10.一日目 ~ 一通目の恋文
決して広くはない子爵邸で、ハリエットたち侍女にはセシリアの近くにふたりに一室ずつ部屋が用意された。少し離れればひとりに一室ずつ用意できるとのことだったが、ルイザが事前に断ったのだ。
偽装恋文初日。同室がいては書きづらいと思っていたので今日がセシリアの護衛でとても助かった。ハリエットは使用人部屋に入ると手荷物を即座に広げ、いそいそとレターセットを取り出すと便箋を一枚、窓際に置かれた小さなテーブルに広げた。
そうして携帯用のつけペンとインク瓶を用意するも、ハリエットは最初の一文であっさりと躓いた。
早く書かねば明日の早朝に出立する連絡係の騎士に手紙を渡せなくなるというのに、書き出しを『親愛なる』にするか『愛しい』にするか…ハリエットにはそこからさっぱり決められない。
「恋人なら、愛しい…?いえでも、ここは何にでも使える親愛なるかしら…?」
慣れない悩みにハリエットのなけなしの乙女心が早々に音を上げた。
「いいわ、重要なのは本文よ」
ハリエットは小さなことは後日考えることにして、まずは書き上げることに集中した。
*―*―――*·:*∞*:·*―――*―*
親愛なるダレル
見送りに来てくれて本当にありがとう。
出発前にあなたの顔が見られて本当に良かった。
今日は予定通りダフォディルズ・フォードで昼食を取りテドベリー子爵邸での宿泊となりました。特に大きな問題もなく到着しています。
ダフォディルズ・フォードには本当に驚きました!ちょうど見頃だったのですが一面に黄水仙が咲いておりまるで黄金の湖のようでした。その中を歩くセシリア様はまるで女神のように美しく、大変お幸せそうなお顔をなさっておいでで、私も侍女として大変嬉しく思いました。
セシリア様はダフォディルズ・フォードのあまりの美しさに王女殿下と再度訪れることをお望みのようです。ただ、蛙がいるので陛下と王子殿下は無理そうだと微笑んでおられました。
テドベリー前子爵ご夫妻も大変素晴らしい方たちで、王妃殿下や私たち侍女のみならず全ての随行者へお心配りをいただきました。セシリア様も、初めの宿泊地がこれでは後が大変と笑っておいでで、とても感謝しているご様子でした。
またお便りいたします。
愛をこめて ハリエット
*―*―――*·:*∞*:·*―――*―*
「これでいいかしら?」
読み返すも、ハリエットには何が正解かよく分からなかった。どう見ても恋文には見えないが報告書にするにも情報が足りない気もする。一応、セシリアが陛下を思い出したということと無事であり、楽しんでいらっしゃることだけは書けたと思うのだが。
そういえば、とハリエットはふと、優しく微笑み迎え入れてくれたテドベリー前子爵の優しい微笑みを思い出した。
テドベリー前子爵の瞳もダレルとよく似た澄んだ緑だった。背丈もそう変わらない。ダレルも年を取ったらあんな風に穏やかで素敵な老紳士になるのだろうか。
思い立ち、ハリエットはペンを持ち直し一文を書き足した。
*―*―――*·:*∞*:·*―――*―*
P.S.
