心の底
誓断輪廻 転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』
カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称
玩狗 転生者、転移者たちの総称
十の牙 デケンティス
この世界でカニスに与えられている10の種族名
もう何も考えたくない。
考えてもいい結果にならないなら、考えることが無意味に思えてくる。
結局そうなんだ。
負け組は努力しても負け組で、ずっと地を這いずり回るしかない。
それなら、無駄に足掻くよりも、大人しくしていたほうが苦しまなくて済む。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
誰かが謝っている。
普段なら誰の声か、すぐわかるのに、頭の中がぐちゃぐちゃで誰が謝っているのかわからない。
「私がいなければ、こんなことにならなかった…私がいなければ…」
その人物は消え入りそうな声で、自分を責め続けている。
誰が悪いかなんて、正直今はどうでもいい。
それよりも、父から反応が何一つ返ってこないのがとても苦しい。
普段なら、寝ていてもすぐに起き上がり、その大きな手で不器用に頭を撫でてくれるのに、何も返してくれない。
仲間が死んでいるのを見るのは初めてではない。
プリムス村が襲われた時、いくつもの死体を目にしている。
だけどあの時は余裕がなく、実感が湧かなかった。
人が死ぬということがどういうことなのか。
もう、何もないんだ。
死んだ人との繋がりは。
過去のことで、今はもう…どれだけ手を伸ばしても、相手からの返事がない。
断絶しているんだ。
それは俺だけじゃない。
父には、仲間がいて、家族がいて、そして…愛する人がいる。
その繋がりが今途絶えたことを、みんなに報告しなければならない。
それがとても怖い。
何よりも、母にこのことを報告しなければならないことが本当に怖い。
二人がお互いを愛し、支え合っている姿を俺は何度も、何度も見てきた。
温かい家族にはまず、こういう夫婦が必要なんだろうと、何度も噛み締めてきた。
その二人が今、永遠に引き裂かれてしまった。
そしたら母は、どんな顔をするか。
そんなことは想像に容易い。
昔から二人に何かあったらどちらかが悲しむのではないかと想像はしていた。
だがそれが現実のものになってしまった。
現実で、彼女のその顔と向き合うのが何よりも怖い。
正直に言えば、もうこの場から逃げ出したい。
こんな辛い思い背負い切れない。
…だけど今逃げ出せば、俺はもう二度と家族というものを手にする資格はなくなる。
前の世界では欲しくてもなかった家族が、この世界でようやく手に入ったのに。
辛いから、もういらないと逃げた男に、誰が寄り添ってくれる?
そう考えると頭が割れるように痛い。
年甲斐もなく、嗚咽が出るほどの涙が流れ、止まる気配がない。
「シアン…」
そんな時、誰かが俺の頭を抱きしめてくれる。
それは先ほどの謝罪の声とは別の声。
頭を撫でてくれるわけでもなく、ただ抱きしめて、何も語りかけてこない。
ただ寄り添うように温もりをくれる。
それがありがたかった。
割れるように痛かった頭がだんだん和らいできたのを感じた。
そのおかげでようやく、少しだけ冷静に考えることができた。
父は俺を息子として本当に愛してくれていた。
だから怖くても、報告することから逃げることは許されない。
息子としてたくさん愛してもらった以上、その役目は果たさなければならない。
下を向くのをやめ、顔を上げた時、ようやく誰が俺に謝っているのか、誰が俺を抱きしめてくれているのかがわかった。
マコト「……」
アンナ「ごめんなさい…ごめんなさい…」
抱きしめてくれていたのはマコトで、俺の前には下を向き、消えてしまいそうなくらい小さくなり、つぶやくように謝罪しているアンナがいた。
その姿を見て、彼女の申し訳なさが伝わってくる。
アンナが悪いわけじゃない。
アンナだっていきなり襲われただけの被害者だ。
だが、アンナはそうは思わないのだろう。
渦中の中には自分がいて、その渦に巻き込まれた仲間がいる。
もし俺がアンナの立場なら、同じように罪悪感に殺されそうになってしまうと思う。
マットを失った悲しみを彼女になすりつけるわけにはいかない。
そうしたくなる気持ちはわかる。
