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第15巻:如月令嬢は『空想の産物を認めない』  作者: アリス・リゼル


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第1話『庶民』 ~section 6:真鍮の傷と、過去の環境~

 活気と喧騒、そして強烈な生活の匂いに満ちた旧市街の商店街を抜け、僕たちはようやく少しだけ開けた場所へと出た。

 そこは商店街の裏手から川沿いへと続く細い路地の入り口に位置する、小さな児童公園だった。錆びついたブランコと、塗装の剥げたパンダの形をしたスプリング遊具、そして大人三人が座れば一杯になってしまうような古い木製のベンチが一つだけ置かれている。川から吹き上げてくる生温かい風が、商店街に充満していたラードや焦げた醤油の匂いを薄め、代わりに水辺特有の少し青臭い、湿った土の匂いを運んできていた。


「如月さん、少しだけここで休憩しませんか。さすがに端から端まで歩き回って、僕も少し足が疲れてきましたし」


 僕が提案すると、如月さんは立ち止まり、周囲の環境データを瞬時にスキャンするかのように視線を巡らせた。そして、ベンチの座面の木材が腐食していないことを物理的に確認した上で、小さく頷いた。


「よかろう。情報収集のフェーズから、データの統合と仮説構築のフェーズへと移行するには、脳神経への血流を安定させるための静的な環境が必要じゃ。それに、お主の筋肉の疲労物質である乳酸の蓄積具合も、歩行の歩幅と左右のバランスの崩れから見て限界に近いようじゃな」


 相変わらずの一言多い許可を得て、僕はベンチの端にどっかと腰を下ろした。如月さんも、木綿のワンピースの裾が汚れないように細心の注意を払いながら、僕から少し距離を置いたベンチの反対側に静かに腰掛ける。


 僕は深く息を吐き出しながら、周囲を見渡した。この夢の世界の解像度は、時間が経つにつれてさらに上がっているような気がする。遠くに見える川の水面は、傾き始めたセピア色の陽光を反射して眩しく輝き、川べりのススキが風に揺れている。空には赤とんぼが数匹、不規則な軌道を描いて飛んでいた。もしもここが現実の月見坂市であれば、川沿いは綺麗に整備された遊歩道とスマートセンサー付きの街灯が立ち並んでいるはずだが、この世界にはそんな無機質な電子機器は一切存在しない。あるのはただ、長い時間をかけて人間が生活してきたという、泥臭くも温かい物理的な痕跡だけだ。


「……そうだ。如月さん、ちょっとここで待っていてください」


 僕はふと、商店街を抜ける直前に目に入った一軒の店のことを思い出し、ベンチから立ち上がった。


「どこへ行く、サクタロウ。単独行動は不測の事態を招くリスクを増大させるぞ」


「すぐそこの角にある喫茶店です。脳を動かすには糖分が必要だって、いつも如月さんが言っているじゃないですか。僕が気を利かせて、とっておきの燃料を買ってきますから」


 僕は如月さんの制止を振り切り、小走りで路地の角へと向かった。

 そこにあったのは、『純喫茶・白鳥』という、色褪せたベルベットの看板を掲げた古めかしい喫茶店だった。ガラス張りのショーケースには、日に焼けて変色したナポリタンやオムライスの食品サンプルが並んでいる。僕は迷わず店内に入り、マスターに「持ち帰りで」とあるものを注文した。


 数分後、僕は紙箱を手に提げてベンチへと戻ってきた。

 如月さんは僕が戻ってくるまでの間、ベンチに座ったまま微動だにせず、純白の手袋に包まれた手の中で、あのひしゃげた真鍮の筒をじっと見つめ続けていた。彼女の周囲だけ、時間の流れが完全に停止しているかのような錯覚に陥るほどの凄まじい集中力だった。