テドベリー前子爵はあなたと同じ色の瞳のとても穏やかで優しそうな老紳士で、あなたもいつかこんな風に素敵に年を取るのかしらと思いました。
*―*―――*·:*∞*:·*―――*―*
「どうかしら…?」
この一文、実に良いのではないだろうかとハリエットは自画自賛した。おそらくハリエットが書いた手紙は騎士団の検閲を通る。その上でダレルの元へ届けられ、そして陛下へ手渡されるはずだ。
万が一どこかでうっかり落とされたとしてもこの一文があるだけできっと恋文に見えるだろう。
「良いんじゃないかしら…?駄目ならきっと、お返事の手紙で何か言ってくるでしょう」
ハリエットは大変満足をして手紙を封筒に入れ、灯りとして手元に置いていた蠟燭で封蝋用の蠟を溶かした。ハリエットの使う蝋は濃い赤だ。ハリエットの髪の色ということもあるが、濃い色の方が煤が目立ちにくく美しく押せるのだ。
飛び散らないように丁寧に封蝋を垂らすと固まらないうちに急いでぐっと印章を押し付ける。どうせ届く前に開けられてしまうのだが、それでもやはり美しい方がいい。王妃殿下の侍女としてもそこは譲れない。
「よし、良いわ」
くっきりと浮かび上がった紋章にハリエットはにんまりと笑った。
ちらりと懐中時計を見るとすでに二十三時を回っている。セシリアの部屋の前には護衛の騎士が立っているだろうが、彼らに託しても交代までは動けないだろう。朝までに連絡係に渡してもらえるかどうか不確かだ。
「仕方ないわね」
ハリエットはセシリアの部屋に続く扉ではなく廊下へ続く扉を開けた。案の定、隣のセシリアの部屋の前には護衛の騎士がふたり立っている。
「こんばんは。王妃殿下の侍女のハリエット・メイウェザーと申します。職務中にごめんなさい、少しよろしいですか?」
ハリエットが声を潜めて話しかけると、護衛のふたりも「こんばんは」と微笑んでくれた。
「この手紙を明日の朝一番の連絡便で一緒に送っていただきたいのです。どなたにお願いすればよろしいでしょうか?」
「朝の連絡便ですか?」
ハリエットが申し訳なさそうに言うと、ふたりが顔を見合わせた。
「お急ぎですか?」
「はい、その…どうしても送らねばならなくて…」
困ったように俯くハリエットに何を思ったのか、手前に立っていた黄味の強い金髪の騎士がハリエットに手を差し出した。
「連絡係の者はすでに休んでいますが報告書を作成しているものはまだ起きているはずです。私が今から一緒に送れるよう渡してまいりましょう」
「え!それは申し訳ないです!!お部屋を教えていただければわたくしが自分で参りますので」
さすがにセシリアの護衛を減らすわけにもいかない。ハリエットは遠慮をしたが、苦笑されてしまった。
「このような夜更けにご婦人を男だらけの部屋へ向かわせることなど騎士としてできません。騎士部屋までは遠くはありませんし、幸い今日の相棒は大変腕が立ちますのでほんの少しでしたら問題ありませんよ」
そう言って金髪の騎士は片目を瞑った。隣の黒髪の騎士も目を細めてにっと笑った。まさか年嵩の自分を淑女扱いしてくれるとは思ってもおらずハリエットは面食らったが、そこは大量に被った猫たちがしっかりと仕事をした。
「ご丁寧に、本当にありがとうございます。ではこちらのお手紙を…どうぞよろしくお願いいたします」
ハリエットが騎士の目を見ながら両手で手紙を手渡し軽くカーテシーをすると、金髪の騎士は手紙を持った左手を後ろ手に回し、右手を左肩に当てて優雅に一礼した。
「どうぞジャックと。相棒はケネスです。私が確かにお預かりいたしますのでメイウェザー様はどうぞ安心してお休みください。明日もお早くていらっしゃるでしょうから」
そう言ってまた片目を瞑ったジャックに思わずハリエットは笑ってしまった。明日の手紙にはこのジャックとケネスのことを書いてみようか。いや、国王陛下が読むとなるとむしろ書くのはとても危険か。ふたりの首が、物理的に。
「よろしくお願いいたします、ジャック様。ケネス様も、本当にありがとうございます。わたくしのことはどうぞハリエットと。それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」とふたりが手を上げて見送ってくれた。ハリエットはそっと扉を開けると、音を立てずにするりと部屋へと戻った。
緊張と少しの興奮からうまく寝付けないかと思ったが、ハリエットはベッドへ入るとあっさりと眠りに落ちた。ハリエットは、悲しいほどにメイウェザーの血筋だった。




