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第15巻:如月令嬢は『空想の産物を認めない』  作者: アリス・リゼル


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第3話『冒険』(前編) ~Section 1:目覚めと、不釣り合いなパーティ~

 重たい。


 まるで全身を鉛の塊で覆い尽くされているかのような、異様な物理的圧迫感。それに加えて、鼻腔を突く古いカビと乳香(フランキンセンス)が混ざり合ったような埃っぽい匂いと、背中から伝わってくる石畳の冷たさ。


「……う、ん……」


 僕は、ひどく重い瞼をゆっくりと押し上げた。

 視界に真っ先に飛び込んできたのは、高くそびえる円柱と、松明の炎に照らされて赤黒く揺らめく石造りのアーチ状の天井だった。どこか中世ヨーロッパの大聖堂を思わせる、ひどく荘厳で、それでいてひどく『現実離れ』した空間。


「……また、か」


 僕は、重い身体を起こしながら、深大なため息をついた。

 見知らぬ天井。見知らぬ空間。そして、自分自身の身体にまとわりついている、この常軌を逸した『コスプレ衣装』のような重装備。

 状況を把握するのに、数秒もかからなかった。僕の脳が強制シャットダウンを起こし、深層心理が構築した『もしもの世界』への強制移行。先ほどの国会議事堂という異常な空間から、僕は再び、別の狂気の設定へと放り込まれたらしい。


「それにしても、今回はまた……思い切り振り切ったな、僕の脳髄は」


 僕は、自分の身体を見下ろし、顔を引きつらせた。

 僕が身に纏っているのは、見慣れた旧校舎のブレザーでもなければ、先ほどまで着せられていた総理秘書官のオーダーメイドスーツでもなかった。

 純白のチュニックの上に、プラチナのように眩い光を放つ分厚い『銀の胸当て(プレートアーマー)』を装着し、肩からは王族が身につけるような深く鮮やかなブルーのベルベットのマントが垂れ下がっている。腰には、柄に巨大なサファイアがはめ込まれた、無駄に装飾過多な両刃の長剣……いわゆる『聖剣』が、重々しく吊り下げられていた。


 どこからどう見ても、RPGのパッケージに描かれているような、コテコテの『伝説の勇者』のフル装備である。


(剣と魔法のファンタジー世界への異世界転生……。現代日本の男子高校生としては王道中の王道の妄想だけど、いざ自分が当事者になると、この重装備、肩が凝って仕方がないぞ……)


 僕が自身の勇者装備の重さとファンタジー特有の非合理的なデザインに辟易していると、ふと、すぐ横から、くすくすと忍び笑いを漏らす甘い声が聞こえてきた。


「ふふっ、光太郎くん。なんだかすごく緊張してるみたいだけど……その勇者様の服、とっても似合ってるわよ?」


「え……っ」


 声のした方へ振り向いた僕は、次の瞬間、心臓が口から飛び出そうになるほどの衝撃を受け、反射的に視線を明後日の方向へと逸らした。


「ひ、翡翠さん……!? な、なんですか、その格好……!」


 そこに立っていたのは、如月コンツェルンの経理を束ねる冷徹な数字のスペシャリストであり、如月さんの実の姉である如月翡翠さんだった。

 しかし、彼女が身に纏っていたのは、いつもの上品なブラウスやタイトスカートではない。

 深いエメラルドグリーンと純白を基調とした、極めて上質なシルクのような生地で作られた『賢者のローブ』。……なのだが、そのデザインは、僕の思春期の理性を一撃で粉砕するほどに暴力的なものだった。


 ローブの胸元は、彼女の元から豊満な胸の渓谷をこれでもかと強調するように、V字に深く、あまりにも深く切り込まれている。さらに、足元まで伸びる長いスカートのサイドには、腰骨のあたりまで届くような大胆なスリットが入っており、彼女が優雅に一歩を踏み出すたびに、ガーターベルトと絶対領域、そして滑らかな太もものラインが惜しげもなく披露される仕組みになっていた。

 手には、先端に緑色の宝玉が浮遊する美しい『賢者の杖』を握っているものの、その圧倒的なプロポーションと色気は、聖職者というよりは完全に男を惑わすサキュバスのそれである。