「お待たせしました、如月さん。はい、これ」


 僕が隣に座り、紙箱を開けて中身を取り出すと、如月さんの深いアメジストの瞳が、僅かに、しかし確実にピクリと反応を示した。


 紙箱の中から現れたのは、ガラスの器に入った『かためのプリン』だった。

 最近のコンビニやスーパーで売られているような、ゼラチンで固められただけの滑らかで柔らかいプリンではない。卵と牛乳の比率において卵の割合が圧倒的に高く、オーブンでじっくりと湯煎焼きにされた、スプーンを入れるとしっかりとした抵抗を感じる、昔ながらの王道のプリンだ。底には、少し焦げたような深い黒色をしたカラメルソースがたっぷりと沈んでいる。


 如月瑠璃という少女は、他人の感情や一般的な女子高生が好む流行り物には一切の興味を示さないが、こと『かためのプリン』に関しては、明確な執着と好意を持っている。現実の旧校舎の図書室でも、僕が機嫌取りのためにこれを献上すると、彼女の口調がほんの少しだけ滑らかになるのを僕は知っていた。


「……サクタロウ。お主、ただの愚鈍かと思っておったが、ごく稀に最適解を叩き出すことがあるようじゃな」


 如月さんはプリンを見るなり、先ほどまでの張り詰めた緊張感をわずかに緩め、純白の手袋を外してエプロン……ではなくワンピースのポケットに丁寧にしまった。そして、代わりに彼女が常時携帯している、柄に精緻な彫刻が施されたマイ・スプーンである『銀の匙』を取り出した。


「喫茶店のショーケースを見た時、直感的に如月さんの好みにドンピシャだと思ったんですよ。さあ、冷たいうちにどうぞ。これで脳のシナプスをフル回転させてください」


「言うまでもないことじゃ」


 如月さんは銀の匙を手に持ち、ガラスの器の中のプリンへと静かに、しかし迷いのない動作で刃……いや、匙を入れた。

 スプーンの先端がプリンの表面を突破する瞬間、わずかな弾力が手に伝わってくるのが隣で見ている僕にも分かった。すくい上げられたプリンの断面は、気泡一つない完璧な滑らかさを保ちつつも、その形を一切崩すことなく匙の上に鎮座している。その底部には、とろりとした漆黒のカラメルソースが絡みついていた。


 彼女はそれを口に運び、ゆっくりと目を閉じた。

 そして、その小さな口の中で、舌と上顎を使ってプリンの物理的な構造を分析するかのように、静かに味わう。


「……見事じゃ」


 数秒の沈黙の後、如月さんは目を開き、小さく息を吐き出して言った。


「卵白に含まれるオボアルブミンと、卵黄のレシチンによる乳化作用。そして牛乳のタンパク質が、加熱によって形成する強固な網目構造。それらのバランスが、極めて高い次元で計算され尽くしておる。ゼラチンや増粘多糖類といった姑息な添加物に頼ることなく、純粋な熱変性のみでこの確固たる物理的弾力を生み出している点において、このプリンを作った職人の技術力は高く評価されるべきじゃ」


「は、はあ……美味しいってことですよね」


「味覚の問題だけではない。特筆すべきはこのカラメルソースじゃな。サクタロウ、お主はこのソースの粘度についてどう考察する?」


 突然の問いかけに、僕は言葉に詰まった。プリンのカラメルソースの粘度について考察した経験など、僕の十六年の人生において一度たりとも存在しない。


「えっと……ちょっと苦くて、ドロッとしてて……美味しいです」


「言語化能力が極度に進化した類人猿レベルじゃな。よく見るのじゃ」


 如月さんは銀の匙の先端にカラメルソースだけをすくい取り、傾けてみせた。ソースはすぐには流れ落ちず、重力に逆らうようにしばらく粘った後、ゆっくりと糸を引くように落ちていく。


「このカラメルソースは、単に砂糖を焦がしただけのものではない。ショ糖を摂氏百六十度以上で加熱し、脱水縮合させるカラメル化のプロセスにおいて、差し水の温度とタイミングが完璧に制御されておる。この絶妙な粘度は、非ニュートン流体としての性質を強く示しており、口に含んだ瞬間に舌の上で均等に広がり、プリン本体の卵の風味をマスキングすることなく、むしろ相乗効果を生み出すように設計されているのじゃ」


