姫心、参上!?
私たちは四人で帰り道を歩いていた。
冬の空は、少しずつ夕暮れの色に染まり始めている。
紅菜が空を見上げた。
紅菜「五百万かぁ〜」
「バイト何年すれば貯まるかな」
姫心が呆れたように言う。
姫心「だから、自分たちだけで貯めなくていいって言われたでしょ」
麗「でも、やることが分かって良かったねぇ」
琉々「そうだね」
五百万円。
氏子さんたちの理解。
宮司さん。
大きな壁はある。
でも。
何も分からずに進んでいた時より。
少しだけ、足取りは軽い。
私は隣を歩く姫心を見た。
さっきから姫心だけ、少し静かだった。
琉々「姫心?」
姫心「ん?」
琉々「どうしたの?」
姫心「あ……」
姫心は少し言いづらそうに、視線を落とした。
姫心「実は」
「そろそろ、剣道の大会があるんだ」
紅菜「大会?」
紅菜が振り返る。
姫心「うん」
「最近、剣道部の練習が多いのも、それで」
姫心は少し申し訳なさそうに言った。
姫心「だから、大会が終わるまでは」
「あんまり神社部の活動、手伝えないかも」
「みんなに迷惑かけて悪いんだけど……」
麗が不思議そうな顔をする。
麗「え? なんで謝るの?」
姫心「だって……」
麗が笑った。
麗「気にしない、気にしない」
「そもそも姫心には、無理やり入ってもらったようなものだし」
「剣道だって大事でしょ?」
姫心「……ありがとう」
琉々「大会、頑張って」
姫心「うん」
紅菜が急に割り込んできた。
紅菜「ていうか!」
「姫心、一年生でレギュラーなの!?」
姫心「うん」
紅菜の目が輝く。
紅菜「すごっ!」
「大会いつ!?」
姫心「今月の最後の土曜日だけど」
紅菜が、にやりと笑った。
嫌な予感がする。
姫心も同じことを思ったらしい。
少し後ずさる。
姫心「……何?」
紅菜「みんなで応援に行こう!」
姫心「え?」
麗「いいねぇ!」
麗が即答した。
琉々「私も……行きたい」
「剣道の試合って、見たことないから見てみたい」
姫心が両手を振る。
姫心「いやいやいや」
「来なくていいから」
紅菜はもう聞いていない。
紅菜「よーし!」
「大きな旗を作って行こう!」
姫心「やめて!」
姫心が即答する。
紅菜「麗! 旗作れる?」
麗「もちろん!」
姫心「作らなくていい!」
紅菜「『咲良姫心! 必勝!』って書こう!」
姫心「絶対やめて!」
麗「ピンクとか可愛いかもねぇ」
姫心「麗まで乗らないで!」
私は想像する。
大きな旗を振り回す紅菜。
……すごく目立ちそう。
姫心が私を見る。
姫心「琉々〜」
「琉々からも止めてよ〜」
琉々「え?」
少し考えて。
琉々「……楽しみだね」
紅菜と麗が笑う。
姫心「琉々まで!?」
姫心は頬を膨らませた。
姫心「もう!」
「来るなら、絶対静かにしてよね!」
紅菜が胸を張る。
紅菜「まっかせて!」
姫心「……紅菜が一番心配」
紅菜「なんでよ!」
二人が顔を見合わせる。
そして。
姫心が、とうとう吹き出した。
私たちも釣られて笑った。
姫心は「来なくていい」と言っていたけど。
少しだけ、嬉しそうに見えた。
剣道の試合を見るのは、初めて。
いつも私たちといる姫心とはきっと違う。
剣道着を着て。
竹刀を握った姫心。
想像すると。
少し、ワクワクした。
* * *
試合当日。
会場となる体育館に着いた瞬間。
紅菜「でかっ!」
高い天井。
何面もの試合場。
竹刀がぶつかる乾いた音。
「メーン!」
「ドー!」
あちこちから、気合いの声が響いている。
独特の緊張感。
麗がスマホの時間を確認する。
麗「紅菜が遅かったせいで、もうお昼だよ」
