カレー100食が当日キャンセル
〜早朝・潮崎町〜
早朝――。
私たちは、お弁当の準備のために双子の家へ向かっていた。
潮崎町の海沿いを、自転車で走る。
海風が肌寒く、潮の香りが鼻を抜ける。
前を走っていた紅菜が、振り向いて言った。
紅菜「今日もカレー日和だね!」
姫心「何それ?」
紅菜「カレーが美味しく食べられる日!」
姫心「紅菜は毎日カレー日和でしょ」
麗が、それを見て笑う。
私も、そのやり取りを聞きながら――。
笑ってた。
* * *
家に着くと――。
すでに航一と湊一が、準備を進めていた。
紅菜「おはようございまーす!」
玄関の前で、元気よく声を上げる。
するとすぐに、湊一が顔を出した。
湊一「おう。朝から悪いね」
紅菜「全然です!」
「私たち神社部なんで!」
姫心「神社部、関係ないでしょ」
姫心が、小さく突っ込む。
湊一が笑いながら、4人を中へ案内した。
* * *
家の中に入ると――。
すぐにスパイスの香りが広がった。
玉ねぎの、甘い匂い。
炒めた肉の、香ばしい匂い。
潮崎シーフードカレーの――。
あの、食欲を刺激する香り。
キッチンでは、航一が大きな鍋をかき混ぜていた。
航一「おはよう。来てくれてありがとう」
紅菜「おはようございます!」
私たちも続けて、頭を下げた。
テーブルの上には――。
黒い弁当容器が、ずらりと並んでいる。
その数に、思わず息をのんだ。
琉々「すごい数……」
湊一「百個だからね」
航一「午前中に詰めて、昼前に届ける予定なんだ」
姫心「じゃあ、時間との勝負ですね」
湊一「そういうこと」
湊一が容器を一つ手に取った。
湊一「まずご飯を入れる」
「そのあとカレー」
「最後に付け合わせの野菜を乗せて完成」
紅菜「わかりました!」
元気よく、手を上げて答えた。
紅菜「私、ご飯係やります!」
麗「じゃあ私は容器を並べるね」
姫心「私はカレー盛り付けます」
少し迷ってから――。
琉々「私は……野菜を盛り付けて蓋を閉めます」
航一。
湊一。
「助かる」
二人が、声を揃えて微笑んだ。
* * *
それぞれの持ち場について――。
作業が始まった。
ご飯をよそう音。
容器の蓋を重ねる音。
カレーを注ぐ音。
スパイスの匂いが、部屋いっぱいに広がっていく。
紅菜は、最初から全力だった。
紅菜「はい、ご飯入りました!」
「次お願いします!」
姫心「紅菜、ちゃんと測ってる?」
「少し多くない?」
紅菜「え? 測ってないけど」
姫心「ちゃんと測ってよ」
紅菜「姫心、細かい」
姫心「いや、紅菜がいい加減過ぎる」
麗「はいはい、喧嘩しない」
容器を並べながら、麗が言う。
麗「ちゃんと測ってね、紅菜」
紅菜「は〜い」
姫心「なんで、麗の言葉は聞くのよ」
私は三人のやり取りを見て――。
笑ってた。
紅菜「こういう流れ作業って、なんか文化祭みたいでいいねぇ」
琉々「確かに」
野菜を盛り付けながら、頷く。
* * *
航一と湊一は、手際よく動いている。
双子なのに――。
動き方は、少し違う。
航一は素早く動きながら、どんどん作業を進めている。
湊一はこちらを気にしながら、丁寧に仕事をこなしている。
でも不思議と――。
二人の呼吸は、合っていた。
姫心「九十六」
確認しながら、数える。
麗「九十七」
蓋を閉める。
紅菜「九十八!」
嬉しそうに言う。
あと少しで、終わる。
そう思った時だった――。
プルルルル。
湊一のスマホが、鳴った。
湊一「はい、やみつき潮崎シーフードカレーです」
最初は、普通の声だった。
でもすぐに――。
表情が、変わった。
湊一「え?」
手が、止まる。
「いや、もう作ってますけど」
声が、少し硬くなる。
私たちも自然と、作業の手を止めた。
湊一「ちょっと待ってください」
「今さら全部キャンセルって――」
空気が、変わる。
航一が、鍋の火を弱めた。
湊一「契約っていうか……昨日の夜に最終確認もしましたよね?」
「いや、だから、こっちはもう材料も仕込みも――」
少し、沈黙。
そして。
湊一「……もしもし?」
スマホを見る。
「切られた」
低い声だった。
航一「どうした?」
湊一は、しばらく黙っていた。
握ったスマホが、小さく震えている。
湊一「百個」
「全部キャンセルだって」
誰も、声を出さなかった。
さっきまで賑やかだった部屋が――。
急に、静かになる。
紅菜も。
麗も。
姫心も。
私も。
目の前に並ぶ、たくさんのカレー弁当を見た。
百個。
全部。
* * *
航一「もう一度、俺が電話してみる」
自分のスマホを取り出す。
湊一が番号を見せる。
航一が、電話をかけた。
でも――。
航一「……つながらない」
もう一度、かける。
また。
航一「着信拒否だな」
静かに、言った。
湊一が拳を握りしめる。
湊一「ふざけんなよ……」
その声は怒っているのに――。
どこか、悔しそうだった。
湊一「百食だぞ」
「こっちは朝から仕込んで、みんなにも手伝ってもらって」
航一「湊一」
短く、止める。
航一「怒っても、何も解決しない」
湊一「分かってるよ!」
声を荒げる。
でもすぐに――。
唇を噛んで、俯いた。
