3話 プロポーズをもう一度
優吾が案内されたのは、朱塗りの柱が屋根を支え、四方に壁がない開放的な場所だった。ヒガナによると、ここは舞殿というらしい。本来なら神様に舞や神楽を奉納する場所らしいが、ヒガナは読書スポットとして活用しているのだという。
舞殿の中央には座布団と長方形の小机が置かれているので、実際そうなのだろう。
ヒガナは、お茶を入れてくると言って一度席を外した。必然的に、優吾と黒髪の彼女の二人きりになるわけだが、先ほどから一言も会話はない。勝手に進めて怒っているというわけでもなさそうだし、先ほどのように困惑しているわけでもない。黒髪の彼女はスマホを持ってただ立っている。
優吾もまた、表には出さないようにしているが、内心とても焦っていた。先ほど、ヒガナの望みをかなえてやると大口をたたいたはいいものの、具体的な手段は一切頭に浮かんでこない。というか、優吾は怪異が見えるだけで、怪異についての知識はネットで調べられる程度のものしかない。
なんなら、怪異という呼び名が正しいのかすら怪しい。ヒガナが突っ込まなかったので、意味は伝わっているのだろうが。
「ねぇ、これからどうするつもりなの?」
黒髪の彼女はこちらに顔を向ける。
表情からは何も読み取れない。
「えっと……」
「……そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は砥上一花。高校二年生。一花でいいわ」
先輩だったのか。
「じゃあ、一花先輩で。すみません。勢いで突っ走ったので、具体的な方法とかは何も思いついてません」
とりあえず、考えなしに動いたことを謝る。あの発言に後悔こそしていないが、先輩を巻き込む結果になってしまった。
「はぁ……いえ、止めなかった私が悪いわね。ごめんなさい、子泣き爺に襲われているところから見ていたのだけど、あなたが味方なのか確証が持てなくて。こんなことに……」
「いえ! 気にしないでください」
もしかしたら、剣で切られてしまう未来もあったのかもしれない。そう思うと、背筋が少し寒くなってきた気がする。
「一応、あなたが無事に帰れるよう最善を尽くすわ」
「ありがとうございます」
知識人の協力を得られたのは大きい。先ほどまでの会話からして何か知っているのは確実だ。とても頼りになる。
「なに仲良さそうにしてるの」
少し不機嫌そうに言ったのは、お盆に三人分の湯飲みを載せて運んできたヒガナ。
「いや、そういうわけじゃないけど」
「ふーん。まあいいよ。逃げなかったみたいだし。はいお茶」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
ヒガナは、お盆を机に置いて、どこからか持ってきた二人分の座布団を差し出してきた。中央の小机を境に、ヒガナと優吾が隣に、一花が対面に座る。
「それで? どうするの?」
その問いの意味は、どうすればヒガナが外に出ても問題にならないか、ということだろう。早速力を借りたい場面が来たので、一花の方に目を向けた。視線の意味を理解したのか、一花は「私からいいでしょうか」とヒガナに尋ね了承を得た。
「興津君は何も知らないようなので、前提から説明したいと思うのですが。その前に、私もヒガナ様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「いいよ」
「では。まず、人間と、幽霊、神様、妖怪なんかの人ならざる怪異との間には、境界線が引かれているの」
「境界線?」
「ええ。あなたには実感がないでしょうけど、普通の人間には怪異の姿は見えないの。だから、今の世の中で妖怪がいるなんて信じられてないでしょう?」
確かに、妖怪の知名度はそこそこあると思うが、実在していると思う人は少ないだろう。
「ただ、昔は怪異と人間の距離がもっと近かった。人間の数が増えていくにしたがって、怪異の噂も増えていって、このままだと人間世界が乗っ取られると危惧した昔の人が、怪異と人間の間に大きな隔たりを作った。それが境界線」
何となく理解した。確かに、平安時代について書かれた書物には、鬼や呪術なんかのオカルトチックな話がたくさん残っている。
「でも、それとヒガナに何の関係が?」
