青年期 2
それから、私は王立学園での時を過ごした。
王太子殿下の婚約者ということは入学前には既に知れ渡っていたから、私はどこに出ても必要以上の敬意と、そして仄かな妬みに出迎えられた。
前世の私が学友たちを虐めることに腐心したのは、もしかするとこうした環境への不満や疲れがそうさせていたのかもしれない。
とはいえ今世の私は相変わらず人を傷つけることができないようで、多少嫌なことがあってもニコニコ笑って、また時には慈愛の心を平民出身の学友たちに振りまいたりもして、殿下の婚約者に相応しい立ち振る舞いをとり続けた。
殿下とは、婚約者らしくしっかりと仲を深めた。
もちろん私は殿下のことを真に愛することはできなかったけれど、思いやりを向けることはいくらでもできた。
いつの間にか殿下は私のことを「エルレシア」と名前で呼ぶようになり、私はお返しに殿下のことを「ディラン様」と親しみを込めて呼ぶようになった。
そんな学園生活以上に、トールを捜すことに熱中した。
いつか公爵領の街でもやっていたように、広い王都の中にトールを捜し回ることが日課となった。
殿下のお力も借りつつ、「トール」という名前だけではなく見た目や性格なんかからも絞り込もうと試みた。
しかし、何百という数の人間と直接顔を合わせても誰も私のことを思い出してはくれなかったし、私の方も強く心揺さぶられることはなかった。
一年が経ち、二年が経ち、三年が経ち。
相変わらず、私の馬車は中年のはげ頭によって操られていた。
そして、ついに卒業の日を迎えた。
最近、私は学園に向かう時間よりも少し早く起きて、手紙を書いていた。
内容は、私の犯す罪の告白。メンツィロム公爵家に多大な迷惑をかけてしまうことへの謝罪。
両親とヴィクター、殿下、学友たち、その他にも私に関わってくれた人々への感謝の言葉。
つまるところ、遺書だ。
これから私は殿下に刃を向ける。
そうすれば、無事に私の婚約は破棄され、あっという間に投獄され、死刑に処されることができる。
ついに私の元に現れてくれなかったトールと出会うための、最後の一手だ。
もし、前世と同じように、牢屋の中に閉じ込められた私をトールが助けに来てくれれば。
私がかつて誓ったように「ありとあらゆるものを与える」ことはできずとも、「どうして私を愛してくれていたのか」という質問を投げかけることだけはできる。
それを聞き遂げた瞬間に、私の生はようやく意味を持つことになる。
失敗するかも知れない、ただの無駄死にになるかも知れない、という恐怖はとうに心の奥底に押し込めた。
私という存在は既に一度どころか二度も終焉を迎えているのだから、そこに三度目が追加されたところで特段の意味はない。
私にとっては、トールの口から答えを聞くことこそ、今世を生きた意味なのだから。
ふと階下が騒がしくなって、私はペンを置いた。
気づけば随分と長くなってしまった遺書はそっと机の棚に隠して、何が起こっているのかを確かめに扉を開ける。
「エルレシア」
そこに、息を切らせた殿下が立っていた。
「ディラン様!?」
「そこをどくんだ、エルレシア」
強引に私の身体を押しのけ、殿下は私の部屋にずかずかと入り込んだ。
「ディラン殿下、どうか、お引き取りくださいまし!」
「殿下!」
廊下からは何人もの叫び声が届き、今起きていることが明らかな異常事態であるのだと伝えてくる。
「ここか」
殿下は何を思ったか、私の書き物机にまっすぐ向かい、そして棚の取っ手に手をかけた。
「っ、やめてください!」
私の制止も虚しく、殿下はそこに収められた何枚にも渡る手紙を手に取り、広げた。
碧い目が紙の上を跳ね回り、ものすごい速さで文字を追っていく。
私は抵抗を諦め、うなだれて殿下の沙汰を待った。
そのときはすぐに訪れた。
「……判決を伝えよう」
低い、低い声が私の部屋の壁を震わせた。
「王太子ディラン・オル=ブラクセンの名の下に、私に対する暗殺を企てた罪人エルレシア・スィア=メンツィロムを終身刑に処する」
終身刑。
それは、私の命を奪わない、という殿下の宣言に他ならなかった。
「エルレシア」
言葉もなく、私は顔を上げた。
すぐ目の前に、殿下の顔があった。
逞しい腕が私の頭を包み、乱暴に唇が奪われる。
接吻は甘い味がするのだと幻想していた。
私の記憶に刻み込まれたのは、わなわなと震える殿下の唇の感触だけ。
「死ぬな」
囁くような声で、殿下は私に懇願した。
私は儚げに笑って、いつかした説明を繰り返そうと試みた。
「トール」
そう口にした瞬間に、殿下は再び私の唇に震える唇を押しつけた。
それ以上は聞きたくない、というかのように。
やがて息ができないでいた私の身体から力が抜けて、そこでようやく殿下は私を解放した。
「卒業式に行こう、エルレシア。それから、パーティーだ。パーティーが終わったら、二人で王宮に帰って、いつまでも話をしよう」
「いつまでもって、いつまでですか」
「終身刑に処する、と僕は言った。いつまでもだ」
そして殿下は私を背負い、歩き始めた。行き先はおそらく学園。
身支度をする時間もない私は、ドレスの中に仕込んでおくはずの短剣を隠し場所に置き去りに。
くらくらする頭のなかに、取り返しの付かない一線を越えてしまった、という事実だけが強く焼き付いていた。