紅菜が紙袋を持ち上げる。
紅菜「だって!」
「姫心に差し入れ作ってたら、待ち合わせ時間過ぎてたんだもん」
麗「それは紅菜が朝もっと早く起きればよかっただけでしょ」
紅菜「ぐっ……」
私は紙袋を見る。
琉々「せっかく作ったんだから、姫心探して渡そうよ」
紅菜「そうしよ!」
私たちは体育館の中を見て回った。
選手たちが並ぶ一角。
そこに見覚えのある顔がいた。
紅菜「あ! 姫心!」
「差し入れ持ってきた!」
紅菜が大きな声を出す。
周りの選手が一斉にこちらを見る。
姫心が慌てて近づいてきた。
姫心「ちょっと、紅菜!」
「声大きい!」
紅菜「ごめんごめん」
全然反省していない。
紅菜は紙袋を差し出した。
紅菜「はい!」
姫心が中を見る。
塩バニラクッキー。
魔法瓶に入ったホットレモン。
カイロ。
紅菜「試合疲れると思って」
「いろいろ考えた結果、これにした!」
姫心「……ありがと」
紅菜「クッキーはいっぱい作ったから、みんなで分けてね」
姫心「うん」
麗「試合の方はどう?」
「確か、団体戦だよね?」
姫心「うん」
「今、ちょうど三試合目が終わったところ」
「順調に勝ち進んでるよ」
琉々「すごい」
思わず声が出た。
琉々「姫心は?」
姫心「今のところ、三試合とも勝ってる」
小さくVサインして見せた。
姫心「次が準決勝」
紅菜「え!?」
紅菜が目を丸くする。
紅菜「もう準決勝!?」
「次、何時から!?」
姫心「三十分後」
紅菜「じゃあ、今のうちに席取っとかないと!」
紅菜はそう言うと、観客席の方へ走っていった。
姫心「そんなに人いないから、急ぐ必要ないんだけどな〜」
姫心が苦笑いする。
麗「じゃあ、私たちも行くね」
姫心「うん」
琉々「次も頑張ってね」
「応援してる!」
姫心「ありがとう」
* * *
準決勝。
紅菜「姫心出てきた!」
紅菜が立ち上がる。
紅菜「姫心頑張れー!」
麗「頑張れー!」
麗も続く。
私も少し恥ずかしかったけど。
琉々「姫心、頑張れー!」
自分なりの精一杯の声を出した。
姫心は先鋒。
白の目印をつけている。
相手は赤。
面をつけ。
竹刀を構え。
試合場の中央で対峙した。
主審が手を上げる。
「はじめ!」
試合が始まった。
一瞬で。
体育館の空気が変わった気がした。
二人は竹刀の先を合わせながら。
少しずつ。
少しずつ。
間合いを測っている。
次の瞬間。
姫心が踏み込んだ。
バンッ!
床を強く踏む音。
「メーン!」
鋭い声。
竹刀が相手の面を捉えた。
審判の白い旗が二本上がる。
「一本!」
紅菜「え?」
紅菜が私を見る。
紅菜「なになに!? なにが起きたの?」
琉々「姫心が一本取ったみたい」
紅菜「もう!?」
紅菜の顔が一気に明るくなる。
紅菜「姫心すごい!」
再び。
二人が中央に戻る。
相手選手も攻める。
鋭い踏み込み。
「メーン!」
紅菜が慌てる。
紅菜「うわ! やられた!?」
でも。
旗は上がらない。
琉々「今のは一本じゃないみたい」
麗が感心したように私を見る。
麗「琉々、意外と詳しいねぇ」
琉々「おじいちゃんがテレビで剣道よく見てて」
「ちょっとだけ教えてもらった」
麗「へぇ〜」
「琉々のおじいちゃん、剣道好きだったんだね」
琉々「うん」
そんな話をしている間にも。
試合は続いている。
姫心が一瞬。
相手の動きに反応した。
そして。
「メーン!」
再び踏み込む。
白い旗。
一本。
試合終了。
紅菜が飛び上がる。
紅菜「ね、ね、姫心勝ったよね!?」
琉々「うん」
「二本取ったから勝ったよ」
