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第15巻:如月令嬢は『空想の産物を認めない』  作者: アリス・リゼル


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第2話『総理』 ~Section 7:資金の線と、巧妙な言い逃れ~

 監視カメラが捉えた、粗い白黒の二次元映像。

 そこに映し出された清掃機材の『重量』と、この衆議院本会議場に敷き詰められた深紅の赤絨毯の『沈み込み』という、極めてミクロな三次元的かつ物理的な矛盾。

 如月瑠璃の放ったその完璧な推論がもたらした事実は、あまりにも巨大で、そして国政の根幹そのものを揺るがすほどにおぞましいものだった。


『月見坂クリーンサービス』という清掃業者の看板を掲げ、深夜の国会議事堂の本会議場に堂々と侵入してきた揃いの作業着の男たち。彼らが押していた大型ポリッシャーが、モーターも重りもすべて抜き取られた、ただのハリボテであったという確固たる物理的証拠。それはすなわち、彼らが清掃業者などでは断じてなく、身分と機材を偽装してまで、この国家の最高権力の中枢に入り込んだ『何らかの別の組織の人間』であることを完全に証明していたのだ。

 そして、その偽装された清掃作業の最中に、彼らの作業着の折り返しの隙間から、この深紅の赤絨毯の毛足の奥深くへとこぼれ落ちたのが、先ほど科捜研の分析によって正体が暴かれたばかりの『重防食塗料の撹拌球』である。


 ばらばらに散らばっていた点と点が、完璧な物理法則と論理という名の強靭な糸によって、一直線に結びついた瞬間だった。


 外部からの物理的アクセスが遮断され、巨大な密室と化している議場。そこを包み込む数百人の国会議員たちの沈黙は、先ほどの驚嘆や畏怖といった受動的な感情から、明確な『恐怖』へと変質し始めていた。

 彼らのような政治のプロフェッショナル、泥水のような権力闘争を生き抜いてきた者たちであれば、誰でもすぐに察しがつくはずだ。土建業者とおぼしき正体不明の人間が、ダミーの清掃会社を隠れ蓑にしてまで、深夜の誰もいない本会議場に侵入する目的。それが単なる観光や、つまらない悪戯であるはずがない。

 厳重な国会のセキュリティ網を内部から操作し、書類を偽造させ、彼らをこの絶対的な密室へと招き入れた『手引き者』が、必ずこの議事堂の内部、あるいは今まさにこの議場の座席で息を潜めている議員の中に存在するのだ。


「さて、物理的な移動経路と、実行犯の組織的属性の推論は完了した」


 演壇の上に立つ如月さんは、漆黒のベルベット生地をふんだんに使用したゴシックドレスの長い袖を静かに翻し、純白の手袋に包まれた手で、再び僕のいる総理秘書官席のタブレット端末をスッと指し示した。


「モノのルーツを辿る上で、次に行うべきは『抽象的なエネルギーの循環』を観測することじゃ。人間という生物は、いかなる非論理的、あるいは法を逸脱した行動を起こす際にも、必ずその動機となる『報酬』を求める。特に、今回のような大掛かりな身分偽装と、国家の最高機関への不法侵入という巨大な物理的リスクを伴う事象において、その報酬は極めて強大な質量を持った数字……すなわち『金銭』という形で、必ずどこかに痕跡を残すはずじゃ」


 如月さんの澄み切った声が、凍りついた議場の空気を切り裂くように響き渡る。


「サクタロウ。そして黒田よ。次なるターゲットは『国税庁のデータベース』じゃ。内閣総理大臣の絶対権限を行使し、財務省のメインフレームへと物理的なバックドアから強制接続せよ。あの『月見坂クリーンサービス』というダミー会社を起点として、過去数年間にわたるすべての不自然な資金の流出入のログを、完全にトレースするのじゃ」


「こ、国税庁のデータベースを直接覗き見るなんて……! いくら総理の権限でも、令状なしでそんなことをしたら越権行為で大問題になりますよ!」


 僕は秘書官席から、反射的に常識的な抗議を口にしてしまった。

 しかし、僕の右隣に直立不動で立つ漆黒の巨漢には、令状や法律といった人間が紙の上に書いた空想のルールなど、全く意味をなさない障壁であった。


「総理の推論を立証するための情報アクセスに、外部機関の許可や法的手続きは不要。直ちに実行する」


 黒田さんは、感情の一切こもっていない機械的な音声でそう答えると、再び僕の目の前にあるタブレット端末の上で、常人には視認不可能な速度で指を躍らせ始めた。


 タタタタタタタタッ!!!


