10.三日前 10
先ほどまでとは違う愁いを帯びたダレルの緑の目がゆっくりと閉じられ、それからまた開かれた。
その愁いの意味を分からないでは無いが、ハリエットはあえて、微笑みを浮かべて的を外した。
「やはり、陛下の臣民からの支持が落ちていますか?」
「ああ、いえ。そちらの方は王弟殿下が…いえ、我々も宮中も動いていますのでそこまで大事には至らないと思います。王妹殿下が長期の慰問で巡っておられますし王妃殿下の視察も控えています。そちらを華々しく喧伝することで意識を逸らすこともある程度は可能でしょう。おふたりは国民に人気がありますから」
現在、国王陛下の妹姫が各地へ定例の慰問に巡っている。王妃殿下もまた別の地域を定例の視察で巡ることになっている。
「王妹殿下は旅先で今回の事の顛末をお聞きになったのですね」
「たとえこちらからあえてお知らせせずとも、王妹殿下の手のものが知らせたでしょうね」
「そう、ですよね。王妹殿下は今、何を思っておられるのでしょうか……」
瞳に強い意志を秘めた、国王陛下と同じ髪色の美女。王妹殿下を思い出し遠い目になりかけていると、ボーンとまたグラウンドクロックが時間を告げた。はたと、ハリエットは一番重要なことを思い出した。
「では、何が問題なのでしょう?今回の一連がなぜ恋文につながるのでしょうか?」
思わず話し込んでしまったが、まだ大切なことを何も聞いていなかった。
ハリエットが真っ直ぐにダレルを見つめると、ダレルはまたも大きなため息を吐いた。
「ああ…本当にどうしろと…」
一度天を仰ぐと肩を落とし、ダレルはその勢いのままにがっくりと項垂れた。
「陛下はどうしていつもこう、突拍子もない発想に…」
せっかく穏やかに話を進めてきたというのに、ダレルはまた振出しに戻ったように首を横に振りながらあー、うー、ともごもごと繰り返すばかりで二の句を継がない。
普段は被った猫たちが仕事をしているので事なきを得ているが、生来短気なハリエットは結局待ちきれず先に口を開いた。
「ストークス様、わたくしはいったい、何をすれば?」
ハリエットは強く言ったつもりは無かったのだが、ダレルはびくりと肩を揺らし、それから顔を覆った手の指をそうっと開くと指の間からちらりとハリエットを伺った。
「いえ、それが……」
「それが?」
ダレルのあまりの様子にハリエットが首をかしげると、ダレルは再度「はああああ」と更に大きなため息を吐いた。
「申し訳ありません、メイウェザー嬢…」
「あの、なぜ謝罪を……?」
ダレルはなおも顔を覆ったまま何かを呟きため息をついている。もしかしたらこの十年以上共に王宮で働いてきた間に聞いたため息の数よりも今日の方が多いかもしれないなと、ハリエットもつられて小さくため息を吐いた。
これ以上どうしたら良いのかがハリエットにはさっぱりと分からない。
待つしかないかと諦めてじっとダレルのため息を数えていると、ぶつぶつと呟くのを止めたダレルが意を決したようにのそりと姿勢を正した。
「……メイウェザー嬢。王妃殿下の視察が、三日後から始まりますね?」
「そうですね。私も随行します」
ハリエットは頷いた。そう、ハリエットは三日後から王妃セシリアの十日間の慰問を含む視察へ随行する。だからこそ今日は残業なしでの退勤で、ハリエットにとっては視察前にゆっくりできる最後の日だったのだ。すっかり遅くなってしまっているが。
「その視察が問題なんです」
ダレルは頷き、苦虫をかみつぶしたような顔で続けた。
「いまだ王妃殿下と仲直りできていないことを陛下がいたく気にしておりまして。このままでは、仲直りできないままに王妃殿下が視察に出てしまうと非常にその……落ち着きを、失くしておられまして」
「そうですね。夫婦喧嘩では日程の中止も延期もありえません。まさかこの土壇場で陛下が本気で視察日程の変更をしようとなさるとは思ってもおりませんでした」
言葉を選びながら話すダレルにハリエットは淡々と頷いた。
視察日程の変更について何かご存知ですか?ととある筋からすぐに報告があり事なきを得たのだが、本来であれば一日で治まったかもしれない王妃殿下の怒りを更に増長させる結果となりこの五日間の無視があるのだ。
「本当に、陛下が申し訳ありません」
ダレルは小さく頭を下げると顔を上げた。
「余計に王妃殿下がお怒りになる、というところまでは考えが及ばなかったようです」
「そのようですね」
中々見ないほど下がったダレルの眉に、ハリエットは苦笑した。