「あら? 賢者といえば、こういう神秘的なローブが定番じゃないかしら。光太郎くんの頭の中では、私ってこういうセクシーなお姉さんのイメージだったのね。……嬉しいわ」


「ち、違います! これはあくまで不可抗力というか、夢のバグであって……!」


 顔から火が出るほど赤面し、両手で顔を覆って弁解する僕。

 しかし、僕の視線が逃げた先には、さらなる非日常の暴力がそびえ立っていた。


「対象の制圧に、この過剰な装甲は不必要だ。だが、総理……いや、マスターの命とあらば、この形態で任務を遂行する」


「く、黒田さんまで……!」


 普段は漆黒のスーツ姿で無言の圧を放っている巨漢のSP、黒田さん。

 彼が身に纏っていたのは、ファンタジー世界における『狂戦士(バーサーカー)』や『暗黒騎士(ダークナイト)』を具現化したような、全身を覆う禍々しい黒鉄のフルプレートアーマーだった。肩や腕には攻撃的なスパイクが突き出し、背中には、彼自身の身長ほどの長さがある、まるで鉄骨の塊のような巨大な『大剣(バスターソード)』を背負っている。

 ただでさえ威圧感の塊である彼が、本物の殺戮兵器のような重武装をしている姿は、魔王軍の幹部と言われた方がよほどしっくりくる。


(勇者に、セクシーすぎる賢者に、暗黒騎士風の戦士……。見事にファンタジーのパーティが組まれてるけど、バランスがおかしいだろ、僕の脳内……)


 僕は、痛むこめかみを指で揉みほぐしながら、この『もしも』の空間の配役を整理した。

 そして、当然の帰結として、最後の、そして最も重要な『四人目』の存在を探して視線を巡らせた。


(……待てよ。この流れでいくと。あの『如月さん』まで、僕の脳内はファンタジーの法則に則って、大胆な衣装に改変してしまっているんじゃないか……?)


 ドクン、と。

 僕の胸の奥で、嫌な予感と、それとは裏腹な、男子高校生としての抗いがたい『期待』が入り混じった、ひどく不純な鼓動が鳴った。


 普段の僕は、旧校舎の図書室という拠点において、彼女の口から飛び出す『下僕』『助手』『測定機器』といった暴言の数々や、他人の感情を全く意に介さない冷徹な振る舞いを浴び続けるうちに、いつしか彼女のことを『同年代の女の子』として見る機能が麻痺してしまっていた。

 彼女は絶対君主であり、女王であり、人間というよりは『物理法則を具現化した知の化身』。僕の中での如月瑠璃の認識は、完全にそちら側に固定されていたはずだ。


 しかし。

 ここは、僕の深層心理が構築した、僕の脳内空間である。

 僕の無意識下にある『欲望』や『本能』が、このファンタジーという免罪符を利用して、彼女をどう定義したのか。


 僕は、恐る恐る、石造りの柱の影……松明の光が当たらない、薄暗い空間へと視線を向けた。

 そこには、神殿の冷たい石畳の床にしゃがみ込み、何やら銀色の金属片をかざしている、小柄な少女のシルエットがあった。


「……如月、さん……?」


 僕が恐る恐る声をかけると。

「騒々しいのう、サクタロウ」という、いつもと全く変わらない、氷のように冷たく、年寄りじみた口調と共に。

 その少女が、松明の光の当たる場所へと、ゆっくりと立ち上がった。


「っ……!!」


 僕は、無意識に息を呑み、完全に言葉を失った。


 そこに立っていたのは、間違いなく『鑑定士』如月瑠璃だった。

 しかし、彼女が身に纏っていたのは、僕の視覚に完全に焼き付いている、あの首元から足首までを一切の隙間なく覆い隠す、絶対的な拒絶を示すような漆黒のゴシックドレスではなかったのだ。


 深く美しいミッドナイトブルーと漆黒を基調とした、ファンタジー世界特有の『コルセット風ドレス』。

 華奢な肩のラインと、雪のように白い鎖骨が完全に露出したオフショルダーのデザイン。そこから繋がる胸元は、普段の厳重なガードが嘘のように、大胆に、そして極めて無防備に開け放たれていた。

 横に立つ翡翠さんのような、暴力的なまでの圧倒的な渓谷があるわけではない。身長一四七センチという小柄な体躯。しかし、そこには決して『平坦』などと侮ることはできない、十六歳の少女としての、柔らかく、そして確かな『女性としての起伏』が、コルセットの締め付けによって極めて魅力的に強調され、存在を主張していた。


 さらに、幾重にも重なったフリルのスカートは、前部だけが膝上まで大きく切り取られたアシンメトリーなデザインになっており、動くたびに、黒いレースのタイツに包まれた華奢な太ももがチラチラと視界を掠める。


(な……な、な……っ!!!)


 僕の顔面が、一瞬にして沸騰したやかんのように真っ赤に染まり上がった。

 脳内の血液がすべて顔に集中し、心臓が早鐘のように狂ったリズムを刻み始める。


(如月さんが……ちゃんと、女の子だ……っ!!)