「その境界線を維持するためには、莫大なエネルギーが必要なの。そこで、その境界線を維持するためにヒガナ様がここにおられる必要がある」
「えっと、つまり……」
「ヒガナ様がこの神社の外に出ると、境界線が機能しなくなって、人間と怪異が再び共存する世界になるわね」
「それってまずいですよね」
「ええ。境界線を引いた影響で、怪異に対処する力を持った人間はほとんどいなくなった。さっきの子泣き爺みたいな怪異が出たときになすすべなく殺されるわ」
ディストピアの誕生は望んでいないので、どうにかしないといけない。ヒガナに代わるエネルギー源を用意すればいいのだろうが、そもそもエネルギーが何かすら分かっていない優吾には到底無理な話。
「やっぱりあなたを殺して一緒に暮らせばいいと思うんだけど」
「だめだ」
「じゃあどうするの?」
「……」
優吾はお茶を飲んだ。 独特な香りが鼻を抜け、舌にはわずかな苦みが残る。普段飲んでいる麦茶なんかとは大きく異なる味だったが、結構おいしい。
「どう? 私が淹れたお茶」
「おいしい。でもこれ何茶なんだ?」
「ドクダミ茶。ここで育ててるの」
「へぇ」
「ねぇ、暢気すぎない?」
一花は、優吾にあきれた様子だった。
「すみません。正直なにも思いつかなくて。一花先輩の知恵をお借りしたいです」
「人任せね」とヒガナ。
一花は「案があるわ」と一言。
「……まじですか」
リュックを取り返してもらったり、殺されかけたところを助けてもらったり、今日一日はずっと世話になりっぱなしだ。生きて帰れたら、何かしらをさせてもらおう。
優吾の中で感謝の念が膨れ上がっていることなどつゆ知らず、一花は、一度湯飲みに口をつけ、優吾に問いかけた。
「興津君はさっきの話を聞いて、どうすればいいと思った?」
「ヒガナの代わりになるエネルギー源を用意すれば……と」
「そうね。でも、それが難しいの。境界線を維持するエネルギー、私たちの間では妖力と呼ばれるものだけれど。ヒガナ様の妖力は、他の怪異や呪物なんかとは比べ物にならないほど膨大だから、代わりなんてそうそう見つからない。私もそれについては心当たりはないわ」
「……そうですか」
「ただ、一部なら用意できる」
そう言って、一花は鞘に収めた剣を床に垂直に立てた。
「これなら、ヒガナ様の妖力の十分の一くらいはあると思う。今回はこれを代わりにする」
「え、でも。一花先輩の武器なんじゃ」
優吾は、戸惑いを声に乗せた。
一花について優吾は知らないことだらけだが、剣の使い道くらいは想像できた。鞘の装飾も丁寧で、明らかに高級品だと分かる。そんな重要な物を差し出させてしまっていいのか。
助けてもらう身でわがままを言っているのは自覚しているが、それでも申し訳なく思ってしまう。
「いいのよ。私には過ぎた代物だし」
「ふーん。でも、それじゃ足りなくない?」
「はい。なので、ヒガナ様の残り九割の妖力をここに封印させていただこうかと」
「なるほどね」
二人で進む会話に、取り残された優吾は一花に問う。
「どういうことなんですか? 今もヒガナは封印されているんじゃ?」
「正確には軟禁なのよ。封印っていうのは、完全に封じ込めるものだから。封印したら、外の世界のことは一切関知できなくなるらしいわ」
「じゃあ、力を封印してここに残しておけば、ヒガナは外に出られるってことですか?」
「大体はそうね。ただ、これにもいくつか問題があって、一番大きいのは、距離の問題。残り一割の力を持って外に出たとしても、ある程度の距離になると、離れた妖力がもとに戻ろうとするから、結局ここに戻ってきちゃうのよ」
「ちなみに、距離って言うとどのくらいなんですか?」
「そうね。ヒガナ様クラスになると……一キロくらいかな」
長いようで短い距離。ここの正確な場所が分からないにせよ、一キロじゃ自分の家にすら届かないかもしれない。それに、学校にも届いていないだろう。
最悪ここに住むとしても、学校に行っている間、ヒガナを一人で待たせることになる。それを許してくれるとは思えないし、かといって学校をやめる選択肢はない。
必死に考え込んでいる優吾の手を、ヒガナが包み込む。
「だからね。あなたと私で契約を結ぶの。二人を、決して壊れることのない鎖で結ぶ。神の血を引く私なら、それができる」
「契約?」
「そ。だから、私と夫婦になろうよ。拒否権は……って、するわけないか」




