青年期 1
公爵領に戻る馬車の中、私はただ呆けて景色を眺め続けた。
何もかもを見抜いて、それでなお殿下は婚約を結んでくれた。
恐ろしさと達成感と僅かな幸福感がない交ぜになった、まるで現実味のない感情が私の心を満たしていた。
使者が早馬で知らせを伝えていたようで、私は屋敷に入るなり満面の笑みを浮かべたお母様に出迎えられた。
「ああ、エル、私の愛しい子! 貴女は、本当にこの国のお妃様になるのね!」
「お母様、苦しいです……!」
「誇らしいわ、なんて素晴らしいことなのでしょう! こんな時にあの人ったら、どうして視察なんかしちゃってるのかしら。でも良いわ、私一人でエルを褒めちぎっちゃうんだから!」
顔を真っ赤にした私は一度お母様の大きな胸の中から解放されて、そして呼吸を整える暇もないまま再び抱きしめられた。
「ああ、エル、エル!」
「お、母様……! 苦しい……!」
それからというもの、私の日常は以前にも増して厳しい作法の教育に染め上げられた。
王妃として相応しい立ち振る舞いを叩き込むべく、お母様は私に実に様々な分野の教師を付けてくれた。
前世では、朝起きてから日が沈んでもお授業が終わらない、というような異常事態が我が身に降りかかっていた記憶はない。
お母様は屋敷の人々を虐める私に対して冷ややかな視線を向けていたはずで、愛情の全ては弟のヴィクターに注がれていた。
それが、今世のお母様は私が疲れてしまうほどに私を気にかけてくれている。
それだけ私を買ってくれている、ということなのだろう。
いよいよ前世とは完全に食い違ってしまった日々の中、私はとにかく与えられた課題をこなすことに集中した。
いくら悩んでも仕方ないトールのことで悩む暇すらなかったのは、ある意味では幸せであったのかもしれない。
そして、私は十三歳になった。
王立学園入学の年だ。
「いいかい、エル。学園で変な男に捕まるんじゃないぞ。お前はもう王太子殿下の婚約者なんだからな」
「殿下に会ったら、しっかりばっちりお心を掴むのよ。そのためのテクニックは覚えてるわね?」
「お二人とも、どうしてそんなに別れの言葉が下世話なんですか……」
疲れた声で問い返すと、お父様とお母様は顔を見合わせてどちらからともなく笑いあった。
「だって、なぁ」
「エルは丈夫だし、しっかり者だし、他に心配することなんて何にもないんだもの」
「そうですか……じゃ、じゃあ。お父様、お母様、ヴィクター、それと皆さん。いってきます」
気を取り直して挨拶をして、私は馬車に乗り込んだ。
御者は中年のはげ頭。
「元気でやるんだぞー!」
背後から届いてきたお父様の声に手を振り返して、そして私は馬車の中に首を引っ込めた。
王都の館に馬をつけて色を整え直してから、私はすぐに王宮に出向いた。
数年ぶりの王太子殿下との対面のためだ。
今度は庭ではなく普通の───とはいっても豪華絢爛な───部屋に通されて、入った先にはディラン殿下が待っていた。
「お久しゅうございます、殿下」
「ああ、久しいな、エルレシア。この三年、君のことを思わない日はなかったよ。また会える時を待ちわびていたが、こうして直接目にするとどうして、君は何より美しく見える。まるで雪原の中に気高く咲き誇るブランデのようだ」
まったくらしくない麗句を並べ立てた後に、殿下は「少し二人にしてくれ」と人を払った。
机を介して、二人きりで向かい合う。
「さて、これで面倒な作法は気にしなくて良いかな」
「ぶふっ」
思わず噴き出してしまったのは、きっと私のせいではないだろう。
「改めて、久しぶりだ、エルレシア。息災だったかい」
「はい、殿下。殿下も、お元気でいらっしゃるようで何よりでございます」
「前に君と会ったときより随分と大きくなっただろう」
「ええ。あの時はわたしと背丈も変わらない程度でしたのに、まるで見違えるように逞しくなられて……殿下の腕の筋肉のせいでお服の生地が張り裂けそうですけれど、わたしそんなの今まで見たことがありませんもの。確か、剣を振る殿方は腕の後ろ側が分厚く育つのでしたっけ?」
「ああそうだ、まさかこの凄みを理解してくれるとはな。確かに、剣の稽古は欠かしていない」
お母様直伝の細かすぎる筋肉褒めは見事に殿下のお気に召したようで、殿下はにやりと笑って右腕を掲げ力こぶを作った。
そんな和やかな会話をいくらか続けた後に、殿下が本題に踏み込んできた。
「トールを捜し出す、という君の目的についてだが。どうだい、考えはまとまったのか?」
離れていても婚約関係にあるということで、私と殿下は何度か文で交流を持つ機会を持たされた。
何を書けば良いか悩んで、結果私はトールのことについて自分の散漫な考えをしたためた。
私の夢について一番深く理解してくれている人物は結局の所殿下なのだから、相談する相手としても殿下は一番の適任者だった。
「はい。今日この場を設けていただくようお願いしたのは、まさにそのことについてお話しをさせていただこうと考えたからなのです」
「ああ、そうだろうと思っていたよ」
殿下は机の上で両手を組み、凜々しい眉をひょいと動かした。
「聞こう」
私は準備してきた言葉を頭の中から引っ張り出した。
「昨年のお手紙でお伝えしたとおり、わたしは学園を卒業するまで全力でトールを捜し続けます。そして、卒業するまでに見つけられなかったなら、そこですっぱりと諦めます」
トールが私と同じように生まれ変わったのかも分かっていないのだ。
そんな中でいつまでもトールを捜し続けるのは、はっきり言ってしまえば愚かな行いですらある。
「そのときも訊き返したが、良いのか? 諦める、というのはどうも君らしくない」
「ええ。”夢”は、そこまでしかわたしに教えてくれなかったものですから」
私が頼る前世の記憶は、私が学園を卒業したすぐ後で一切使い物にならなくなる。
区切りを付けるとしたら、その辺りが妥当だろう。
殿下は私の目をじっと見つめた後、ため息を吐いて肩をすくめた。
「まぁ、分かった。それで、学園に通っている間は僕に協力して欲しい、ということだったな。返事をしていなかったが、もちろん手伝おう。他でもない婚約者の頼みなんだ、それくらいはどうということもない」
「心より感謝を申し上げます……早速、一つお願いをさせていただけますか?」
「何だい」
穏やかに笑う殿下に向けて、私も微笑みを返した。
「もし、卒業するまでにトールを見つけることができなかったなら。卒業パーティーの場でわたしたちの婚約を破棄し、わたしを投獄して断頭刑に処してください」
殿下の顔が凍り付いた。
何もかもを見透かす殿下であっても、流石にここまでは予想できなかったに違いない。
「……なるほど、これが君にとっての”諦める”か」
「細かな事情をお伝えすることはできないのですが、既にわたしの計画は大きく元の姿から変わってしまっています。少しでもわたしが”夢”で見た景色に追いつくために、もう他に取れる手がないのです」
「……婚約者であり協力者でもある僕に、言えないことがあるのか」
「はい。申し訳なく思っています」
他に口にできる言葉もなく、私はただ謝ることを選んだ。
殿下は随分と長い時間悩んだ後、「考えておこう」と小さく呟いた。