 まるでアサルトライフルを乱射しているかのような、強烈で正確無比なタイピング音が秘書官席に鳴り響く。彼は、僕の生体認証すらバイパスし、国会のネットワークから財務省の堅牢なイントラネットへと、信じられない速度で侵入を果たしていく。

 画面には、一般人では決して見ることのない、緑色の文字列と無数のセキュリティプロトコルが滝のように流れ落ちては突破されていく。


「セキュリティウォールの第四層を突破。国税庁の法人税申告データ、および銀行の電子送金記録のマスターファイルへと接続を確立した。……これより、対象データの抽出と、資金洗浄(マネーロンダリング)のアルゴリズム解析を並行して実行する」


「黒田さん、アンタ本当に何者なんだよ……。ただのSPのスキルツリーじゃないだろ、それ……」


 僕が過剰なストレスで胃を押さえて呻いている間にも、議事堂の壁面に備え付けられた巨大なプロジェクター・スクリーンの映像が、瞬時に切り替わった。

 先ほどまでの白黒の監視カメラ映像から、今度は無数の企業名と、莫大な金額を示す数字の羅列、そしてそれらを結ぶ複雑な矢印のフローチャートが、巨大なスクリーンいっぱいに展開されていく。


「見事な処理速度じゃ。さすがはわしの手足よ」


 如月さんは、巨大スクリーンを見上げながら、冷徹な観察者の眼差しで、その複雑怪奇に絡み合った資金の流れを読み解き始めた。


「皆の者、よく見るのじゃ。これが、お主らが日々血眼になって奪い合っている『金』という名の抽象データの正体じゃ。……黒田、月見坂クリーンサービスを中心とした資金の動きを拡大せよ」


 スクリーンの中央に、ダミー会社である「月見坂クリーンサービス」の四角いボックスが赤くハイライトされた。


「このダミー会社は、国会や官公庁からの清掃業務の委託費として、表向きは年間数千万円という正当な報酬を受け取っておる。しかし、キャッシュフローの動きは極めて不自然じゃ。彼らは、受け取った清掃費の何十倍、何百倍もの巨大な資金を、全く業務実態のない複数のペーパーカンパニーへと『業務委託費』や『コンサルタント料』という名目で流出させている」


 スクリーンの矢印が、月見坂クリーンサービスから、四方八方へとタコ足のように伸びていく。

『株式会社オーシャン・プランニング』『未来環境デザイン研究所』『特定非営利活動法人・月見坂みどりの会』『合同会社フロントライン』。いかにもそれらしい、しかし中身の全くない架空の企業やNPO法人の名前が次々と表示され、そこに数千万円から数億円単位の資金が、まるで濁流のように流れ込んでいることが視覚化されていく。


「これがいわゆる資金洗浄の典型的な物理的プロセスじゃ。一つの巨大な黒い資金を、無数の小さな架空取引に分割し、複数の口座を経由させることで、そのルーツを意図的に見失わせる。……しかし、いかに複雑に経路を偽装しようとも、質量保存の法則と同じく、動いた金銭の総量が消滅することはない」


