覚悟の顔
誓断輪廻 転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』
カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称
玩狗 転生者、転移者たちの総称
十の牙 デケンティス
この世界でカニスに与えられている10の種族名
背筋が凍る。
身体中から逃げたいという信号が駆け巡り、理性でそれを何とか押さえ込んでいるせいで、頭が割れそうなくらい痛い。
見たくない。
母が泣き崩れる姿を…苦しむ顔を。
それを見るくらいならいっそ…罵声を浴びせられた方が楽だとすら思えた。
だが、母が俺たちを見つけた時の反応は、俺の想像していたものとは違った。
目を見開き、顔が青ざめ、驚愕で歪んだと思ったら、すぐに頭を振り、目を閉じ、静かに顔を伏せた。
そして俺に、ゆっくり近づき、小さな声で、
「ごめんね。シアン…」
とだけ言われた。
その一言で頭の痛みは嘘みたいに消えた。
というよりも、おそらく痛みなど気にならなくなるほどの衝撃が襲い、頭の中から抜け落ちたのかもしれない。
なぜ母である彼女が、謝罪してきたのか、俺にはしばらく理解できなかった。
泣き喚き、何があったのか詮索され、なぜその場にいなかったのか問い詰められた方が、人間らしい反応だと思えた。
だが母が口にした二言目で、何が言いたかったのか理解ができた。
「こんな辛い役、やらせちゃって…」
母はおそらく覚悟をしていたのだろう。
父、マットがいつか死んでしまう日が来ることを、常日頃から。
それがわかって、今まで力を入れ、押さえ込んでいた涙も、足の力も抜け、また泣き崩れてしまった。
「あぅ…ぁ、あの…ごめん…なグスッ…ごめ…んなさい…」
ふと気づくと俺はマットを抱きかかえながら彼の胸に顔を押し付け、泣きじゃくっていた。
涙と鼻水で、マットの胸を汚してしまったが、その胸からは何の反応も返ってこなくて、また泣いてしまった。
「なんでシアンが謝るの?シアンは何も悪くないでしょ?」
一番泣きたいはずの母が泣かずに俺を支えてくれている。
情けない。
二度目の人生を経験しているはずなのに俺は、どこまでも弱い。
それに比べて、母親とはこれほどまでに強いのか…。
それともこの人が特別なのか…今の俺にはわからないが、愛する人の遺体の前でも、気をしっかり保ち、息子を慰めてくれるこの人のことを本気ですごいと思った。
泣いたっていいはずなのに、弱さを見せない。
だがその姿に、無理して強がっているような仕草も見えない。
おそらくこれが覚悟の違いか。
俺は何にも覚悟ができていなかった。
元々持っていなかった幸せが、失われるとこんなにも辛いのかと痛感する。
前の世界で育ててくれた爺ちゃんが死んだ時も、グラン爺ちゃんが死んだ時も苦しかったが心の準備や諦めができた。
こんなに失うのが辛いのなら、もう幸せなんて持たない方がいいのではないかとも思えてくる。
だけど…
俺の頭を無言で抱きしめ、撫でてくれるこの人の優しくも震えた手つきから何となくわかる。
失うことはとても辛い。
それはこの人だって変わらないだろう。
だけど今、目の前には大切な守るべきものがあり、俺が壊れないようにする方が大切だからこの人は強く立ち振る舞えるんだろう。
それを理解し、また泣いた。
この人の強さと、己の未熟さが悔しくて。
それからの数日はあっという間だった。
誰もが悲しみにくれ、塞ぎ込むように喪に服すのかと思ったが、皆それぞれやるべきことがある。
父とドルゴさんの遺体は、何の滞りもなく、すぐに火葬が行われた。
父と恩人が共に焼かれ、灰になるまでの間、俺はその場を離れずに呆然と見送っていた。
違う場所で生まれた、違う種族であれど、この世界から肉体が消える瞬間は同じで、誰しも最後は土に帰る。