麗「姫心、すごい強いね」
麗も感心している。
紅菜は急に何かを思い出したように固まった。
紅菜「あ」
琉々「どうしたの?」
紅菜「垂れ幕とのぼり旗」
麗「あ、私もすっかり忘れてた」
紅菜「試合終わっちゃった〜」
紅菜が頭を抱える。
麗「次、決勝だし」
「ちょうどいいんじゃない?」
紅菜「確かに!」
* * *
決勝戦。
観客席にも。
さっきより緊張した空気が漂っていた。
紅菜「なんか緊張してきた」
紅菜が胸に手を当てる。
琉々「私も」
私が言うと、麗が笑った。
麗「試合出てないのに、なんで二人が緊張してるのよ」
その時。
紅菜「あ!」
紅菜が指を差す。
紅菜「姫心出てきた!」
麗が私を見る。
麗「琉々、そっち持って」
琉々「うん」
二人で垂れ幕の両端を持つ。
そこには。
『咲良姫心 必勝!』
大きな文字。
そして。
紅菜が持っているのぼり旗には。
『咲良姫心 参上!』
麗が旗を見る。
麗「それにしても」
「『参上』って、侍じゃないんだから」
紅菜「いいじゃん! こっちの方が強そうでしょ!」
麗「紅菜に任せたのが失敗だったね」
私は試合場を見る。
姫心がこちらに気づいた。
動きが止まる。
垂れ幕。
のぼり旗。
私たち。
姫心の顔が。
分かりやすいくらい赤くなった。
隣にいた剣道部の先輩が何か言っている。
姫心は私たちから目を逸らした。
琉々「姫心に後で怒られそう」
紅菜「大丈夫!」
「これで気合い入ったはず!」
どこからその自信が来るんだろう。
* * *
決勝が始まった。
姫心は白。
相手は赤。
「はじめ!」
開始直後。
姫心が素早く踏み込む。
「メーン!」
乾いた音。
白い旗が上がった。
「一本!」
紅菜「やったー!」
紅菜が大喜びする。
麗「姫心、一本取ったね!」
でも。
決勝の相手も強かった。
簡単には攻めさせてくれない。
お互いに間合いを詰め。
離れ。
竹刀が激しくぶつかる。
時間が経つにつれて。
紅菜も麗も。
私も。
いつの間にか黙って試合を見つめていた。
その時。
観客席の少し離れた場所から。
声が響いた。
「咲良ー!」
「頑張れー!」
聞き覚えのある声。
琉々「え?」
見ると。
悠真が立っていた。
姫心も気づいたらしい。
ほんの一瞬だけ。
試合場の外へ視線が動く。
姫心(なんで悠真が?)
次の瞬間。
相手が踏み込んでくる。
姫心はすぐに正面へ向き直った。
その後。
試合はさらに激しくなった。
姫心も攻める。
相手も攻める。
その中で。
相手選手が一瞬の隙を逃さなかった。
「ドー!」
竹刀が姫心の胴を捉える。
赤い旗が上がった。
一本。
これで。
一対一。
紅菜が祈るように両手を握る。
紅菜「姫心……!」
麗も。
私も。
何も言わない。
姫心は一度。
大きく息を吸った。
そして。
ゆっくりと吐く。
姫心(集中集中)
姫心の視線が。
まっすぐ相手だけを捉える。
悠真のことも。
私たちの旗も。
きっと今は見えていない。
また二人が動く。
竹刀がぶつかる。
足音。
気合い。
会場の音が全部。
遠くなったように感じた。
次の瞬間。
相手選手が一気に踏み込んだ。
「メーン!」
鋭い音。
赤い旗が上がった。
一本。
二本。
試合終了。
紅菜が小さく息を吐く。
紅菜「あ〜……負けちゃった」
麗「惜しかったね」
琉々「相手の選手、強かったよね」
紅菜「うん」
麗も頷く。
紅菜が隣を見ると、そこに悠真がいた。
紅菜「ちょっと!」
悠真「何だよ」
紅菜「あんたが一生懸命応援しないから、姫心負けちゃったじゃない!」
悠真「は?」
「俺のせいにすんなよ」
