていた遥は顔を上げた。


「……資料室。」


「そう!」


 昨日、白石が持ってきた古い文芸部の活動記録。


 最後のページに書かれていた、途中で途切れた文章。


 ――『春になったら、この続きを必ず……』


 その一文が、三人の心に引っ掛かったままだった。


「先生には許可をもらってあるから。」


 葵は胸を張る。


「ちゃんと昼休みにお願いしてきた!」


「仕事が早いね。」


 遥が少しだけ微笑む。


 そこへ、文芸部の部室から白石が小走りでやって来た。


「上乃園先輩! 神原先輩!」


「白石さん。」


「私も行っていいですか?」


 遥と葵は顔を見合わせる。


「もちろん。」


 三人は並んで旧校舎へ向かった。


 ◇


 旧校舎は現在ほとんど使われておらず、特別教室や資料室だけが残されていた。


 廊下には人影もなく、歩くたびに足音だけが静かに響く。


「やっぱり少し寒いですね……。」


 白石が肩をすくめる。


「暖房が入ってないからね。」


 葵もマフラーを握り直した。


 資料室の扉を開けると、古い本の匂いがふわりと漂う。


 本棚には何十年分もの卒業アルバムや学校新聞、文集、部活動の記録が整然と並んでいた。


「思ったよりきれい……。」


 葵が周囲を見渡す。


「先生たちが整理してるんだね。」


 遥は静かに棚を眺めながら歩いていく。


 やがて、一冊の古いファイルの前で足を止めた。


「これ……。」


 背表紙には『文芸部 一九九八年度』と書かれている。


 三人で机へ運び、そっとページをめくる。


 活動記録。


 文化祭の写真。


 部誌の原稿。


 どれも何気ない高校生活の記録だった。


 しかし、最後の数ページだけ様子が違っていた。


 そこには一人の部員の日記が綴られていた。


『卒業までに、小説を書き上げたい。』


『みんなと過ごす放課後が好きだ。』


『春になったら、この続きを必ず――』


 また、そこで文章は途切れていた。


「昨日のノートと同じ……。」


 白石が小さく呟く。


「偶然かな。」


 葵も首を傾げる。


 遥は黙ったままページを見つめていた。


 その時だった。


 ――パラッ。


 静かな部屋に、本のページをめくる音が響いた。


 三人は同時に顔を上げる。


「今……。」


「聞こえましたよね?」


 白石の声が少し震える。


 音がしたのは、本棚の奥だった。


 葵が一歩踏み出そうとすると、遥がそっと腕をつかむ。


「待って。」


「え?」


「風。」


 窓の隙間から吹き込んだ風が、一冊だけ開いたままになっていた本のページを揺らしていた。


 パラリ。


 もう一度ページがめくれる。


 三人は思わず顔を見合わせ、ほっと息をついた。


「びっくりしたぁ……。」


 葵が胸を押さえる。


 白石も苦笑する。


「本当に誰かいるのかと思いました。」


 遥は静かに本を閉じた。


「でも……。」


「この続きを書こうとした人は、何を伝えたかったんだろう。」


 その言葉に、二人も頷く。


 答えは見つからない。


 けれど、その未完成の文章には、誰かの大切な想いが確かに残されていた。


 ◇


 資料室を出る頃には、外はすっかり夕暮れになっていた。


 三人で校門まで歩き、白石は駅へ向かう道で立ち止まる。


「今日はありがとうございました。」


「また何か見つかったら教えてね。」


 葵が笑う。


「はい!」


 白石は頭を下げ、駅の方へ駆けていった。


 その背中を見送りながら、葵は空を見上げる。


「結局、謎は解けなかったね。」


「うん。」


「でも、不思議だった。」


 遥も夕焼けに染まる校舎を見つめる。


「……まだ終わってない気がする。」


 その一言に、葵は静かに頷いた。


「私もそう思う。」


 二人は並んで歩き始める。


 吐く息は白く、冷たい風が制服の裾を揺らす。


 それでも心はどこか温かかった。


 毎日を一緒に過ごせること。


 笑い合える帰り道があること。


 それだけで、この冬は少しだけ優しく感じられる。


 校門を振り返ると、夕日に照らされた教室の窓が淡く光っていた。


 春はまだ遠い。


 けれど、その教室には確かに、春を待つ誰かの想いが息づいているようだった。


 遥は小さく微笑み、隣を歩く葵へ視線を向ける。


「帰ろう。」


「うん、一緒に。」


 二人の足音は、静かな冬の帰り道へ溶け込んでいった。


             ――第四章 春を待つ教室 完

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