 当たり前のことだ。彼女は僕と同じ高校二年生の、十六歳の少女なのだから。

 しかし、普段の彼女のあまりにも浮世離れした言動と、人間を人間とも思わない冷酷な視座のせいで、僕の脳はいつしかその『当たり前の事実』に強固な蓋をしてしまっていた。


 その蓋が、このファンタジー衣装という視覚的な暴力によって、今、一撃で吹き飛ばされたのだ。

 僕の脳の奥底……無意識の領域には、如月瑠璃を『一人の魅力的な異性』として認識し、意識してしまう、思春期の男子としての極めて健全な、そしてひどく厄介な情動が、しっかりと、確実に根を張って生きていたのである。


(うわあああっ! なんで僕の脳みそは、こんな恐ろしい衣装を如月さんに着せてるんだ! もしこれが僕の妄想だって本人にバレたら、確実に社会的に抹殺される……っ!)


 僕は、自分自身の浅ましい無意識に対する強烈な自己嫌悪と、目の前に立つ『露出度の高い如月瑠璃』という特大のバグに対する猛烈な羞恥心で、今すぐこの神殿の石畳に頭を打ち付けて気絶したくなった。勇者の聖剣で自分自身を斬り捨てたい気分だ。


 しかし。

 僕が一人で勝手に赤面し、羞恥心に悶え苦しんでいるというのに。


「サクタロウ。先ほどから、何を一人で顔面を赤くして発熱しておるのじゃ。交感神経の異常な昂ぶりか? 愚鈍なことじゃ」


 当の本人である如月さんは、大きく露出した胸元や肩の肌など、文字通り『一ミリたりとも』気にする素振りを見せなかった。

 彼女は、ファンタジー世界全開の大胆な衣装を纏っていながらも、両手にはいつもの【純白のオーダーメイド手袋】をはめ、右手には精緻な銀細工が施された【アンティークのルーペ】をしっかりと握りしめていた。


「いや、その……如月さん、その格好……自分で違和感とか、恥ずかしいとか、そういうのは……」


 僕が視線を宙に泳がせながら尋ねると、彼女は冷ややかなアメジストの瞳で僕を一瞥し、鼻で笑った。


「衣服など、外界の物理的干渉から肉体を保護し、体温を維持するための単なる布の集合体に過ぎん。布面積の増減によって羞恥心という無意味な情動を発生させるのは、他者の視線を過剰に意識する『自意識過剰な凡人』の証拠じゃ。わしにとって、この布切れがどのような形状をしていようと、知覚すべき真理は何も変わらん」


 そう言い放つと、彼女は僕の視線を完全に無視して、再び神殿の冷たい石畳へとしゃがみ込み、銀のルーペを床の傷跡に近づけた。


「それよりもサクタロウ。この床の石材の成分、そして表面に刻まれた微細な摩耗痕にこそ、注目すべき物理的情報が隠されておるぞ」


「え……床の、石……?」


「いかにも。この神殿を構成している石材は、一般的な花崗岩や石灰岩ではない。魔力帯びた特殊な鉱石……この世界で言うところの『魔晶石』の微粒子が極めて高い密度で練り込まれておる。しかし、不自然なのはその摩耗の偏りじゃ。中央の通路部分だけが、人間の靴底のゴムではなく、はるかに硬質な、例えば金属製の甲冑や、あるいは『魔物の鋭い爪』による歩行痕によって、ミリ単位で削り取られておる」


 如月さんは、コルセットドレスの胸元が大きくたわむのもお構いなしに、床に顔を近づけてブツブツと分析を続けている。

 その光景を見て。僕の胸の中で暴れ狂っていた思春期の動揺は、急激に冷や水を浴びせられたようにスッと鎮火していった。


(……ああ。そうだ。ここは僕の夢の中で、衣装がどれだけファンタジーに改変されていようとも)


 目の前で、石の成分と傷跡から過去の物理的事象を読み解こうとしている少女。


(この如月瑠璃の、情動を完全に切り捨て、ただ物理法則と真理だけを追い求める『フォーマット』だけは……宇宙の法則が乱れても、絶対に変わらないんだ)


 剣と魔法の王道ファンタジー世界。

 勇者、賢者、戦士、そして鑑定士という、どこかチグハグで不釣り合いなパーティ。

 圧倒的な非日常の空間と衣装の暴力の真ん中で、僕は、決してブレることのない一人の絶対君主の背中を見つめながら、これから始まるであろう『空想の産物』に満ちた異世界での、理不尽極まりないルーツ探求の旅に、深く、深くため息をついたのだった。



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