『死こそ生き物に与えられた平等』なんて悪役がたまに言っているイメージがあったが、まさしくそうだと思った。
だが、死に別れ、残されたものの心に残るものは、同じではないのかもしれない。
まだ小さいシノンは何をされているのか理解ができなかったのであろう。
父が燃やされている時には大人しかったが、いつまでも家に帰ってこないことが不安になり、毎日泣きじゃくっていた。
妹のソラも、強がってはいるものの部屋にこもり、啜り泣く声が毎日聞こえる。
父の死に、悲しむ妹たちだが、妹たちの口から出てくる名前は父の名前だけ。
同じ地に住んで、たくさんお世話になっていたはずなのに、繋がりはそこまでなかったからなのかもしれない。
やはり悲しみの受け止め方は、人それぞれ違う。
逆にドルゴさんの仲間である、ドワーフやグレーターさんたちは父の死よりも、ドルゴさんに向けての悲しみと涙を流している。
繋がりが深ければ、悲しみの深みも増す。
俺は両者に、とても可愛がってもらった。
父マットには、この地に来る前からたくさん期待してもらっていたのを感じた。
ドルゴさんにはこの地でたくさんのことを教わり、任されてきた。
この悲しみが、その繋がりの証拠なのかと思うと苦しかったが、この苦しみがなければ、あの二人との繋がりも感じられなかったのかと思うと、とても切ない気持ちになった。
これから俺はどうすればいいのだろう?
これ以上悲しみたくないなら、もう繋がりを増やすことはやめた方がいい。
今ある大切な人だけを守ることに尽力を注ぐべきだ。
ならこの村で引きこもり続けた方が、悲しみを増やさない最善の方法かもしれない。
だが、次にまた敵が攻めてきた時、俺らはどうする?
俺に何ができる?
今回の敗因はわかっている。
敵のことをよく知らなかったからだ。
自分たちと同じ種族を奴隷のように使うことすら想像できなかった俺たちが、子供という少年兵を表に出され面を喰らい、後手に回ることしかできなかった。
子供達に攻撃してはいけないという倫理が、俺たちの足を引っ張った。
そしてそれを即座に仲間に伝達しなかったことが致命的だった。
今回も自分で何とかできるんじゃないかという自惚れが俺にはあったと思う。
正直言うと、もう自信がない。
誰かに頼られるのも、頼るのも、二度としたくないと思ってしまう。
だからこれからのことは、仲間みんなが考えたことに従うだけの方が楽でいい。
何か妙案を思いついたとしても、誰かの失敗で仲間が死ねば、その責任は考えた者の背中に押しかかる。
俺にはもうその荷は重すぎて背負えない。
だから…もうこのまま大人しくしていこう。
そう思った。
この数日、アンナは家に戻らなかった。
この家に帰ることが怖いのだろう。
ずっと自分を責め、俺に謝っていたが、それも疲れてしまったのかもしれない。
俺に限らず、家族でアンナを責めようとするものなんて誰もいない。
だから気にしないでいいと思うが、アンナの立場なら俺も逃げ出したくなるから、探したりはしない。
もうこの家には帰ってこないのだろうかと心配していた日の深夜。
家の扉をコンコンっと誰かが叩いている。
扉を開けると、そこには数日ぶりのアンナの姿があった。
シノンもソラも泣き疲れてすでに眠っている。
カーネは「ようやく帰ってきたんだね」と本当の娘のように招き入れる。
俺は何となく、アンナの雰囲気でこれから話すことを察することができた。
「カーネさん…それにシアン…まずはごめんなさい」
深々と頭を下げる。
アンナの髪はボサボサだった。
一見すると見窄らしくも見えたが、その姿勢は凛としていた。
父が死んだ時に見せた、弱々しい姿はもうアンナには見られない。
誠心誠意、気持ちを込めた本気の謝罪を感じた。
そして…
「話さないといけないことがあるんです」
顔を上げた彼女の顔つきもまた、覚悟したものを感じた。