だけどなすりつけられた側の気持ちを考えると、それはただの八つ当たりだ。
今八つ当たりなどしたら、本気でアンナを追い込みかねない。
だから涙を必死に拭い、情けない顔を晒しているのを自覚しながらも強がって。
「アンナが悪いわけじゃない。襲ってきた奴が悪いんだ…」
と言葉を振り絞る。
もう自分の声が自分だと認識できないくらい、しゃがれて弱々しくなっているのを感じた。
ついてた膝をあげ、立ち上がり、動かなくなった父の体を持ち上げる。
重い。
力が完全に抜けた体とはこんなにも重いのか。
昔、何度も父に抱き上げてもらった。
力強く、安心感のある父に抱き上げられるのは好きだった。
その体が、今は何の力も感じず、ただの重みにしかなっていない。
もし、父が老後まで生きたら、この重みも違ったのかもしれないと思うと、心がとても苦しくなった。
父を抱き上げながら坑道の中に入る。
坑道の中にもいくつかの人間の死体が転がっていた。
本当なら、卒倒しかねない風景なのに、今は何とも思わない。
愛する人の死と、襲ってきたものの死。
同じ死であるはずなのに、こんなにも価値が違うのかと思うと残酷だと思った。
いや、そもそも『価値』などと考えている時点で俺の思考はかなり残酷だ。
そしてその瞬間、愛というものが何なのか理解した。
ああ、そうか。
愛するものが亡くなるとこんなにも辛い。
この辛さが愛なのかもしれない。
ここに転がる死体に何の感情も湧かないのは、当たり前で。
今抱き上げている、父の遺体がこんなにも重く感じるのが愛という感情なのかもしれない。
そう考えたら、また苦しくなった。
いつこの苦しみは晴れるのだろうか?
愛している限り、苦しみ続けるのだろうか?
じゃあ、苦しみがなくなったら?愛は無くなってしまうのだろうか?
そんなことを考えながら進んでいると、カニキュラに繋がる一番大きい通り道の様子がおかしかった。
「シアン!おまえ無事…だ…」
話しかけてくれたのはグレーターさんだった。
だが、俺の腕の中で眠る父の姿を見て、何が起きたのか察したのか言葉を失っている。
その顔を見て、これから何度も同じような反応を見なくちゃならないのかと思うとまた苦しくなった。
「………すみません」
何について謝ったのか自分でも理解できない。
ただ頭の中になかった言葉が口から勝手に出ていた。
グレーターさんと沈黙で包まれる中、奥の方からいくつもの啜り泣く声が聞こえた。
「ドルゴ…」「死んじゃヤダ…」「くそ…くそ…」
その啜り泣きだけで何が起きたのか察した。
全員無事に済むわけない。期待なんて持たない。
と心に決めていたが、今の俺にはかなり堪える事実が降りかかり、また苦しくなった。
「何が…どうなったか…教えてもらえますか?」
本当は聞きたくない。聞いたってもう安心できることなんてないんだから、聞かないほうがいい。
心はもう耐えられないと叫んでいるのに…
だけど、その気持ちとは裏腹に口がなぜか勝手に動く。
グレーター「ドルゴが死んだ…あと…さっきまでロドルフォが生き埋めになっていた。一応意識不明だが生きてはいる」
ドルゴさんが死に…?ロドルフォさんが意識不明の重体?
この村を支える三本の大黒柱が崩れたのかと思うと、苦しみよりも力が入らなくなっていくのを感じる。
でも俺の腕の中には大切な人が眠っている。
崩れ落ちそうなのを必死に耐え、下を向きながらも何とか立つことができている。
報告してくれたグレーターさんも苦しそうな顔をしている。
いや、そもそも…誰一人として平気そうな顔をしていない。
グレーター「こんなこと言いたくねえけど。ロドルフォが捨て身で道を閉鎖してなかったら、今頃村にまで被害が及んでいた。あのおっさんがやったのは無茶苦茶だけど…そのおかげで助かったところは大きい」
村に被害が及んでいない。
その言葉だけが唯一、安心できる言葉だった。
これでもっと被害が大きかったら、多分もう…耐えられない。
「………ありがとう…ございます」
そう返すのが精一杯。
俺だけが辛いわけじゃない。
みんな辛いんだとわかっていても、このどん底の気持ちは浮き上がらない。
もう本当に何も考えたくない。このまま村に戻りたくないと思っても足は進む。
そして…。
カニキュラに繋がる坂道で、祈るように両手を合わせ、一人ポツンと立つ母の姿を見て。
今まで味わったことがないほどの背筋が凍る気配と、逃げ出したい衝動が動悸となり、俺の体を這いずり回るのを感じた。