 如月さんの深いアメジストの瞳が、スクリーンの膨大な情報の海から、ただ一つの『真実の糸』を確実に見つけ出していた。


「黒田。これらの末端のペーパーカンパニーから、さらに最終的な資金の行き着く先……すべての支流が合流する『巨大な貯水池』の口座を特定し、スクリーンに表示せよ」


「承知した。末端のダミー口座三十四件からの送金履歴を統合。送金先の一致を検出。……対象を表示する」


 ビーッ!という甲高い電子音と共に。

 巨大スクリーンのフローチャートのすべての矢印が、一つの巨大な赤いボックスへと集束した。

 そこに表示された文字列を僕が読み上げた瞬間、議事堂内を、これまでにないほどの巨大な戦慄と、絶望的なまでの静寂が支配した。


「……資金の最終到達地点。政治資金管理団体『新世紀・繁栄政策研究会』。……そして、その団体の代表者名義は」


 如月さんの冷徹な声が、議場の隅々にまで響き渡った。


「衆議院議員、益田孝市。……他ならぬ、お主じゃな」


 議場内の数百人の視線が一斉に、演壇の階段の下でSPの監視下に置かれ、膝をついてうずくまっていた男――先ほどまで「民主主義の危機」を声高に叫んでいた野党の重鎮たる益田孝市へと突き刺さった。


「…………ッ!!」


 益田の顔面から、文字通りすべての色素が完全に消え去った。

 彼の目は極限まで見開かれ、口はパクパクと酸素を求める魚のように動いているが、声帯は完全に麻痺し、音を発することすらできていない。額からは、脂汗が滝のように流れ落ちていた。


「おい、嘘だろ……」


「あの益田先生が、ダミー会社からの裏金を……?」


「しかも、数億円規模じゃないか! 何の金だ、これは……!」


 与野党を問わず、議員たちの間から信じられないものを見たというどよめきが沸き起こった。

 僕の脳内でも、あまりの展開の鮮やかさに、強烈なアドレナリンが分泌され始めていた。胃の痛みなど、すでに完全に吹き飛んでいる。


(特大のブーメラン……いや、もはや自爆テロレベルじゃないか!)


 僕は心の中で絶叫した。

 先ほど、この益田孝市という男は、演壇に向かって何と叫んでいたか。


『神聖な議場と国民の血税を愚弄する気か!』

『国民からは税金泥棒と揶揄されているのは誰か!』


 そう大見得を切って政権を批判し、正義の使者を気取っていた男自身が。あろうことか、ダミー会社を使い、複雑な資金洗浄のネットワークを構築して、国民の血税を数億円規模で自分の懐へと不正に還流させていた『真の税金泥棒』であったという決定的な事実が、国税庁のデータという反証不可能な証拠によって、全国ネットのカメラの前で完全に暴かれたのだ。


「……さて、益田よ」


 如月さんは、演壇の上から、虫ケラを見下ろすような冷徹な視線を益田へと突き刺した。


「重防食塗料の撹拌球という物理的な遺留品。監視カメラが捉えた、ダミー機材による不自然な清掃偽装の痕跡。そして、国税庁のデータベースが示す、ダミー会社からお主の政治資金管理団体へと流れる莫大な不正資金のルート。これらすべてが、お主がこのダミー会社と深く結びつき、何らかの不正な利益を享受しているという物理的証明じゃ」


 如月さんの論理による完全包囲網。

 もはや、逃げ道などどこにも存在しない。普通の人間であれば、この圧倒的な証拠の前に泣き崩れ、すべてを自白して土下座するしかない状況だ。


 しかし。

 腐っても、彼は数十年にわたり、数々のスキャンダルを乗り越えて永田町を生き抜いてきた『野党の重鎮』であった。

 いかに証拠を突きつけられようとも、彼の中にある政治家としての『狡猾な処世術』という名の生存本能は、まだ完全に死んではいなかったのだ。


「……ふ、ふふふ……」


 突如として。

 うずくまっていた益田の口から、ひどく乾燥した、不気味な笑い声が漏れ出た。


「……益田?」


 周囲の議員たちが怪訝な顔をする中、益田はゆっくりと、膝についた赤絨毯の埃を払いながら立ち上がった。

 先ほどまでの恐怖はどこへやら、まるで別人のように、顔の筋肉を強引に引きつらせて『余裕のある大物政治家』の仮面を被り直したのだ。


「見事な手品だ、如月総理。いや、見事な『印象操作』と言うべきかな」


 益田は、胸を張り、仕立ての良いスーツの襟を正しながら、演壇の上の如月さんを睨み返した。


「ダミー会社? 資金洗浄? 確かに、スクリーンに映し出されたデータが本物であるならば、私の政治資金管理団体に、その関係先から献金があったのは事実なのだろう。……だが、それがどうしたというのだ?」