「なるほど、非ニュートン流体……」


 もはやプリンの感想ではなく、食品工学の論文発表を聞かされている気分だったが、彼女の機嫌が良くなっていることだけは確かだった。如月さんはその後も無言で、しかし明らかに満足げな様子で、その完璧な力学構造を持ったプリンを最後まで平らげた。


「さて、糖分と脂質による脳へのエネルギー供給は完了した。サクタロウの父が購入を目論んでいた特上の和牛などよりも、遥かに効率的かつ質の高い栄養摂取であったと言える」


 如月さんはハンカチで口元を拭うと、再び純白の手袋を両手にはめ直した。

 その瞬間、彼女を包んでいた『プリンを嗜む少女』という柔らかな空気は完全に消え去り、絶対的な論理と観察眼を持つ『孤高の鑑定士』としての顔が戻ってきた。


 彼女はベンチの上に置いていた真鍮の筒を拾い上げ、銀のルーペを右目に当てた。

 傾きかけた太陽の光が、ルーペのレンズを透過し、真鍮の表面に複雑なテンパーカラーを浮かび上がらせる。


「先ほどの八百屋や精肉店での情報収集により、過去のこのエリアの環境データに一つの強力なファクターが追加された。川沿いの路地に存在したという、職人による特注品の加工を請け負っていた『篠原製作所』の存在じゃ」


 如月さんは筒を回転させながら、ゆっくりと語り始めた。


「この真鍮の筒に刻まれた五十五度のウィットワースねじ、あるいはそれを模倣した特殊なピッチのネジ山は、大量生産品ではない。特定の機械の規格に強引に合わせるため、職人が旋盤を用いて手作業で削り出したものじゃ。その技術力を有する工場が、かつてこの近辺に存在したという事実。これは、この部品がこの旧市街の歴史という地層から直接出土したものであることを裏付ける、重要な状況証拠となる」


「でも、如月さん。その町工場で削られた部品だとしても、それが何に使われていたかまでは分からないじゃないですか。ただの水道管の特殊なジョイントかもしれないし、昔の車の部品かもしれない」


 僕が疑問を口にすると、如月さんはルーペ越しに僕を鋭く睨んだ。


「お主のその直感的な推論は、目の前にある物理的証拠を完全に無視した妄言に過ぎん。水道管のジョイントであれば、内部に水垢やカルキの沈着、あるいは青緑色のサビが発生しているはずじゃ。車の部品であれば、エンジンオイルや排気ガスの微小な粒子が付着している。しかし、この筒の内部にあるのは、それらとは全く異なる性質の物質じゃ」


 如月さんは筒の開口部を僕の方に向けた。

 物置の中で見た時と同じように、内部には真っ黒な煤がびっしりとこびりついている。


「わしは先ほど、これを『不完全燃焼による炭素の結晶』であると断言したな。サクタロウ、お主はなぜ煤が発生するか、その化学的メカニズムを理解しておるか?」


「えっと……物が燃える時に、酸素が足りないと煙と一緒に煤が出る……んですよね?」


「表層的な理解としては及第点じゃ。炭素化合物が燃焼する際、酸素の供給量が理論空気量に満たない場合、炭素原子の共有結合が完全に切断されず、遊離した炭素が凝集して微小な粒子となる。これが煤の正体じゃ。しかし、ここで着目すべきは、この煤が『真鍮の筒の内部』という閉鎖空間に、これほどの厚みを持って堆積しているという異常性じゃ」


 如月さんはルーペの焦点を筒の内壁に合わせながら、説明を続ける。


「この筒は、単に煙突として使われていたわけではない。もし煙を逃がすための経路であれば、気流による摩擦で煤の定着はより不均一になるはずじゃ。しかし、この煤の層は驚くほど均等で、かつ非常に微細な粒子で構成されておる。これは、この筒そのものが、あるいはこの筒の直近に、継続的に高熱を発し、かつ微細な炭素の燃焼を伴う『光源』が存在していたことを意味する」