「むしろ、お前の意味分かんない、のぼり旗のせいで集中できなかったんだろ」
紅菜「は〜!?」
紅菜「この旗のおかげで、最初の一本取れたんだから!」
悠真「根拠ゼロだろ」
紅菜「気持ちの問題なの!」
悠真「はいはい」
「私がわる〜ございました」
紅菜の眉がぴくっと動く。
紅菜「なんか、その言い方すごいムカつく」
試合場の姫心がこちらを見た。
たぶん、二人の声が、姫心のところまで聞こえてる。
姫心の顔には。
「もう……」
と書いてあるように見えた。
結果。
清杜高校は、準優勝となった。
* * *
試合後。
体育館の出口近くで、私たちは姫心を待っていた。
紅菜「姫心〜!」
「こっちこっち!」
紅菜が大きく手を振る。
麗「お疲れ〜」
琉々「試合、惜しかったね」
姫心はスポーツバッグを肩にかけながら。
大きく息を吐いた。
姫心「はぁ〜、疲れた〜」
少し間を置いて。
姫心「みんな応援してくれたのに」
「負けちゃって、ごめん」
麗「何言ってるの」
「姫心、めちゃくちゃカッコよかったよ!」
琉々「うん」
「本当にカッコよかった」
紅菜「準優勝だよ?」
「十分すごいよ!」
紅菜もそう言いながら。
手刀で竹刀を持ったふりをする。
紅菜「メーン!」
「ドー!」
姫心「紅菜」
姫心が冷たい目で見る。
紅菜「はい」
紅菜がすぐにやめる。
姫心は少し俯いた。
姫心「……悔しいけど」
「みんなが来てくれたの」
「嬉しかった」
姫心が少し笑った。
姫心「ただし」
「次から、あの旗は絶対禁止」
紅菜「え〜! カッコよかったじゃん!」
姫心「『参上!』のどこがカッコいいの!」
紅菜「侍っぽい!」
姫心「私は侍じゃない!」
姫心がふと思い出したように。
「…そういえば」
姫心が辺りを見回す。
姫心「悠真も来てた?」
麗「うん」
「私が誘ったの」
紅菜「麗が?」
紅菜が驚く。
麗「ちょうど暇だって言ってたから」
琉々「でも、先に帰っちゃったけどね」
紅菜が腕を組む。
紅菜「そうそう」
「あいつ、うるさいから先に帰したの」
麗「紅菜が勝手に追い返したんでしょ」
姫心「…そっか」
姫心はちょっと寂しそうだった。
* * *
体育館を出る頃には、日が沈みかけていた。
紅菜がお腹を押さえる。
紅菜「なんか声出しすぎて、お腹空いた〜」
「帰り、どっか食べに行こうよ」
麗「私、ハンバーグ」
琉々「私はパスタかな」
紅菜「私はカレー!」
三人の視線が。
姫心に集まる。
姫心は少し考えて。
姫心「今日はラーメンの気分…かな?」
麗「え?」
「姫心がラーメンって、珍しいね」
姫心は苦笑する。
姫心「今日くらい、がっつり食べたい」
紅菜「よし!」
「今日はみんなでラーメンだ!」
麗と私も頷いた。
紅菜「そういえば、体育館来る途中に、美味しそうなラーメン屋さんあったんだよね!」
麗「へぇ〜」
「何ラーメン?」
紅菜は少し考えた。
紅菜「あ」
「ラーメンじゃなくて、つけ麺だった」
姫心「もう!」
姫心が吹き出す。
私たちも。
一緒に笑った。
今日。
姫心は最後負けた。
でも。
竹刀を握って戦う姫心も。
悔しそうに唇を噛む姫心も。
姫心「応援してくれて嬉しかった」
そう言って笑う姫心も。
全部。
今まで知らなかった姫心だった。
神社部に入って。
一緒にいる時間が増えても。
まだ。
知らない顔がたくさんある。
きっと。
紅菜にも。
麗にも。
そして。
私にも。
だから。
こうやって。
少しずつ。
知っていけたらいい。
私たちは笑いながら。
夕暮れの道を。
四人並んで歩いて帰った。