航一も――。
黙って、弁当を見つめる。
キッチンカーで売る分のカレーは、別にある。
つまりこの百個は――。
完全に、余ってしまう。
航一「今日のランチ営業で出すとしても」
「明日まで持たせるのも難しい」
紅菜「じゃあ……余ったのは……」
航一「捨てるしかないな……」
誰も、答えられなかった。
その言葉が――。
一番、重かった。
せっかく作ったカレー。
朝から準備したお弁当。
航一と湊一が、大事に作ったもの。
それが、捨てられる。
胸が、きゅっと痛くなった。
* * *
紅菜は、並んだ百個のお弁当を見つめた。
紅菜「こんなに美味しいのに」
「捨てるなんて嫌」
紅菜が、ゆっくり手を上げた。
紅菜「私、売るの手伝います!」
航一と湊一が、紅菜を見る。
紅菜「せっかく作ったのに、捨てたくないです」
「美味しいカレー、みんなに食べてもらいたいです」
「だから、私たちで売ります!」
麗が、すぐに頷いた。
麗「私たちで手伝います」
姫心「百食全部は難しくても」
「何もしないよりはいいです」
私は、力強く頷いた。
湊一が、驚いたように私たちを見る。
航一は――。
一度目を伏せてから、深く頭を下げた。
航一「ありがとう」
湊一も、少し悔しそうな顔のまま、頭を下げる。
湊一「本当に助かる」
でもすぐに――。
苦笑した。
湊一「でもさすがに、百食売るのは難しいんじゃないか?」
その言葉に、また空気が重くなる。
航一が、少し考え込んだ。
……
五秒ほど沈黙。
航一「……いや、配ろう」
湊一「え?」
航一「余って捨てるくらいなら、無料で配った方がいい」
「食べてもらえればカレーは無駄にならない」
湊一「でも、それじゃ赤字だろ」
航一「もう赤字は出てる」
「ものは考えようだ」
「宣伝費だと思えばいい」
湊一「確かに」
「ピンチはチャンスだな!」
湊一も、それを聞いて笑う。
その瞬間――。
麗が、手を上げた。
麗「私、お母さんに言って、お店に置いてもらいます」
紅菜「甘味処たまゆり?」
麗「うん。常連さんもいるし、何個かなら配れるかも」
姫心「私もお寺で配れるように、お父さんに相談してみる」
「妙光寺なら、近所の人も来るし」
紅菜が腕を組む。
紅菜「じゃあ私と琉々は、どこで配ろう……」
少し、考えた。
そして――。
ふと浮かんだ場所を、口にした。
琉々「天嶽神社で配るのは……どう?」
三人が、こちらを見る。
琉々「神社なら――」
「お参りに来た人にも、食べてもらえるかもしれないし」
「掃除の時に来てくれた、おばあちゃんみたいに」
紅菜の顔が、ぱっと明るくなった。
紅菜「いいね!」
「天嶽神社でカレー無料配布!」
麗「それならSNSで告知するね!」
スマホを開きながら、麗が言う。
麗「今から投稿すれば、近所の人も来てくれるかも」
姫心「配布場所を分けよう」
「たまゆり、妙光寺、天嶽神社」
「三か所なら、百食でも少しは捌ける」
紅菜「少しじゃなくて全部!」
拳を握る。
紅菜「絶対に全部食べてもらう!」
航一と湊一が、顔を見合わせる。
そして二人で――。
私たちに向かって、手を合わせた。
航一「ありがとう」
湊一「本当に助かる」
紅菜が、にっと笑う。
紅菜「神社部に任せてください!」
「こういう時のための、地域密着型部活です!」
姫心「そんな部活だったっけ?」
紅菜「今なった!」
即答する、紅菜。
麗が笑う。
私も、少しだけ笑った。
重かった空気が――。
少しずつ、動き出す。
* * *
そこからは、早かった。
お弁当を、数ごとに分ける。
たまゆり用。
妙光寺用。
天嶽神社用。
持ち運びやすいように、袋に詰める。
自転車のカゴに入れて、荷台に括り付けて。
航一「重いから、無理するな」
「坂道は押していけよ」
何度も、確認してくれる。
湊一「落とすなよ」
「あと転ぶなよ」
紅菜「それ、心配してくれてる?」
湊一「してるよ」
少し照れたように、笑った。
麗「投稿できたよ」
スマホを見ながら、言う。
画面には、神社部のアカウント。
〝本日限定 潮崎シーフードカレー弁当を無料配布します〟
〝食品ロスを防ぐため、ぜひ受け取りに来てください〟
〝場所・天嶽神社 ・甘味処たまゆり ・妙光寺〟
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そして、もう一つ。
麗「反応早いかも」
目を丸くする。
紅菜「よし!」
自転車にまたがる。
紅菜「行こう!」
姫心が頷く。
麗も、荷物を確認する。
自転車のカゴに入った弁当を、見る。
温かいカレーの香りが――。
ふわっと、上がった。
百個のカレー弁当。
捨てられるはずだったもの。
でも今は――。
誰かのところへ、向かおうとしている。
紅菜「絶対に無駄にしない」
その言葉に、私たちは頷いた。
紅菜「じゃあ行こう!」
四人が一斉に、ペダルを踏み込む。
潮崎の道を抜けて――。
商店街へ。
お寺へ。
神社へ。
それぞれの場所へ向かって、私たちは走り出した。
(百食)
(全部、誰かに届けるために)
(きっと大丈夫)
(私たちなら――)
そう信じて、ペダルを踏んだ。