 益田は、両手を大きく広げ、議場全体にアピールするように声を張り上げた。


「私の資金管理団体には、日々、全国の支援者や企業から数え切れないほどの献金が振り込まれている! そのすべてを私が一つ一つ確認できるはずがない! 資金の管理と処理は、すべて私の事務所の『秘書』が担当しているのだ! もし仮に、その献金の出処が不透明なダミー会社であったとしても、それは秘書が確認を怠り、勝手に処理した事務的なミスに過ぎない!」


 出た。

 長多町の伝統芸能にして、すべての責任を他者になすりつける最強にして最悪の魔法の言葉。

『秘書が勝手にやったことだ』。


「そして何より!」


 益田は、さらに声のボリュームを上げ、如月さんを指差した。


「政治献金としての処理自体は、法律に則って適切に行われているはずだ! 総理、あなたは先ほどから私が不正に関与しているかのように語っているが、証拠はどこにある!? 確かに私の団体に金は振り込まれた。そして、私の演壇の下に、業者が落としたであろうガラス玉があった。……だが、それらの事象が『私自身が裏金作りを指示した』という証明には一切ならない!」


 益田の詭弁は、極めて狡猾で、法的な逃げ道を的確に突いていた。


「証拠不十分だ! こんな状況証拠の積み重ねだけで、私を犯罪者扱いするなど、明確な名誉毀損であり、権力の不当な弾圧だ! 私はこのような狂気じみた魔女裁判につきあうつもりはない! 私の潔白は、後日、正規の司法の場で完全に証明してみせる!」


 そう言い放つと、益田はクルリと背を向け、議場の出口である重厚なケヤキの扉に向かって大股で歩き始めた。


「道を開けろ! 私には国会議員としての不逮捕特権がある! 今すぐこの扉のロックを解除し、私を外に出せ!」


 彼は、自らの処世術と法律の壁を盾にすることで、この状況から完全に「逃げ切れる」と確信していた。長年培ってきた泥臭い生存本能が、彼に背を向けて逃げるという選択をさせたのだ。


(あの親父、まだ逃げる気か!)


 僕は、歯噛みしながら益田の後ろ姿を睨みつけた。

 彼の言う通り、今のままでは彼を完全に刑務所に送り込む決定打には欠けるかもしれない。


 しかし。

 彼が議場の扉まであと数メートルというところまで歩みを進めた、その時だった。


「――お前の歩行ベクトルの先に、出口は存在しない」


 音もなく。

 先ほどまで僕の横にいた漆黒の巨漢、SPの黒田さんが、益田の進行方向、ケヤキの扉の真正面に、まるで最初からそこに生えていた大木のように立ちはだかっていた。


「なっ……!?」


 益田は、突然目の前に現れた筋肉の壁に驚愕し、足を止めた。


「ど、退け! 私は帰ると言っているんだ! 一介のSP風情が、国会議員の行く手を遮る権限など……!」


「私の権限は、内閣総理大臣の意志そのものだ」


 黒田さんは、一切の表情を動かすことなく、しかし絶対的な物理的暴力のプレッシャーを全身から放ちながら、益田を冷徹に見下ろした。


「総理の鑑定プロセスは、まだ完了していない。ルーツの完全なる解明が宣言されるまで、この絶対領域からの退出はいかなる理由があろうとも許可されない。一歩でも前に進めば、お前の両脚の関節を物理的に破壊してでもその場に固定する」


「ひぃっ……!」


 黒田さんの言葉には、一片の脅しもブラフも含まれていない。益田は本能的な恐怖に顔を引きつらせ、後ずさりすることしかできなかった。


「見苦しいのう、益田孝市。お主の詭弁の賞味期限は、あと数分で完全に尽きるぞ」


 その背中に、如月さんの冷酷な声が降り注いだ。



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