「炭素を燃やして光を出す光源……?」


「左様。現代のLEDや蛍光灯ではあり得ない。さらに言えば、一般的な白熱電球のフィラメントでも、これほどの煤は発生せん。考えられるのは、古い時代において強烈な光を必要とした装置……例えば『カーボンアーク灯』、あるいはそれに類する初期の高輝度ランプの存在じゃ」


 カーボンアーク灯。理科の歴史の授業で聞いたことがあるような、ないような単語だ。二つの炭素の棒の間に高電圧をかけ、放電によって強烈な光を発生させる古い照明器具。


「しかし、光源だけではこの筒の形状を説明できん。この筒は、内側が空洞であり、両端にネジが切られている。これはつまり、内部に何らかの『別の部品』を格納し、外部の機構と連結するための鏡筒(バレル)であることを示しておる」


 そこまで言い切ったところで、如月さんは突然、ルーペを持つ手の動きをピタリと止めた。

 彼女の顔が、筒の一端……ネジ山が刻まれ、激しくひしゃげている部分のギリギリの縁のところへと極限まで近づけられる。


「……やはりな。わしの視覚野に捉えられた微小な違和感は、錯覚ではなかったようじゃ」


「違和感? 何か見つけたんですか?」


 僕が身を乗り出して尋ねると、如月さんは筒をわずかに傾け、夕陽の光がその一角に集中するように角度を調整した。


「サクタロウ、ここをよく見るのじゃ」


 如月さんに促され、僕は彼女の顔のすぐ横から、真鍮の筒の縁を覗き込んだ。

 彼女のサラサラとした黒髪から、仄かに石鹸のような清潔な香りが漂い、一瞬だけ心臓が跳ねたが、僕はすぐに目の前の金属へと意識を集中させた。


 夕陽の光が反射している真鍮の鈍い輝きの中に、明らかに異質な、しかし極めて微小な『きらめき』が混ざっていた。

 それは、ひしゃげたネジ山の谷間の部分に、まるで小さなダイヤモンドの欠片が挟まっているかのように、鋭く光を反射している。


「これ……ガラスの欠片ですか?」


「その通りじゃ。直径わずか一ミリにも満たない、極小のガラス片。金属の変形による圧力で、ネジ山の溝に完全に食い込んでおる。これこそが、この筒の正体を決定づける最後の物理的証拠じゃ」


 如月さんはベンチからすっと立ち上がり、真鍮の筒を空高く掲げた。


「通常の窓ガラスや瓶のガラス——ソーダ石灰ガラスであれば、このような強い衝撃を受けた際、破片はより大きく不規則に砕け散り、微細な粉末は吹き飛んでしまう。しかし、この溝に食い込んでいるガラス片を観察するのじゃ。その光の反射の鋭さ、つまり『屈折率』の高さは、一般的なガラスのそれを遥かに凌駕しておる」


「屈折率が高いってことは……」


「これは、酸化鉛やバリウムなどを添加し、光の分散をコントロールするために作られた『光学ガラス』じゃ。おそらくはクラウンガラスか、フリントガラスの類じゃろう。そして、この光学ガラスが、この筒の先端に強固に固定されていたということじゃ」


 如月さんの論理が、これまでに集められたすべての物理的証拠と、旧市街で得た環境データを一本の太い線で結びつけていくのが分かった。


「整理しよう。第一に、町工場で特注された特殊なピッチのネジ山を持つ、真鍮製の堅牢な筒。第二に、高熱によるテンパーカラーと、内部に堆積した不完全燃焼の煤。第三に、先端に固定されていた屈折率の高い光学ガラスのレンズ。これらすべての要素を内包し、かつ個人の手によって改造・修理が試みられるような機械装置」


