幼少期 3
お父様の尽力もあって、公爵令嬢の王太子妃への立候補はすぐに王宮の人間に知れ渡ったらしかった。
もちろん似たような申し出は国中からある上、王家という重要な存在が絡む以上はぽんと結論を出すわけにもいかず、私はしばらくやきもきしながら何が起こるのかを待ちわびることになった。
前世では私の知らないうちに縁談がまとまっていたような記憶がある。初めて認識したときから、王太子殿下は私の婚約者だった。当時既に父親にはうっすら嫌われていたから、私の意思もなにもなく単に政治的な意味合いを持った縁談となっていたのだろう。
とはいえ運命というのはそう簡単に変わる物でもないらしく、二月後に王宮から使者がやってきてこう告げた。
「殿下は立候補者エルレシア・スィア=メンツィロムと相見えんと仰せである。ついては、この者はすぐに王宮に参上するように」
お目通し、ということなのだろう。
この時点で、既に私はほとんどの立候補者よりも有利な立ち位置を得ていることは明白だった。
私は何人かの付き人を伴って即座に王都へと発った。
念のため御者の顔を確認してみたが、そいつは中年のはげ頭だった。
今世では初めて通された王宮の庭は、記憶にある物にも増して華やかに輝いて見えた。
前世ではもう少し大きくなってから通い始めたから、視線が今とは違っていたのかも知れない。
庭のただ中にある白い柱に支えられた屋根の下が、指定された待機場所だった。
私が席についてから茶器や菓子が運ばれてきて、そして一陣の風が吹いた。
その人は風と共に現れた。
「お待ちしておりましたわ、殿下」
私は即座に立ち上がり右足を引き下げ、ドレスのスカートをつまみ上げてカーテシーをした。
「堅苦しい作法は大して好まないが、一応流れ通りに訊いておこう。君は名を何というのかな?」
「エルレシア・スィア=メンツィロムと申します。どうぞ、お見知りおきを」
「お見知りおきも何も、君は僕の婚約者になるっていうんだろう。君のことはもう沢山聞かされたから、かなりよく知っているはずだよ」
記憶通り、茶目っ気のある言葉が返ってきた。
そう、この御方は人情味に溢れた、王族らしからぬ俗っぽいところのある人物なのだ。
公爵令嬢という存在を、ぽっと出の女と天秤にかけて切り捨てられるくらいに。
「はて。困りましたわ、私は殿下に私のことを知っていただくべく、色々なお話しを用意して参りましたのに。それでは私は何をお話しすれば良いというのでしょう」
「話して欲しいことはいくらでもあるさ、例えば───」
そこでやおら殿下は言葉を切って、椅子に座り、足を組んだ。
きりりとした眉が吊り上げられ、澄んだ碧い目を大きく輝かせる。
「僕は”トール”なのかい?」
「っ」
咄嗟には答えられなかった。
「座りたまえよ」と促されて腰を下ろすも、私は全く落ち着くことができなかった。
私が必死に言葉を探している様子を見て、殿下は面白そうに笑う。
「何でも、君は小さい頃にずっと「トールを知っているか」と街中の子供たちに訊いて回っていたというじゃないか。それを諦めた後に、突然僕に結婚を申し込んできた。何か繋がりがあると予想するのは、別におかしなことじゃない。そうだろう?」
下手を打てば、婚約の話はなかったことになりかねない。
それどころか、礼を失したと見なされれば公爵家の評判にも影響が及ぶ。
しかし、言葉通り私のことについてかなりよく知っているらしい殿下の前で、何もかもを秘することは難しいだろうと思われた。
結果、私は「これは、私の見た夢の話なのですけれど」と前置きして、ある程度真実を打ち明けてしまうことにした。
死神と不死鳥の存在、そして魂の循環について、生者は本来知ることを許されない。
だから、私は前世のことを「夢」という言葉で置き換えた。口を滑らせて冥府の王に制裁を受けてしまえば、何もかもが終わりだ。
「私はこの世に生を享けるにあたり、とある人物に多大な恩を受けたのです。私は一生をかけてでも、その方にご恩を返さねばなりません。そのため、夢の記憶に従いトールという名の少年を捜しておりましたの。今こうして殿下のご寵愛をいただかんと振る舞っておりますのは、実のところ、夢の中で私がそうなるべきと告げられたからでもあるのです。そうした意味で、殿下はトールではありませんが、無関係でもありませんわ」
「ふむ」
殿下は一つ頷いて、ティーカップを口に運んだ。
どうした反応が返ってくるかと冷や汗を流しながら待っていると、「夢、か」と殿下は呟いた。
カップが置かれ、再び碧い目が私を貫く。
「やはり、君自身は、僕と結婚したいと思ってはいないんだね」
私は私の犯した失態に気づいた。
ここまでに、私が殿下に懸想しているという気配を、私は一切見せられていない。
「まさか、そのようなことは」
慌てて取り繕おうとするも、殿下の手が私を制した。
「ああ、取り繕わなくてもいいさ。君の目は、なんて言えば良いか。今まで見てきた方々とは違っていてね。僕を通して、どこか遠くを見ている感じがするんだ。……ああ、そうか、そこにトールがいるのか」
こんなに、この御方は聡明でいらしただろうか。
私は心の中で震えを隠せなかった。
前世で見た殿下は、もっと俗っぽくて、もっと人となれ合うことを好んでいた。
こんな風に、人の心をどこまでも深く見透かすようなことはしなかった。
”殿下との婚約は、私にとってはただの人捜しの道具でしかない”。
そんな無礼極まる私の態度を、殿下はたった一度の会話でいとも容易く見抜いてしまった。
私は椅子から身を放り出し、地面に膝をついて最も深い礼の姿勢を作った。
「……大変な無礼を働きましたこと、お詫びのしようもありません。如何なる罰も受けますので、どうか、どうか、メンツィロム家にその咎を及ぼすことだけは、お許しを」
婚約の話は、きっとなかったことになるだろう。
それならせめて、公爵家に影響が及ばないよう、私一人で収拾を付けねばならない。
「何を言っているんだ、そんなことはしないでくれ。君の身体に砂埃がついてしまうだろう」
二本の腕が伸びてきて、私の脇をぐいっと持ち上げた。
後ろに控える大人たちが息をのむ音が聞こえた。
血のつながりもなく、婚約も結んでいない若い男女がこうして肉体を触れあわせるのは、作法から大きく外れた、いわばはしたないとされる行為だった。
殿下は私の目を上げさせて、そして視線を合わせてこう訊いてきた。
「その夢は、僕を殺せと君に告げたかい?」
「いいえ、そのようなことは、決して」
「ならいい。腹に何を抱えているか分からない婦人より、君みたいに分かりやすい人の方が僕は余っ程好きだ。それに、どうやら君は恩や人情というものをよくよく理解しているらしいしね」
その暖かな言葉が何を意味するか、分からないはずもなかった。
「エルレシア、君を僕の妃にしよう」
私はぱくぱくと口を動かし、どうにかこうにか「はい」とだけ返事をした。