 如月さんは振り返り、アメジストの瞳で僕を真っ直ぐに見据えた。


「サクタロウ。お主の父が隠したかったこの『ガラクタ』の正体。それは水道管でも車の部品でもない」


 彼女の宣告は、冷徹でありながら、どこか謎を解き明かしたことに対する知的興奮に満ちていた。


「これは『映写機』のレンズバレルじゃ。それも、映画館に備え付けられているような既製品の大型映写機ではない。個人が所有する8ミリ、あるいは16ミリの古いフィルム映写機に、強引に高輝度の光源と高性能なレンズを組み込むため、町工場に依頼して削り出させた『改造部品』に他ならん」


「……映写機の、レンズ……」


 僕は、その単語を聞いて、頭の中を雷に打たれたような衝撃を受けた。

 映写機。映画をスクリーンに映し出すための機械。


 その瞬間、僕の脳裏に、現実世界で幼い頃に一度だけ見たことのある、父さんの古いアルバムの光景がフラッシュバックした。

 若き日の父さんが、満面の笑みで8ミリカメラを構えている写真。そして、その横に写っていた、誇らしげに掲げられた『自主映画制作』という手書きの看板。


「父さんは昔、映画監督になりたかったんだ……」


 僕が思わず呟いたその言葉を、如月さんは冷ややかに、しかし興味深そうに拾い上げた。


「ほう。お主の父の過去の情動データが、ここでリンクするわけじゃな。なるほど、すべてが物理的に繋がった」


 如月さんは手元の真鍮の筒——かつて映写機の一部であったその金属部品を、夕陽にかざした。


「若い頃の情熱。映画への異常な執着。より明るく、より鮮明に映像をスクリーンに投影したいという欲望から、既製品のスペックに満足できず、この旧市街の町工場に特注のレンズバレルを作らせた。しかし、素人の無謀な改造は、必然的に機械の限界を超える。内部の異常加熱、あるいは光源の暴走により、この部品は致命的な損傷を受けたのじゃろう」


 彼女の言葉は、まるで何十年も前の出来事をその目で見てきたかのように、圧倒的なリアリティを持って僕の胸に迫ってきた。


「問題は、なぜこれがこれほどまでに無残にひしゃげ、そして捨てられることもなく物置の底に隠されていたかじゃ」


 如月さんは視線を落とし、筒の表面の不規則な擦り傷を指でなぞった。


「この傷は、怒りに任せて叩き壊した痕跡ではない。むしろ逆じゃ。限界を迎えて歪んでしまった筒を、ペンチや万力のような工具を使って、どうにかして元の円形に戻そうと、不器用な素人が必死に、執拗に足掻いた物理的な痕跡じゃ」


「直そうと……していた?」


「そうじゃ。何故か? それは、直さなければならない切実な理由があったからじゃろう。誰かに、どうしても、その映写機で自分の作った映画を見せなければならない理由がな」


 如月さんの深い紫色の瞳が、夕陽の色を反射して、まるで燃え上がるような光を帯びた。

 それは他者の悲しみや情熱に『共感』している光ではない。ただ純粋に、隠されたルーツと、人間の愚直で非論理的な『情動の痕跡』を暴き出したことに対する、彼女なりの敬意と知的な満足感の表れだった。


「さあ、サクタロウ。物理的なルーツの解明はこれで完了じゃ。あとは、この証拠をお主の父に突きつけ、隠蔽された情動を白日に晒すのみ。家に帰るぞ。朔家のすき焼きパーティーとやらは中止じゃが、極上の謎の結末を味わう時間じゃ」


 如月さんは軽やかな足取りでベンチから立ち上がると、振り返ることもなく、夕暮れの路地を朔家に向かって歩き出した。

 僕は、ただ圧倒されたまま、その後ろ姿を追いかけることしかできなかった。

 商店街で買ったプリンの空のガラス容器が、ベンチの上で夕陽を浴びて、あの真鍮の筒に残っていた光学ガラスの欠片と同じように、鋭く、そして美しく光を反射していた。



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